(左)桃源郷温泉の案内板と黒内果樹園の建物。(左)黒内果樹園内の小道から斜面上部を見る。
調べてみたところ「西霧野スキー場」と呼ばれていて、昭和初期にはスキー大会が開かれていたようだ。飛騨市の広報紙「広報ひだ」(2013年12月号)に古川町史編纂室による記事「飛騨市歴史探訪 西霧野スキー場から黒内果樹園へ」が掲載されている。それによれば、昭和17年(1942)の小鷹利村々勢要覧の添付地図で、現在の黒内果樹園の位置に西霧野スキー場を確認することができるという。
この要覧には「約1キロメートルのスロープにヒュッテが二棟あり、雪質は良好で冬季は大変賑わっており、定期自動車の便がある」と記されている。その後、同地では果樹園開墾の計画が進められ、昭和34年(1959)、西霧野スキー場は果樹園と桑園に開墾されてスキー場としての歴史を閉じたようだ。
(左)黒内果樹園内の小道から下部を見おろす。
飛騨方面に出かけた際に立ち寄ってみた。桃源郷温泉の案内標識に従って進み、その手前左手にあるフルーツパーク黒内果樹園の建物手前を左折、川を渡れば果樹園内の小道に入り込む。一面の果樹園は雪に埋もれている。見たところ果樹園は緩やかな斜面に立地していて、スキーで滑るのにはちょうどよい傾斜のように思えた。当然ながらスキーに関係する痕跡は見られなかった。
訪問時には果樹園は一面の雪に覆われていたが、季節がよければ、果樹狩りと温泉施設が隣接していて休日を楽しむのによい場所ではないだろうか。しかし、いまとなっては、ここでスキーが行われていた頃を想像するのは難しかった。(現地訪問:2018年3月)