2015年11月22日

マウンテンパーク津南スキー場(新潟県津南町)

いくつかのスキー場でオープンの便りも届いたものの、例年にない温かさによりオープンを延期したところもある。シーズン直前になって気をもませることが多いけれど、今シーズンも一般営業休止の話が聞こえてきた。

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(左)レストハウスやロッジがあるゲレンデ入口。(右)右は第2リフト降場、左に第3リフト乗場が見える。その向こうにメインゲレンデが広がる。

新潟県津南町。長野県北部とは隣接した土地であり、そんな親しさもあってマウンテンパーク津南のことはずっと気になっていた。当間や清津などに出かけたときの帰り道に寄ってみたことがあるけれど、営業終了時刻近くだったせいだろうか、いつも閑散としていた。一般客は果たしているのだろうか、という感じだった。

そんな心配があたったといっていいだろうか、今シーズンは一般向け営業を行わないことが伝えられた。「マウンテンパーク、今冬は営業せず」という見出しで「存廃が検討されていた津南町の町設スキー場『マウンテンパーク津南』について、町は28日までに、今冬の一般客向け営業を行わず、学校の課外活動や競技などの目的に限って使用することを決めた。来季以降の存続は未定で、町は運営業者を探している。」と報じられた(新潟日報2015年10月29日)。

かつてはJR飯山線津南駅から連絡リフトがあったが、下部のリフトはずいぶん前に廃止されていて、その点は以前、本ブログでも取り上げた。近年は週末のみ第2・第3ペアリフトだけの営業となっていたようだ。
 → こちらもご覧ください 「2013年5月14日 マウンテンパーク津南スキー場・津南駅連絡コース」 (ゲレンデマップもこちらを参照願います)

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(左)第3リフト乗場。(右)メインゲレンデ最上部。第3リフト降場が見える。遠く越後三山の山頂部はもう白い。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」では本スキー場について以下のように紹介している。「日本一の河岸段丘の眺めと、温泉付きセンターハウスも魅力。ゲレンデ内にはロッジがあり、宿泊が即ゲレンデと直結している。標高727mの茶屋峠山頂から2.5kmダウンヒルコースがとれ、大会やポールの練習に人気がある。ベースタウンの津南町には旅館や温泉もあって便利」。全リフト稼働時には、最大斜度35度、ペアリフト5基を備えていた。関越道・石打塩沢ICから24km、50分。首都圏からは足を運びにくい立地だったと思う。

一般向け営業休止のニュースを聞いて、あらためて津南を訪れる。越後田中駅付近で国道117号から分岐して北に入り、車でゲレンデ中心部まで上がっていく。周囲の山並みは紅葉に染まっている。学校活動や競技には使用されるということなので、とくに営業休止を感じさせるようなものはない。レストハウスやロッジの建物は、中をのぞくと近年あまり使われていないようすがうかがえるものの、異常はない。その背後の第2ペア・第3ペアは搬器を外されてはいるものの、そのままスタンバイしている様子。

ゲレンデ斜面につけられた車道を通って、ゲレンデ最上部の茶屋峠まで上がってみる。秋空の眺望を楽しもうと、他にも車でやってきている人々がいた。撤去された第7ペアの降場の場所は、駐車スペースになっていて、そこからわずかに歩くとコンクリート製の展望台がある。また、その付近から東に歩けば第3リフトの降場にたどり着く。山頂部一帯からは眼下にメインゲレンデ、その下にレストハウスやロッジ、さらに河岸段丘の向こうに越後三山や谷川連峰、苗場山などの山並みを望むことができた。この眺望を楽しみながら滑ることは、もうできなくなるのだろうか。(現地訪問:2015年11月)

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(左)ゲレンデ最上部(第3リフト降場付近)からゲレンデを見おろす。河岸段丘の向こうに谷川連峰や苗場山。(右)少し下った場所にある第2リフト乗場。

2015年11月03日

浦の原スキー場(伊那市/旧長谷村)

いまは伊那市に合併となった長谷村。主要な集落は国道152号と三峰川に沿った地域に点在している。国道から南東に離れた三峰川の上流、その山中に位置する浦という集落は、檀ノ浦の戦いに敗れた平家の落人「平維盛」の子孫が住み着いたといわれている。古老は「檀ノ浦村」と自称し、それが「浦」の地名の由来だという。

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(左)浦の集落。(右)小松氏先祖の墓(伊那市文化財)。

この浦の小松氏が平家の流れを汲んでいるとされ、小松家とその側近であった西村家では春彼岸中日に先祖祭をおこなっている。赤旗を竹竿につけて墓の生垣に立てる。その後、「小松内大臣平重盛卿」の文字が書かれた掛軸を床の間に掲げて、盛大な祝宴をあげるのだという。正確な歴史検証は今後に俟つ部分が大きいといわれているが、そんな話を聞くだけでもこの土地の歴史に思いを馳せてしまう。

この土地にスキー場があったことを知ったのは「長野県上伊那誌・現代社会篇(1967年1月)」の記載によるもの。同誌では「浦の原スキー場」について以下のように紹介されている。「伊那市から浦までバスの便がある。標高1,300m余り、三峰川の溪谷に面したスロープで、冬季は平均40〜50cmの積雪があり、初心者のスキーに適している。また、夏はキャンプ地としても好適である。」

また、昭和30年代後半から40年頃の地元紙には、この浦のスキー場についての記事を見ることができる。「例年ならば里に雪はなくても山岳地帯の浦スキー場は雪のない年がなかったが、この冬に限って淋しい冬(雪不足)だと関係者はこぼしている。(昭和40年1月)」「今秋拡張工事の完成をみた長谷村浦の原スキー場はさきの降雪で二十センチの積雪がありホツホツスキーを.楽しむ客が訪れている。(中略)あまり知られていないので、長谷村観光協会ではパンフレットを作成、新年早々には完成するので各方面へ配布する(昭和35年1月)」

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(左)浦の集落から西側の山並みを見る。前方の山並みの奥にゲレンデがあったというが。(右)浦の集落から見た仙丈ケ岳。

南信方面の山に登った帰りに、浦を訪れる。山中の道を車でたどり、「なんでこんなところに」と思える浦の集落にたどりつく。廃屋もあるのだろうが、しかし、思ったよりも多くの家が建ち並んでいる。集落の中で見かけた年配の方、数人にスキー場について尋ねてみる。ゲレンデは集落近くにあったと思っていたが、かなり西側の山中に入ったところだったようだ。「中沢へと越えていく途中の北斜面。窪地のようになっていて、そこは積雪が多かった。美和湖の方角も見渡すことができた」という。

浦の西側山中に上っていく林道あたりかと思ったが、そうでもないらしい。古老の話では「歩いて登っていくしかない。きちんと支度をして」とのことだった。そんな話から地図上で推測すると、入野谷山から北北東にのびる尾根がやや広くなったあたりかと思えるのだが、それでは西側の分杭峠あたりから入った方が早そうだし、スキー以前に最低でも標高差300〜400mの登山の様相を呈してくる。いずれにしても、この日はゲレンデの場所は特定できなかった。再訪の機会にあらためて調べたいと思う。振り返ると、谷を挟んで仙丈ケ岳が午後の光を受けて輝いていた。(現地訪問:2015年10月)