2018年11月04日

高原千葉村スキー場(群馬県みなかみ町)

群馬県みなかみ町にある高原千葉村は千葉市が運営する保養施設。1973年にオープン、41haの敷地を持っている。猿ヶ京温泉に近く、自然豊かなところである。市民ロッジ・青少年自然の家・林間キャンプ場(ログハウス付き)・テニスコートなどがあり、温泉も湧出。千葉市民以外も利用可能だが、利用料金は割高になる。この高原千葉村はその一角にはスキー場もつくられていた。

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(左)案内板。(右)ゲレンデ下。

本年2月には「千葉市保養施設『高原千葉村』を廃止へ」と報道された。施設の老朽化や利用者の低迷により、平成30(2018)年度末(2019年3月)に千葉市の施設としての運営を終了、廃止となるということである。みなかみ町に売却されるものの、その後はキャンプ場メインの運営方針とされ、スキー場は廃止されるものと推測されていた。

しかし、それに先立って2017年9月にはホームページ上でロープトウの廃止が告げられていた。「スキー場のロープトウについては、故障により使用を中止しておりましたが、古い型式であることから復旧のメドが立たず、利用者の安全に配慮した結果、平成28年度をもちましてロープトウを廃止することといたました」。ただし、ロープトウを使用しないで、スキーやソリ遊びをすることは可能である。

スキー場だけを日帰りで利用することはできず、施設への宿泊が前提となるようである。あくまでも高原千葉村のためのゲレンデという位置づけ。千葉市の小中学生が団体で訪れて、スキー教室が開かれ賑わうということもあったようだ。

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(左)ゲレンデ下から見上げる。中央の小屋がロープトウ乗場。

アクセスする県道の少し奥にあるゲレンデは緩やかな斜面で、初めてスキーをする子どもたちの練習にはうってつけに思われた。広さも十分である。問題のロープトウは、少し歩いて登ったところに乗場の小屋がある。下から乗場まで歩く距離と滑走距離はほぼ同じではないかと思えるほど。いずれにしても、少子化やライフスタイルの多様化、スキー人口の減少などにより、ゲレンデの必要性は低くなったということなのだろう。(写真は2014年4月)
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2018年10月12日

御岳ロープウェイスキー場(その2)(木曽町)

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(左)御岳ロープウェイから下部の斜面を見おろす。

2014年9月27日の御嶽山噴火では登山者ら58人が死亡し、日本における戦後最悪の火山災害となった。しばらく御嶽山登山はできないと思っていたが、9月26日から10月8日までの間、黒沢口登山口の九合目二ノ池上分岐から山頂までの立ち入りが解除された。この機会に登っておきたいと考え、御岳ロープウェイに向かった。

当初の目的は御嶽山登山であるが、御岳ロープウェイ乗車の機会でもある。御岳ロープウェイスキー場の痕跡も見定めてこようと考えた(御嶽山登山の記録は→こちらへ)。2011シーズンから冬期の営業を休止した同スキー場。その後も夏山登山等の利用がある4〜11月には、ロープウェイの運行を続けていた。そこに発生したのが2014年の噴火であったが、翌年6月6日に運行を再開し、グリーンシーズンの営業を続けている。

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(左)センターハウス。広い駐車場が前に広がっている。(右)センターハウスからロープウェイ乗場を見る。

ロープウェイを名乗るものの、6人乗りのいわゆるゴンドラである。チケット売場と売店などの入った建物には「CENTER HOUSE」とあり、登山の注意掲示がいくつも見られる。いったん建物外に出て乗場に向かう。見上げる斜面には花壇が整備されている。かつてのゲレンデ左手にゴンドラが、右手にはチェアを外された第1ペアリフトの乗場がある。支柱などもそのままで、遠目には少し整備すれば再開可能とも見えた。

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(左)花壇の向こうに第1ペア乗場が見える。(右)第1ペア・第2ペアの乗継地点。

8時30分の運転開始時刻には、雨模様の天気にもかかわらず30人ほどの行列ができていた。しばらくゴンドラに揺られると、進行右側眼下に第1ペアと第2ペアの乗継地点が見える。樹林に阻まれて見えにくいが、チェアを外されてはいるもののリフト施設はそのまま残されているのがわかる。さらに進むと、これも右下の広々とした斜面に第2ペアと第3ペアの乗継地点が見えた。こちらもリフト施設がそのまま残されている。

周囲の斜面は笹に覆われているが、スキー場のコースであったことははっきりとわかる。快適な滑降を想像させる斜面である。ゴンドラ飯森高原駅に到着すると、山頂に向かって右側に第3リフトの終点がある。こちらもリフト施設はそのまま残されている。下を見るとやや落ち込んだ急斜面のように見える。かなり規模の大きなゲレンデだったことに、あらためて気づかされる。

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(左)第2ペア・第3ペアの乗継地点。(右)左に第3ペア終点。右はゴンドラ駅。

夏期にゴンドラは運行されているし、リフトの維持状況を見ると、スキー場として再開することは物理的には不可能ではないように思えた。ただ、冬期営業休止を続けているのは、スキー場として集客をはかるのは難しいということだろう。晴れていればゲレンデから御嶽山の雄姿が見えたはずだが、今日は深い霧雨に覆われて、はかばかしい展望は得られなかった。(現地訪問:2018年10月)

こちらもご覧ください → 御岳ロープウェイスキー場(その1)

2018年09月21日

カムイ多摩(東京都多摩市)

東京出張の空き時間に、多摩センターの駅に降り立ってみる。以前何回か来たことがあるはずだが、こんな風景だったかなと思う。駅からまっすぐにのびる異様に幅の広い道。いかにも計画されてつくられたニュータウンなのだけれど、こういうスケール感はどうもからだに馴染まない。猛暑の太陽が日影の少ない歩道をこれでもかと照らしている。駅前を少しはずれるとベッドタウンというより、大手企業の建物が増えてくる。

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多摩ニュータウン駅前の風景。右写真の正面はサンリオピューロランド。

そんな多摩センターの一角にあったのが、室内スノーボード場「カムイ多摩」。スポーツショップを兼ねた建物にあり、規模はあまり大きくなかったようだ。ネット上の情報などから推測すると、2000年秋に開業し、2004年12月には閉鎖となったらしい。

スノーボード場閉鎖後もスポーツショップは営業していたようだが、それも数年前に閉鎖となった。現地を訪れて見ると、隣接する土地も含めて大規模な造成工事が進められていた。工事用フェンスで囲まれて、ダンプカーがさかんに出入りしている。どこかの研修施設の建物がつくられるようだ。敷地には傾斜があり、それも利用してスノーボード場がつくられていた。

標高差10m、最大斜度15度、最長滑走距離40m。キッカー・レール・ボックスなどは備えていた。当時の滑走記録などを見ると、かなり狭くて、あっという間に滑り終わってしまう状態だったらしい。ジャンプしても壁に激突するような感じだったとか。斜面上へは板を脱いでオートレーンで登った。

いまとなっては当時のようすはあまりわからず、推測するしかない。ニュータウンの一角につくられたのは、ある程度傾斜のある用地の確保や、車で来訪しやすい環境を考えてのことだろうか。そんなことを考えながら、多摩センターの駅に戻った。あまりに規模が大きい街路に、真夏の太陽が照り付けていた。(現地訪問:2018年8月)

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「カムイ多摩」の敷地跡。現在は大規模な造成工事が行われていて、跡形もない。
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2018年08月31日

黎明期の飯山のスキー場(その2)(飯山市)

前回に引き続き、「飯山スキー100年史(飯山市、2012年)」を参考にしながら、黎明期に飯山にあったスキー場を見ていきたい。

■大聖寺スキー場
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(左)大聖寺。(右)北飯山駅から大聖寺の裏の斜面を見上げる。

飯山市街地の北西にあり、昭和2年以降、全日本大学スキー大会の会場に数回なったという。場所は「神明ヶ丘スキー場の北方1.5kmほどの所にあり、曹洞宗大聖寺の裏山である」と記されている。北飯山駅の北西にある大聖寺の裏(西側)の丘陵斜面と思われる。この付近には寺院が集中しており、前回の英岩寺などと同様、寺院の裏山を利用したスロープだったのだろう。

■四宮スキー場
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(左)光明寺。(右)光明寺の小丘陵を西側斜面を見上げる。

戸狩野沢温泉駅の南西側、常盤の光明寺のある小丘陵の西側斜面にあったという。戸狩区の雪上運動会や分校の体育の授業などで昭和40年代まで利用されたようだ。西側の麓から見上げると、適度な斜度をもった丘陵となっている。

■長峰スキー場
現在の長峰工業団地付近にあったという。昭和6年に第4回全日本小学校スキー選手権大会がおこなわれた。正確な位置はわからないが、「長峰・南原工業団地」という案内板から針湖池あたりにかけての長峰山の北斜面にあったのではないかと推測している。

■塔ノ原スキー場
昭和5〜6年に全国に紹介されるようになったという。飯山鉄道が後記の神明ヶ丘スキー場に誘客したのに対して、長野電鉄はこの塔の原スキー場をさかんに宣伝したようだ。場所は千曲川の東岸、其綿集落の裏(南側)、虚空蔵山783mの西側あたりの斜面ではなかったかと推測している。千曲川の側から斜面を見上げるとスキーに適した斜面に見えた。

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(左)「長峰・南原工業団地」の案内板。このあたりから右手奥にかけての斜面が長峰スキー場だったのか。(右)其綿集落とその背後の斜面を見上げる。このあたりが塔ノ原スキー場か。

2回に分けて、飯山市街地付近の黎明期のスキー場について見てきた。いずれも市街地に近い、ほんの小丘陵のような場所である。現在の大規模なスキー場と比べると、子どもの遊び場程度の斜面に思えるが、スキーの原点を思い起こさせてくれた。

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→ こちらもご覧ください 「黎明期の飯山のスキー場(その1)」
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2018年08月10日

黎明期の飯山のスキー場(その1)(飯山市)

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長野県民が「雪の多い町」といって思い起こすのは、まずは飯山ではなかろうか。豪雪地なので古くからさまざまなスキー場が存在していた。それらについて詳しく記しているのが「飯山スキー100年史(飯山市、2012年)」である。スキーの歴史を記した本には、意外とスキー場についての記載が少ないのだが、この本では充実している。

すでに本ブログで取り上げたスキー場や、現在も営業を続けているスキー場ももちろん掲載されているのだが、興味深いのは黎明期のスキー場である。まだ、スキーが伝わって間もない頃は飯山市内にあるちょっとした丘陵の斜面がスキー滑走の場となっていたようだ。ただ、これらも昭和30年代にリフトが整備された近代的なスキー場が開発されると姿を消していったという。この本を参考にしながら、そのスロープが現在どうなっているのか、場所がある程度特定できる範囲で見ていきたいと思う。

■片山スキー場
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(左)片山稲荷。右は「飯山市文化交流館なちゅら」。(右)高台から片山丘陵の北西斜面を見おろす。

同誌によれば「明治45年1月24日、高田師団スキー行軍隊がスキーの実演を行い、飯山の人たちが初めてスキー滑走を目撃した記念すべき日となった」とある。また、初の全信州スキー大会が大正13年に当地で開かれたという。現在の飯山駅北側、『飯山市文化交流館なちゅら』の西側に片山稲荷神社のある小丘陵がある。その場所は、この小丘陵の北西斜面だったということだ。

丘陵の北西側にまわってみると『市立飯山図書館』『手すき和紙体験工房』などの建物が立ち並び、その向こうに斜面が見える。現在のスキー場の規模から考えると、距離はわずかななものに見えたが、スキーをするのには適度な斜度と思えた。

■城山スキー場
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(左)西側斜面の道脇に「長野県スキー発祥の地」の看板がある。(右)本丸跡から西側への斜面。

「明治45年1月23日に市川達譲(妙専寺住職、飯山中学校教諭嘱託、レルヒ少佐のスキー講習会に参加)が『城山に登り、飯山中学校側の斜面を下って学校に出勤した』と手記に書いていますので、飯山で最初のスキー場といえます」とある。大正2年にはスキー競技会が開催されている。

飯山市街地にあり、飯山城跡として公園風に整備されている丘陵である。西側斜面から上る車道脇には「長野県スキー発祥の地」という看板も設置されている。また、「本丸から帯郭へ降りる階段をスロープとして練習しており、城山全体が練習場として使われていたことがうかがい知れます」とある。案内板のある西側斜面をはじめ、飯山城本丸があった最上部から各方向に適度な斜度があり、山全体がゲレンデであったこともうなづける。

■英岩寺スキー場
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(左)南側から見た英岩寺とその裏山。(右)北西側から見た英岩寺の裏山。

「『市川達譲氏は英岩寺山に於いて生徒にスキーを教授しつつあり成績頗る良好といふ』と昭和45年2月3日付信濃毎日新聞に記されている」とある。場所は北飯山駅から北に向かい、国道292号に出る途中、右手にある英岩寺の裏山にあったようだ。まさに里山の斜面のスキー場という感じがした。この付近には寺院が集中している。それらの裏山は黎明期には格好のゲレンデとなったようだ。

■坊主山スキー場
旧飯山国際スキー場付近とされている。面積が広く、当時は県下一の規模を誇っていたという。本ブログの『飯山国際スキー場』も参照願いたい。

■神明ヶ丘スキー場
後の飯山スキー場の場所にあった。現在の市営ジャンプ場を含む位置であり、飯山市街地のすぐ西側にあたる。本ブログの『飯山スキー場』も参照願いたい。

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(左)坊主山の斜面。旧飯山国際スキー場。(右)市営ジャンプ場を見上げる。

iiyamaimg001.jpg飯山市内の黎明期のスキー場地図。

→ こちらもご覧ください 「黎明期の飯山のスキー場(その2)」
posted by 急行野沢 at 09:00| Comment(0) | 飯山線沿線 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする