2014年06月27日

鹿瀬スキー場(新潟県阿賀町)

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(左)統合により現在は使われていない鹿瀬中学校の校庭から。前方の山並の中にスキー場があった。(右)山中の道を進むと峠状の少し開けた場所がある。ここがゲレンデ跡。

新潟県の阿賀野川中流域の4町村が合併しててきた阿賀町。前回に引き続き、その阿賀町にあったスキー場を取り上げる。しかし、前回は旧津川町であったが今回は旧鹿瀬(かのせ)町。昔のガイドブックには「鹿瀬スキー場」と記載されているが、地元では天名(あまな)スキー場といった方が通りがいいようだ。

「スキー天国にいがた(1975年12月10日・新潟日報事業社)」には、「鹿瀬スキー場」として以下のように紹介されている。「昔から地元の人たちの町民スキー場として親しまれてきたスキー場で、シーズン中には町民スキー大会も開かれ、緩急の変化に富んだスロープは中上級向である。ただスキー場前まで車が入れないのが難点である。鉄道:新潟から磐越西線1時間30分鹿瀬駅下車、徒歩40分。施設:リフト1基。40mシャンツェあり。主な行事:町民スキー大会」。昭和34年1月には、新潟県の高等学校スキー大会(アルペン競技)が開催されたという記録もある。また、昭和41年1月の同県大会ではジャンプ競技がここで行われた。「広報かのせ/昭和33年(1958年)12月1日第19号」には「天名スキー場にロープウエー着工。完成予定は12月15日」との記事がみられる。

鹿瀬支所近くで地元の小父さんに声をかけて、天名のスキー場のことを聞いてみる。よくご存じで「国道459号を津川方面に戻り旧鹿瀬中学校の手前を南の山間に入っていって、左に林道が分岐する小さな峠のあたり」といって地図まで書いて説明していただいた。その地図に従って車で行ってみると確かにスキー場の斜面らしい樹木の少ない一帯はあるのだが、そこだけではゲレンデとしては規模が小さすぎるしあまりに斜度がないと感じられた。どうもゲレンデの様子は想像しにくかった。いったん山間部から平地まで戻ってどうしようかと考えていると、軽トラが通りかかったので運転している小父さんにまたもたずねてみる。「それじゃ、ちょっと行ってみようか」と現地まで行って説明をしていただいた。

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(左)ゲレンデ下から見上げる。前方左の山頂にジャンプ台があった。アルペン競技のコースは右側だったという。(右)ゲレンデの側面から見上げる。山頂から右に向かってゲレンデがあった。

ゲレンデの位置は先ほどの場所で間違いなかったが、現在は樹木が茂っている山頂部分までゲレンデが広がっていたようだ。山頂部にジャンプ台があり、それに向かって右手にアルペン競技の斜面があったと教えてもらった。付近にはクロスカントリーのコースもあったという。このスキー場をつくるとき、町の職員といっしょにこの小父さんも働いたという。当時のことなので。地元の人たちの力を集めて、機械によらずもっぱら人力によりつくり上げたようだ。シャキッとした山仕事の恰好をして若々しく見えたその小父さんは、今年80歳になるという。その小父さんが若い頃のことだというから、もう50〜60年近くも昔のことである。おそらく上記の「天名スキー場にロープウエー着工」という記事の頃にあたるのではないだろうか。ガイドブックには「リフト1基」と書かれているが、小父さんの記憶ではロープトウくらいしかなかったということだった。もちろん若いころは何回もここで滑ったということだが、もっぱら地元の子どものためのスキー場だったようだ。

地元の方に昔のゲレンデについて教えを乞うことはこれまでも多かったが、これほど親切に教えていただいたことはなかった。それほど鹿瀬の方にとっては、思い出深いスキー場だということだろう。地元の小父さんに、感謝。(現地訪問:2014年6月)

2014年06月07日

芦沢高原スキー場(新潟県阿賀町)

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(左)「狐の嫁入り屋敷」の庭にある行列を模した人形。(右)ハーバルパーク最上部には体験工房などの建物。

新潟市から南東方向、阿賀野川を遡った山間部にある津川町。いまは、鹿瀬町・三川村・上川村との合併により阿賀町となっている。古くは会津藩の領地であり、街中の道路がかぎ型に折れ曲がるなど重要な拠点であったことをうかがわせる。津川といえば思い起こすのが「狐の嫁入り行列」。麒麟山の狐火を起源とする民話をもとに、毎年5月3日におこなわれる祭には住民の10倍にも及ぶ観光客が訪れるという。また、町内には「狐の嫁入り屋敷」があり、行列のジオラマなどが展示されている。

そんな津川の町の背後にある芦沢高原。磐越道・津川ICから南側に登った山腹に開けている。この芦沢高原にスキー場があったことは「スキー天国にいがた(1975年12月10日・新潟日報事業社)」に記載されている。「津川町を中心に点在するスキー場のひとつで、スキー場施設の少ない下越地方の人たちには格好のゲレンデである。歴史も古く、家族連れに適した初中級向きのスキー場でいつも明るい雰囲気がただよっている。鉄道:新潟から磐越西線1時間30分津川駅下車徒歩40分。施設:食堂・休憩所1箇所」とある。

また、「観光と旅16 郷土資料事典・新潟県(人文社 昭和45年6月5日初版 昭和50年4月15日改訂版)」では、芦沢高原について「出角山(485m)の中腹の高原で、眼下に津川平野がひろがり、常浪川と阿賀野川が合流している。高原には芦沢高原寮があり、ベランダに立つと飯豊山をはじめ県境にそびえる山々が美しく展開している。夏には多くの若者たちがテントを張って燃えさかるキャンプファイヤーを囲み、冬はなだらかなスロープのゲレンデで雪煙りをあげながら滑降を楽しんでいる」と紹介されている。

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(左)ハーバルパークの下部から斜面を見上げる。(右)ハーバルパーク上部から斜面を見おろす。

現在、芦沢高原の最上部には「ハーバルパーク」が整備されている。園内にはハーブをはじめ季節ごとの花が咲き、体験工房ではハーブ石鹸づくりなどの体験を楽しむことができる。最上部の建物の前で、ハーバルパークの仕事をされている男性に尋ねてみる。彼の話では、まさにこのハーバルパークの斜面がスキー場の跡地だという。ただかなり整地されたので当時の斜面の面影はあまり残されていないようだ。子どもの頃、自分たちで雪を踏んでゲレンデを整備し滑ったという。ロープトゥぐらいの施設があったかどうか、記憶は定かではなかった。昭和55(1980)年頃はここで滑っていたという。ゲレンデ最下部はハーバルパークの敷地を過ぎて、その下のいまはテニスコートになっている場所あたりまでだったという。

斜面は適度な傾斜で、快適なスキーが楽しめたと思われる。やはり、もっぱら地元の人々のためのスキー場だったのだろう。ゲレンデ下部を見やるとかつては津川の町や阿賀野川まで見渡せたのかもしれないが、いまは樹林が育って視界を遮っていた。ハーバルパークには美しい花が咲き乱れていたが、天候が思わしくないせいか訪れる人はあまりいないようだった。(現地訪問:2014年6月)