2012年05月10日

あづまスキー場(福島県福島市)

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(左)福島市郊外から、満開の桃畑の向こうに吾妻連峰。(右)磐梯吾妻スカイライン沿いに建つ吾妻ロッジ。

ゲレンデガイドを開くたびに、このスキー場のことは気になっていた。縦長に4本のリフトが配置されたコースレイアウト。しみじみとしたローカル・ゲレンデの雰囲気が漂っているように感じられた。上部と下部のリフトが別の経営主体だった時期もあったと記憶しているが、そんな煩雑さにも興味をもった。ロコ的な魅力に抗いきれず、1998年3月に東京から長躯日帰りで滑りに出かけた。

高湯温泉の先から磐梯吾妻スカイラインに入るのだが、冬期はこのスキー場の中心部にある吾妻ロッジまで通じているだけで、その先は通行止め。そのときは吾妻ロッジの前に車をとめたが、当時、すでにずいぶん歴史を感じさせる建物になっていたように思う。あいにくその日は雪が降り続き視界が開けることはなかったが、樹林の中に続くコースを楽しく滑ることができた。

もっぱら上部の石楠花第1・第2リフト沿いで滑ったが、混雑というにはほど遠いけれど、それなりに賑わっていたと記憶している。ポニーリフトと乗り継いで高湯温泉街からアクセスするための、最下部の湯花沢リフト(シングル)は当時既に稼働していなかったし、白樺平リフトは稼働していたものの、ほとんど乗っている人はいなかった。晴れていれば展望が素晴らしいところだとわかっていたので再訪を期していたが、2006年3月末をもって営業を終了した。福島西ICから18km、福島市内に位置する唯一のスキー場で、福島市民のホームゲレンデのようなものではなかっただろうか。

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(左)しゃくなげ第1リフト乗場から見上げる。(右)白樺平リフトの上部から見おろす。

「オールスキー場完全ガイド2000」(立風書房)には、「磐梯吾妻スカイラインに沿ってコースがタテ長に並ぶ。ベース部は奥州三高湯と呼ばれる人気の高湯温泉。『汗をかいてひと風呂』には最高のロケーションだ。スクールが有名で基礎派が多いが、最近ではスノーボーダーにも県屈指の人気」と記されている。最大斜度36度、最長滑走距離3,500m、ペアリフト3基、シングルリフト1基。最後の頃にはハーフパイプも設置されていた。

いつかは再訪しなければと思っていたが、ようやく連休のさなかに1日の時間をひねり出した。福島市の郊外では桃の花が満開で、その向こうには残雪をいただく吾妻連峰が輝いている。ラジオのローカルニュースでは福島県内各地の放射線量が告げられていた。硫黄の香漂う高湯温泉を過ぎて、磐梯吾妻スカイラインへ。この日は無料開放されていて、首都圏ナンバーの車も多い。ゲレンデはその道に沿っているので、廃スキー場めぐりとしても訪問はしやすい。やがて見えてきた吾妻ロッジは、破損が目立つ姿をさらしていた。

吾妻ロッジの横には白樺平リフトの降り場、下方には石楠花第1リフトの乗場が見えるが、いずれのリフトも椅子をはずされただけで営業時そのままのように見える。上部を見上げると石楠花ゲレンデにはまだ残雪が十分残り、コースのありかを示しているようだ。白樺平ゲレンデにはナイター照明の設備もそのままの姿で立ちつくし、一段下がった場所のヒュッテの建物も残されている。少し早く廃止になっていた湯花沢リフトの錆びついた姿もその下に見えた。春の晴天のもと、福島市街を中心とする信達平野を一望することができた。(現地訪問:2012年4月)

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(左)左奥に白樺平リフト乗場、右に湯花沢リフトの降り場。
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2012年04月27日

中条町民スキー場(新潟県胎内市)

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(左)遠景から見た鳥坂山北面のゲレンデ跡。(右)右手はスポーツセンターの施設。奥の介護施設の裏に斜面がある。

胎内市を構成する旧中条町と旧黒川村の間を走る櫛形山脈は、南北約14kmしかない日本一小規模な山脈だと、登山ガイドブックには記されている。櫛形山脈の最北にある鳥坂山には、鎌倉時代から戦国時代にかけて鳥坂城が築かれていた。その鳥坂山の北斜面に開かれていたのが中条町民スキー場。これまで調べたところでは開設・営業休止の年月は明らかでないが、20年程前には営業をやめていたのではないかと推測している。国道7号沿いで、トラックから荷物を降ろしている小父さんに声をかけてみると「鳥坂山の北側の、いまは介護施設があるあたり」だと教えてくれた。

「スキー天国にいがた(1975年12月10日・新潟日報事業社)」には、「町が冬期の運動不足を補うために設置したもので、初心者の人には適当なゲレンデである。コース及びゲレンデが狭いため500人くらいでいっぱいになる」と紹介されている。ロープトウ1基(120m、大人300円子ども100円)の施設があり、町民スキー大会やバッヂテストもおこなわれていたらしい。駐車場50台、食堂1軒30人収容、休憩所1箇所30人収容と記されている。アクセスは「新潟から羽越線50分中条駅下車徒歩30分またはバス5分、車では新潟から1時間」。

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(左)介護施設の駐車場から、木々が繁りはじめた斜面を見上げる。

中条の中心部から国道7号線を村上方面に進めば、まもなく右手に鳥坂山が見えてくる。「櫛形山脈登山口」「白鳥公園入口」という標識を見て右折して進むと、何軒かの介護施設の建物がある。その裏手がゲレンデだったようだ。スキー場休止後はスポーツセンターのようになっていたようで、ゴルフ練習場・フィールドアスレチック・バッティングセンターなどという掲示も見られた。

ゲレンデ最下部はゴルフ練習場に転用されたのか、ネットが巡らされ水平に整地された跡がある。斜面全体に木々が覆いはじめ、スキーを連想させるものも残されていないので、それと知らされなければゲレンデであったとは気づきにくい。なるほど500人でいっぱいになるという話もうなづける小さなゲレンデであった。(現地訪問:2012年4月)

2012年04月14日

赤谷スキー場(新潟県新発田市)

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(左)4月とはいえ両側に雪が高い綱木街道から、ゲレンデの遠景。(右)赤谷線(赤谷・東赤谷駅間)の鉄道橋の遺構。

今年は春先になってもいつまでも寒い日が続いたが、東京ではようやく桜が満開になったと伝えられた。そんな4月の週末、平野部の田畑には積雪はさすがに見られないが、新発田市街から赤谷への県道を進めば、雲は低く垂れ込め湿った雪が激しく降り始めた。道の両側に積み上げられた雪は高く、この地ではまだ季節は冬から抜け出していないのだと知らされた。

むかし、新発田から赤谷線というローカル線があった。赤谷鉱山の鉄鉱石運搬が主要な役割であったが旅客列車も走っており、終点の東赤谷は風情のあるスイッチバック駅であった。1984年に廃線となったが、いまもところどころその遺構を見ることができる。廃線跡と廃スキー場巡りの両方が楽しめる(?)といっていいだろうか。

赤谷スキー場のことを、上赤谷で買い物帰りの車から降りた小父さんに聞くと「綱木へ向かう道の左側。建設会社の資材置場になっている」と教えてくれた。それに従って、上赤谷の交差点を右折、通称・綱木街道を三川方面に進む。ほどなく左手一段上に建設会社の事務所と資材置場があり、その裏手に稜線までゲレンデが広がっていたと思われる斜面があった。

ところどころ樹木が繁り、スキー場だったことを示すものは残っていない。往時のようすを想像することはなかなか難しいが、4月上旬のこの時期にも雪がたっぷり残っているのだから、積雪には不自由のないゲレンデだったのだろう。ゲレンデ左手にロープトウがあったようだ。

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(左)資材置場の裏にゲレンデの跡が広がっている。

「スキー天国にいがた(1975年12月10日・新潟日報事業社)」には、「飯豊連峰の美しい山脈を背景に初中級向コースとして親しまれている眺望の良いスキー場である。近くには新発田市の観光地として内の倉ダム、加治川治水ダムがあり、四方山に囲まれた眺めもまた素晴らしく、特に10月下旬頃の紅葉の季節は見逃せない景観である」と紹介されている。ロープトウ1基(100m、6回券100円)の施設があった。アクセスは「鉄道 新潟から羽越経由赤谷線40分赤谷駅下車徒歩25分 車 新潟から1時間30分」とある。このスキー場の最盛期は、いまのように誰もが車を持っている時代ではなかったので、赤谷駅から歩くというのが一般的だったのだと思う。

スキー場営業休止の年月はわからなかったが、20年以上前ではないかと推測している。古くは近くに赤谷温泉もあり、景勝地としての賑わいもあったのではないかと思う。(現地訪問:2012年4月)

2012年04月01日

浅間高原ファミリースキー場(群馬県長野原町)

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(左)浅間火山博物館への道。右手は火山博物館の建物。奥の駐車場の向こうにゲレンデ。(右)ゲレンデ下には無料休憩所。背後には浅間山が大きい。

中軽井沢のあたりでは日陰にわずかに残る程度だった雪も、国道146号を北に向かい浅間山の東麓を上っていくと道の両側に次第に高くなってきた。快晴の3月の休日。廃スキー場の探索に出かけたはずだったが、残雪に輝く浅間山の姿に見とれるばかりとなった。群馬県側から見た浅間山も、長野県側より少し締まった感じの姿が好きである。そんな浅間山の雄姿を常に背にしながら滑ることができたのが、浅間高原ファミリースキー場だった。

「'91skier日本のスキー場東日本編(山と渓谷社)」には「那須火山帯の最南端に位置する浅間山の中腹・北斜面に開かれたスキー場。1783年の大噴火の時に流れ出た溶岩の凝結地帯・鬼押出しで知られている」と記されている。「鬼押出し浅間園」の敷地内に付属するようなゲレンデだったようだ。ポニーリフト1基が備えられていて、最大斜度17度、最長滑走距離250m。データから見ても、小さな子どもとファミリーで楽しむのに適したスキー場だったのだろう。いままでの調査では開設・営業休止の年月はわかっていないが、現地で雪かきをしていた浅間園の従業員に聞いた話も総合すると、営業休止は10年ほど前ではないかと推測している。

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(左)園内にあった地図にはゲレンデの場所は「ピクニック広場」となっていたが、「スキー場」の文字を消した跡がはっきりわかる。(右)ゲレンデ下部にあったポニーリフト乗場の施設跡と小屋。

鬼押出しは馴染みの深い場所で、小学校時代に学校で出かけたり、その後も家族で出かけたり。浅間山はいまだ噴煙を上げ続けているが、自然災害が頻発している昨今では、鬼押出しも自然の脅威を知るための生きた教材になると思う。その鬼押出しには、西武系・嬬恋村の運営する「鬼押出し園」と長野原町による「鬼押出し浅間園(浅間火山博物館などを併設)」の2つの施設がある。ゲレンデ所在地は地図上では嬬恋村と思えるが、「鬼押出し浅間園」の敷地内にあるので長野原町になるようだ。

峰の茶屋から鬼押ハイウェーを走れば、鬼押出し園の直前に左折・浅間火山博物館の案内板。それに従えば自然と火山博物館の駐車場に導かれる。右手に博物館のいくつかの建物があり、その向こうに鬼押出しの溶岩などを見るための遊歩道があるはずだが、3月末までは冬期休館中。各施設はまだ雪に覆われている。駐車場の奥には無料休憩所があり、その向こうに緩やかな斜面が広がっている。ゲレンデ下右手にはポニーリフトの施設跡、そして監視小屋も残されている。背後には白銀に輝く浅間山が大きい。振り返れば、草津・白根の山々。この風景の中に身を置くだけでも、雄大な自然を満喫できる場所だと思う。(現地訪問:2012年3月)

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(左)ゲレンデ下から見上げる。(右)ゲレンデ中腹から見おろすと、正面に草津白根山をはじめとする山々の眺望が広がる。
タグ:浅間高原
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2012年03月21日

森山高原スキー場(福井県大野市)

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(左)遠景から見たスキー場全体。(右)ゲレンデ下からゆるやかな斜面を見上げる。

昔ながらの風情や町並を残し「小京都」と呼ばれるような町は、平野部から一歩内陸に分け入った小盆地に位置することが多いように思う。福井県大野市もそうした町のひとつ。大野城の城下町であり、北陸の小京都と呼ばれ、寺町通りや武家屋敷など歴史ある町並を残している。また、町内の至るところに名水が湧いていることでも知られている。

大野盆地を取り囲む山並には、スキージャム勝山・雁が原・六呂師・九頭竜などのスキー場が林立している。それらの中で、盆地の南端に位置していた森山高原スキー場はひときわ地味な存在だったと思う。現在までの調査では開設・営業休止の年月ははっきりしない。2000シーズンのスキー場ガイドには掲載があるから、営業休止は直近10年以内と思われる。

シングルリフト1基とポニーリフト1基、初級コース主体の緩斜面が1枚。「スキーヤー100%」という表示のあるガイドブックを見たことがあるから、スキーヤーオンリーをウリにした時期もあったのかもしれない。混雑とは無縁の初級者の練習用ゲレンデであったようだ。地元の学校の授業でも使用されていたらしい。

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(左)ゲレンデ下には除雪をしたと思われる重機。レストハウスの建物は健在。

大野市郊外の小集落の裏手のような場所。スキー場直下までの道は除雪され、その除雪をしたであろう重機が置き去りにされていた。ゲレンデ下のレストハウスの建物はそのままだったが、リフトはきれいに撤去されていた。見上げるゲレンデは緩やかで均一な斜面。ゲレンデ下部からは目の前の杉林が視界を閉ざしているが、上部からは大野盆地とそれを取り囲む山々の眺望が楽しめたことだろう。(現地訪問:2012年3月)
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