2019年08月30日

平家平スキー場(その2)(岐阜県郡上市)

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(左)長良川を渡り上っていくとゲレンデ下に至る。(右)倒壊したロッジの建物。

久しぶりに奥美濃を訪れる機会があり、平家平スキー場の跡地を再訪してみた。国道156号沿いの北濃駅前からわずかに北に進むと、東側に渡る細い橋がある。その橋を慎重にわたり、坂道を上がって行くと平家平スキー場の跡地に出る。

前回訪問から9年の歳月が過ぎ去っているものの、その佇まいは大きくは変わっておらず少々安堵する。とはいうものの、ゲレンデ下にあるロッジの建物の崩壊具合は前回よりもずっと激しいものになっている。屋根の妻部分に「ロッジ平家…」とあった建物は、すっかり潰れている。

季節のせいもあろうが草木が斜面全体を覆い、ゲレンデの痕跡を消し去ろうとしているかのように思える。斜面中央にある赤い屋根の建物は、前回訪問時にはなかったような気がするが記憶がはっきりしない。以前は斜面の下に立つとリフト乗場やリフト券売場の小屋も見渡せたのけれど、それらは樹木に覆われ近づくことさえ難しくなっている。

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(左)ロッジ前からゲレンデを見上げる。(右)リフト乗場は樹木に覆われわかりにくくなっている。

スキー場施設をすっかり撤去し斜面に植樹などが行われることもあるが、このようにいつまでも痕跡をとどめている場所もある。その違いは土地所有などや廃止の形態によるのだろうか。不勉強でわからない。廃ゲレンデ訪問者の勝手な気持ちとしては、平家平の痕跡に再び出会えたことは嬉しかった。(現地訪問:2019年8月)

こちらもご覧ください → 「平家平スキー場(その1)」

2019年08月09日

宝生スキー場(その2)(新潟県糸魚川市)

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(左)ゲレンデ下部と思われる平坦地。

宝生スキー場についてコメントを寄せていただき、「詳しい地図でもあれば欲しいところ」と書かれていた。見返してみると宝生スキー場の地図はごく大まかにしか描いてないことに気が付いた。前回訪問から10年の歳月が流れ、その後変化があるかも知りたくて、あらためて現地を訪れた。ただ、残念ながら当時の様子を思い起こさせるものは多くはなかった。

国道148号「平岩」交差点から東に折れて、平岩駅前をかすめ、蓮華温泉へと向かう大所川沿いの県道を進む。平岩駅から約1.5km地点、右カーブの左側にチェーンで施錠された林道への入口がある。前後に路側余地があり、車をとめて、この林道を歩きはじめる。「クマ出没注意」の標識もあり、熊鈴と万一に備えた登山装備が欠かせない。

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(左)右上に大きな砂防ダムがつくられている。(右)砂防ダムの上部に広がる草地。

林道は山腹北側を東へとトラバースして行く。右へ左へと折り返した先に、平坦な草地があり、このあたりがゲレンデの下部または中間地点ではないかと思われる。その先、沢を渡る橋がある。右手を見上げると大きな砂防ダムが見える。ここまで林道入口から約1km。

やや右に曲がり道を登ると、右手の杉林の奥にリフトの残骸(コンクリート部分)が見える。猛烈なヤブを漕いで近寄ってみる。前回はその前方(西側)にもう1基のリフトの残骸が見えたが、ヤブの濃い季節だからだろうか、今回は確認できない。林道に戻りさらに進むと、右手には草地が広がっている。かつてのゲレンデの跡だろうか。

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(左)砂防ダム上部の杉林の中にリフトの残骸がある。(右)草地の斜面を上部から見おろす。下部の杉林の中にリフトがある。

このあたりがかつてのスキー場の中心地と思われるが、ゲレンデの雰囲気はあまり感じられない。砂防ダムなど大規模な治山工事が行われたためだろうか。草木も生育して、そのヤブの中にリフトの残骸が残るだけ。こんな場所を訪れるのは私のようなもの好きだけだろうと、あらためて思った。(現地訪問:2019年7月)

こちらもご覧ください → 宝生スキー場(その1)

2019年07月22日

<番外編>スキーと鉄道輸送

いまはスキー場へ向かう交通手段としては車が大きな割合を占めている。しかしまだ、誰もが自動車を所有しているというのではなかった時代、スキー場アクセスのメインは鉄道やバスだった。私も子どもの頃、父に連れられてスキーに出かけるときは、飯山線や信越線(妙高方面)に乗って行くことがほとんどだった。

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中央東線

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信越本線

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中央西線

長野鉄道管理局「1973年度 スキースケート」という案内書に掲載されていた時刻表(上記)を、保存していた資料の中から見つけた。あらためて当時のスキー鉄道輸送のボリュームを知ることとなった。

東京(新宿・上野)や大阪・名古屋を深夜に出発して、白馬・妙高高原・湯田中・戸狩といったスキー場最寄りの地に早朝に到着する夜行列車が多数運転されていたのがわかる。長野電鉄に乗り入れて湯田中まで直通していた急行「志賀」の存在は記憶にあるが、大阪から戸狩まで直通夜行のDC急行が運転されていたことは、いまとなっては驚きだろう。

その後、バブル期を迎え、スキーバスに対抗すべく登場したのが「シュプール号」だった(1986年〜)。渋滞に巻き込まれずに時間通りに現地に到着できることが売りだったと思う。特急車両(座席の快適性を向上させたものもあった)などが使われ、現地でのバス接続や各種サービスも付加されたパック料金が魅力だっだ。

私は職場の仲間と白馬岩岳に出かけるときに一度だけ乗車したことがある(1991年)。下に掲げたのが、そのときのJR東日本の案内書。国鉄が分割民営化されてまだ数年後のことで、スキー人口も多かったので、このような企画を積極的に進めていたと思う。使用されていた車両は、特急「あずさ」と共用の183系か189系ではなかったかと思う。

そのシュプール号もJR西日本の2005年を最後に終焉を迎えた。安価なスキーバスツアーが台頭し、また、自動車の性能向上(雪道走行性能)・道路事情の改善などによりマイカーでスキーに向かう人が増えたこと、さらにはシュプール号のサービス(快適性・速達性)そのものが陳腐化して人気を相対的に下げて行ったと思う。その上、スキー人口自体が減少していく時代になっていた。

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posted by 急行野沢 at 14:00| Comment(3) | 東京周辺 その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月29日

湯沢高原スキー場・布場ゲレンデ(新潟県湯沢町)

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(左)かつては数本のリフトが並列に架かっていた。(右)リフト下から。(いずれも2019年3月)

関東のスキーヤーにとって越後湯沢というのは特別な響きを持った地名だと思う。バブル最盛期の頃の賑わいはたいへんなものだった。その湯沢の中心にあり、歴史のあるゲレンデの布場が歴史に幕を下ろすことになったようだ。2016年3月に「湯沢町は23日の町議会全員協議会で、同町湯沢の湯沢高原スキー場・布場ゲレンデを2019年3月末で閉鎖する方針を明らかにした」と新聞報道がなされた(新潟日報)。

いまは湯沢高原スキー場の一部という位置づけなのだが、同スキー場のサイトでは布場の廃止には触れていない。ただ、3月末には以下のように報道された。「新潟県湯沢町の温泉街に一番近い布場スキー場が、3月末で閉鎖されます。(中略)湯沢町は来場者の減少や設備の老朽化で、今シーズン限りで閉鎖を決めました。」

「千葉県からのスキーヤーは『ここは家族で滑るにはいいので毎年来ている(閉鎖は)さみしいね』と語りました(3月27日、新潟テレビ21)。」湯沢高原のゲレンデマップには、まだ、布場ゲレンデが記載されているけれど、よほどのことがない限り、次のシーズンに営業することはなさそうである。

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(左)ゲレンデを見上げる。(右)ゲレンデ下にはロッジが建ち並ぶ。(2019年3月)

布場ゲレンデの開設そのものは1915(大正4)年。越後湯沢で最も古いスキー場ともいわれている。越後湯沢駅から徒歩圏内で、広々とした初心者向け緩斜面のコースに、いまはペアリフトが1本だけ。滑走距離250m、最大斜度18度、平均斜度12度。以前はこの斜面に6本のペア・シングルリフトが架かり、湯沢高原に連絡するシングルリフトも一番北側にあった。

布場を含む湯沢高原は何回も訪れたが、1989年2月の記憶が鮮明だ。昭和天皇の大喪の礼により休日になったので職場の仲間と、急遽、宿もろくに決めずに湯沢にやってきた。そのときはやはり混雑していて、布場ゲレンデ下にあるロッジの半地下のような部屋に宿泊した。目の前がゲレンデだったけれど、布場では物足りなくて、もっぱら高原ゲレンデなどに遠征した。標高が低いので雪質はあまりよくないという印象もあった。

営業期間も残りわずかの3月に布場を訪れた。越後湯沢駅周辺は多くの人で賑わっていたが、多くは温泉客のようだ。布場ゲレンデに出てみると、晴天の日曜日にもかかわらず滑っているのはほんの数人だった。

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(左)リフト下から(2019年5月)。

その後、グリーンシーズンになってからも所用のついでに立ち寄ってみたが、リフト施設など周囲の様子に大きな変化は見られなかった。かつてはリフトが並列で架かっていた広い斜面も、リフト1本では閑散として見えた。ゲレンデ下にずらりと並んでいるロッジが、全盛期の面影を残しているだけだった。(現地訪問:2019年3月・5月)

2019年06月08日

ルーデンス湯沢スキー場(新潟県湯沢町)

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(左)ゲート前からやや荒れたホテルの建物を見る。(右)リフト下から見上げる。右に無料休憩所・左にホテルが見える。

2019シーズンからルーデンス湯沢が営業を休止している。ホームページ上では以下の通り告げられている。「今シーズンの冬季営業は、全館メンテナンスため、ホテル・スキー場ともに、休業させていただきます。(中略)再開の際には、ホームページでご報告させていただきます。今後とも、ルーデンスヴィレッジをよろしくお願い致します」

東京方面から関越トンネルを抜け、しばらく走ると左手に見えてくるのがこのスキー場。湯沢周辺のスキー場を一気に見渡し、雪国に来た気分が盛り上がる瞬間だった。いつも気になっていたけれど滑る機会がなかった。いつ滑れなくなるかもしれないと、2015年2月に滑りに出かけた。ホテル・ルーデンスに付随するスキー場。かつてはリフトが並列に3本あったが、そのときはホテルに近いペア1本だけとなっていた。

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(左)ペアリフト乗場。(右)ゲレンデ全体を見上げる。往時には右にもう2本リフトがあった。

ゲレンデ下のスペースに車をとめてリフト券を買おうとしたが、どこで売っているのかわからない。尋ねるとホテルのフロントとのことだったが、そこには料金表もなかった。ホテル宿泊者以外ではほとんど滑る人はいないようすだった。ペアリフトに沿う部分だけが圧雪されていたが、万全の整備とはいいがたかった。トップシーズンの休日だったけれど、滑っているのは20〜30人程度で少々寂しかった。

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(左)ゲレンデ中腹から見おろす。

「オールスキー場ガイド2000(立風書房)」には「ルーデンス昭和」の名前で、以下のように紹介されている。「ルーデンスホテルをベースに、リフト3基で効率よくバリエーションをそろえる。関越道を挟んで中里スキー場は正面。ナイター、スクール、レンタルあり」

グリーンシーズンにあらためてルーデンスに立ち寄る。「再開の際には〜」と告げられているので、リフト施設はチェアを外されたまま撤去はされていない。しかし、ホテルの建物は少々荒れた感じでメンテナンス作業が着々と進んでいるようにも見えない。再開の時が来るのかもわからない。平地を挟んだ反対側には湯沢中里のゲレンデが見え、いくつものゲレンデが湯沢の小盆地を囲んでいるようすを見渡すことができた。(現地訪問:2019年5月)

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営業していたときのようす。(2015年2月)