2019年07月22日

<番外編>スキーと鉄道輸送

いまはスキー場へ向かう交通手段としては車が大きな割合を占めている。しかしまだ、誰もが自動車を所有しているというのではなかった時代、スキー場アクセスのメインは鉄道やバスだった。私も子どもの頃、父に連れられてスキーに出かけるときは、飯山線や信越線(妙高方面)に乗って行くことがほとんどだった。

長野鉄道管理局「1973年度 スキースケート」という案内書に掲載されていた時刻表(下記)を、保存していた資料の中から見つけた。あらためて当時のスキー鉄道輸送のボリュームを知ることとなった。

東京(新宿・上野)や大阪・名古屋を深夜に出発して、白馬・妙高高原・湯田中・戸狩といったスキー場最寄りの地に早朝に到着する夜行列車が多数運転されていたのがわかる。長野電鉄に乗り入れて湯田中まで直通していた急行「志賀」の存在は記憶にあるが、大阪から戸狩まで直通夜行のDC急行が運転されていたことは、いまとなっては驚きだろう。

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中央東線

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信越本線

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中央西線

その後、バブル期を迎え、スキーバスに対抗すべく登場したのが「シュプール号」だった(1986年〜)。渋滞に巻き込まれずに時間通りに現地に到着できることが売りだったと思う。特急車両(座席の快適性を向上させたものもあった)などが使われ、現地でのバス接続や各種サービスも付加されたパック料金が魅力だっだ。

私は職場の仲間と白馬岩岳に出かけるときに一度だけ乗車したことがある(1991年)。下に掲げたのが、そのときのJR東日本の案内書。国鉄が分割民営化されてまだ数年後のことで、スキー人口も多かったので、このような企画を積極的に進めていたと思う。使用されていた車両は、特急「あずさ」と共用の183系か189系ではなかったかと思う。

そのシュプール号もJR西日本の2005年を最後に終焉を迎えた。安価なスキーバスツアーが台頭し、また、自動車の性能向上(雪道走行性能)・道路事情の改善などによりマイカーでスキーに向かう人が増えたこと、さらにはシュプール号のサービス(快適性・速達性)そのものが陳腐化して人気を相対的に下げて行ったと思う。その上、スキー人口自体が減少していく時代になっていた。

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posted by 急行野沢 at 14:00| Comment(0) | 東京周辺 その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月29日

湯沢高原スキー場・布場ゲレンデ(新潟県湯沢町)

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(左)かつては数本のリフトが並列に架かっていた。(右)リフト下から。(いずれも2019年3月)

関東のスキーヤーにとって越後湯沢というのは特別な響きを持った地名だと思う。バブル最盛期の頃の賑わいはたいへんなものだった。その湯沢の中心にあり、歴史のあるゲレンデの布場が歴史に幕を下ろすことになったようだ。2016年3月に「湯沢町は23日の町議会全員協議会で、同町湯沢の湯沢高原スキー場・布場ゲレンデを2019年3月末で閉鎖する方針を明らかにした」と新聞報道がなされた(新潟日報)。

いまは湯沢高原スキー場の一部という位置づけなのだが、同スキー場のサイトでは布場の廃止には触れていない。ただ、3月末には以下のように報道された。「新潟県湯沢町の温泉街に一番近い布場スキー場が、3月末で閉鎖されます。(中略)湯沢町は来場者の減少や設備の老朽化で、今シーズン限りで閉鎖を決めました。」

「千葉県からのスキーヤーは『ここは家族で滑るにはいいので毎年来ている(閉鎖は)さみしいね』と語りました(3月27日、新潟テレビ21)。」湯沢高原のゲレンデマップには、まだ、布場ゲレンデが記載されているけれど、よほどのことがない限り、次のシーズンに営業することはなさそうである。

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(左)ゲレンデを見上げる。(右)ゲレンデ下にはロッジが建ち並ぶ。(2019年3月)

布場ゲレンデの開設そのものは1915(大正4)年。越後湯沢で最も古いスキー場ともいわれている。越後湯沢駅から徒歩圏内で、広々とした初心者向け緩斜面のコースに、いまはペアリフトが1本だけ。滑走距離250m、最大斜度18度、平均斜度12度。以前はこの斜面に6本のペア・シングルリフトが架かり、湯沢高原に連絡するシングルリフトも一番北側にあった。

布場を含む湯沢高原は何回も訪れたが、1989年2月の記憶が鮮明だ。昭和天皇の大喪の礼により休日になったので職場の仲間と、急遽、宿もろくに決めずに湯沢にやってきた。そのときはやはり混雑していて、布場ゲレンデ下にあるロッジの半地下のような部屋に宿泊した。目の前がゲレンデだったけれど、布場では物足りなくて、もっぱら高原ゲレンデなどに遠征した。標高が低いので雪質はあまりよくないという印象もあった。

営業期間も残りわずかの3月に布場を訪れた。越後湯沢駅周辺は多くの人で賑わっていたが、多くは温泉客のようだ。布場ゲレンデに出てみると、晴天の日曜日にもかかわらず滑っているのはほんの数人だった。

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(左)リフト下から(2019年5月)。

その後、グリーンシーズンになってからも所用のついでに立ち寄ってみたが、リフト施設など周囲の様子に大きな変化は見られなかった。かつてはリフトが並列で架かっていた広い斜面も、リフト1本では閑散として見えた。ゲレンデ下にずらりと並んでいるロッジが、全盛期の面影を残しているだけだった。(現地訪問:2019年3月・5月)

2019年06月08日

ルーデンス湯沢スキー場(新潟県湯沢町)

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(左)ゲート前からやや荒れたホテルの建物を見る。(右)リフト下から見上げる。右に無料休憩所・左にホテルが見える。

2019シーズンからルーデンス湯沢が営業を休止している。ホームページ上では以下の通り告げられている。「今シーズンの冬季営業は、全館メンテナンスため、ホテル・スキー場ともに、休業させていただきます。(中略)再開の際には、ホームページでご報告させていただきます。今後とも、ルーデンスヴィレッジをよろしくお願い致します」

東京方面から関越トンネルを抜け、しばらく走ると左手に見えてくるのがこのスキー場。湯沢周辺のスキー場を一気に見渡し、雪国に来た気分が盛り上がる瞬間だった。いつも気になっていたけれど滑る機会がなかった。いつ滑れなくなるかもしれないと、2015年2月に滑りに出かけた。ホテル・ルーデンスに付随するスキー場。かつてはリフトが並列に3本あったが、そのときはホテルに近いペア1本だけとなっていた。

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(左)ペアリフト乗場。(右)ゲレンデ全体を見上げる。往時には右にもう2本リフトがあった。

ゲレンデ下のスペースに車をとめてリフト券を買おうとしたが、どこで売っているのかわからない。尋ねるとホテルのフロントとのことだったが、そこには料金表もなかった。ホテル宿泊者以外ではほとんど滑る人はいないようすだった。ペアリフトに沿う部分だけが圧雪されていたが、万全の整備とはいいがたかった。トップシーズンの休日だったけれど、滑っているのは20〜30人程度で少々寂しかった。

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(左)ゲレンデ中腹から見おろす。

「オールスキー場ガイド2000(立風書房)」には「ルーデンス昭和」の名前で、以下のように紹介されている。「ルーデンスホテルをベースに、リフト3基で効率よくバリエーションをそろえる。関越道を挟んで中里スキー場は正面。ナイター、スクール、レンタルあり」

グリーンシーズンにあらためてルーデンスに立ち寄る。「再開の際には〜」と告げられているので、リフト施設はチェアを外されたまま撤去はされていない。しかし、ホテルの建物は少々荒れた感じでメンテナンス作業が着々と進んでいるようにも見えない。再開の時が来るのかもわからない。平地を挟んだ反対側には湯沢中里のゲレンデが見え、いくつものゲレンデが湯沢の小盆地を囲んでいるようすを見渡すことができた。(現地訪問:2019年5月)

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営業していたときのようす。(2015年2月)

2019年05月18日

鹿野沢スキー場(群馬県みなかみ町)

水上駅のごく近くにあったのが鹿野沢スキー場。「ゲレンデとツアーコース(1961年1月・朋文堂)」には、「初級者向き、水上駅より1km15分。水上駅からは最も近いゲレンデである。緩斜面で入門初級者のゲレンデである」と案内されていた。駅から近いゲレンデとして、自動車による交通網がいまほど発達していなかった時代にはかなりの集客があったようだ。

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(左)ゲレンデ下の道脇にある建物は、レストハウスだったのだろうか。(右)ゲレンデを見上げる。

おそらくは数年前頃までは、ロープトウくらいは稼働していたように記憶している。しかし、近年はそれもなく、たまに子ども連れがソリ遊びをするくらいのことはあるらしいが、スキー場としての使命は果たしていないようす。そこで、本稿に取り上げてもいいのではないかと思った。

3月初旬、現地を訪れてみる。宝台樹や奥利根に向かう国道291号とは、利根川を挟んだ対岸。水上駅から北東へ、上越線の踏切を越えて進んだ先にある。利根川に鉄道や国道が寄り添う、隘路のような地形である。北側に広がる緩やかな斜面に雪はまだ残っているものの、スキーやソリで滑った跡もなく、ゲレンデの役割は終えたものと感じられた。周囲を通る人の姿もない。

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(左)ゲレンデをやや横から見る。前方の樹林帯の手前にロープトウがあったようだ。左上部に小屋がある。

ゲレンデトップに向かって右手には、ロープトウのための小屋など残り、その痕跡が見て取れた。ごく小規模な緩斜面であり、滑走距離も短かっただろう。ゲレンデ下を通る道路に面して、レストハウスやロッジだったと思われる建物が2軒。それらしき風情を残していた。(現地訪問:2019年3月)

2019年04月29日

みよりファミリースキー場(栃木県日光市)

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(左)中三依温泉駅ホームから、右手にゲレンデが見える。(右)駅前広場から右手のガードをくぐりゲレンデへ。

スキー場メグラーの人々のブログなどを見て、このスキー場の名前は以前から知っていた。このようなスキー場の取り扱いは難しい。「追憶」といってしまっていいのかどうか。以前あったロープトウはいまや稼働していないようだけれど、ソリ遊び場のような形では存続しているのかもしれない。

いずれにしても現地を確認したいと思って出かけた。場所は、日光・鬼怒川方面と会津若松方面を結ぶ野岩鉄道・中三依温泉駅の目の前である。国道121号もすぐ近くを走っている。無人・交換駅のやや高い位置にある島型ホームから、眼下にゲレンデを見おろすことができる。駅前広場からは線路下のガードをくぐって、裏側にあるゲレンデに向かう。

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(左)駅ホームから見たゲレンデ全景。(右)左上は駅のホーム、右手にそば打ち道場の建物。

ゲレンデ下にある建物は「そば打ち道場」となっている。レストハウスも兼ねていたのだろうか。見上げるゲレンデは、トップを要とする扇形で、ごく小規模な緩斜面である。滑走距離は150mと書かれた資料を見たことがある。ゲレンデ上部には「みよりファミリースキー場」という文字がかすれた看板が掲げられていた。

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(左)ゲレンデ下。そば打ち道場の建物の向こうにレンタルスキーや券売の小屋。(右)草木が絡みついていたロープトウの機械。

ゲレンデ左下にはロープトウの機械が残っていたが、草木が絡みついていて、しばらく稼働していないことを物語っていた。その手前には券売所の小屋とレンタルスキーの小屋。「ポニーリフト料金 子供600円 大人1200円」とある。おそらくは1日券の料金だろう。そんな掲示くらいにしか、かつての賑わいを追い起させるものは見つけられなかった。

季節的なものかもしれないが、駅の周囲に人通りもなく閑散としている。駅名に温泉がついているのだからと、温泉を探した。すぐ近くに「男鹿の湯」という施設があったけれど、冬期休業。この男鹿の湯を中心に振興をはかろうとしているようなのだが、残念ながらスキー場がその一翼を担うことはもうないのだろう。(現地訪問:2019年3月)

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(左)ゲレンデ中腹から駅のホームが見える。周囲の風景もなかなか良い。
posted by 急行野沢 at 09:00| Comment(0) | 栃木県 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする