2018年08月31日

黎明期の飯山のスキー場(その2)(飯山市)

前回に引き続き、「飯山スキー100年史(飯山市、2012年)」を参考にしながら、黎明期に飯山にあったスキー場を見ていきたい。

■大聖寺スキー場
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(左)大聖寺。(右)北飯山駅から大聖寺の裏の斜面を見上げる。

飯山市街地の北西にあり、昭和2年以降、全日本大学スキー大会の会場に数回なったという。場所は「神明ヶ丘スキー場の北方1.5kmほどの所にあり、曹洞宗大聖寺の裏山である」と記されている。北飯山駅の北西にある大聖寺の裏(西側)の丘陵斜面と思われる。この付近には寺院が集中しており、前回の英岩寺などと同様、寺院の裏山を利用したスロープだったのだろう。

■四宮スキー場
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(左)光明寺。(右)光明寺の小丘陵を西側斜面を見上げる。

戸狩野沢温泉駅の南西側、常盤の光明寺のある小丘陵の西側斜面にあったという。戸狩区の雪上運動会や分校の体育の授業などで昭和40年代まで利用されたようだ。西側の麓から見上げると、適度な斜度をもった丘陵となっている。

■長峰スキー場
現在の長峰工業団地付近にあったという。昭和6年に第4回全日本小学校スキー選手権大会がおこなわれた。正確な位置はわからないが、「長峰・南原工業団地」という案内板から針湖池あたりにかけての長峰山の北斜面にあったのではないかと推測している。

■塔ノ原スキー場
昭和5~6年に全国に紹介されるようになったという。飯山鉄道が後記の神明ヶ丘スキー場に誘客したのに対して、長野電鉄はこの塔の原スキー場をさかんに宣伝したようだ。場所は千曲川の東岸、其綿集落の裏(南側)、虚空蔵山783mの西側あたりの斜面ではなかったかと推測している。千曲川の側から斜面を見上げるとスキーに適した斜面に見えた。

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(左)「長峰・南原工業団地」の案内板。このあたりから右手奥にかけての斜面が長峰スキー場だったのか。(右)其綿集落とその背後の斜面を見上げる。このあたりが塔ノ原スキー場か。

2回に分けて、飯山市街地付近の黎明期のスキー場について見てきた。いずれも市街地に近い、ほんの小丘陵のような場所である。現在の大規模なスキー場と比べると、子どもの遊び場程度の斜面に思えるが、スキーの原点を思い起こさせてくれた。

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→ こちらもご覧ください 「黎明期の飯山のスキー場(その1)」
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2018年08月10日

黎明期の飯山のスキー場(その1)(飯山市)

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長野県民が「雪の多い町」といって思い起こすのは、まずは飯山ではなかろうか。豪雪地なので古くからさまざまなスキー場が存在していた。それらについて詳しく記しているのが「飯山スキー100年史(飯山市、2012年)」である。スキーの歴史を記した本には、意外とスキー場についての記載が少ないのだが、この本では充実している。

すでに本ブログで取り上げたスキー場や、現在も営業を続けているスキー場ももちろん掲載されているのだが、興味深いのは黎明期のスキー場である。まだ、スキーが伝わって間もない頃は飯山市内にあるちょっとした丘陵の斜面がスキー滑走の場となっていたようだ。ただ、これらも昭和30年代にリフトが整備された近代的なスキー場が開発されると姿を消していったという。この本を参考にしながら、そのスロープが現在どうなっているのか、場所がある程度特定できる範囲で見ていきたいと思う。

■片山スキー場
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(左)片山稲荷。右は「飯山市文化交流館なちゅら」。(右)高台から片山丘陵の北西斜面を見おろす。

同誌によれば「明治45年1月24日、高田師団スキー行軍隊がスキーの実演を行い、飯山の人たちが初めてスキー滑走を目撃した記念すべき日となった」とある。また、初の全信州スキー大会が大正13年に当地で開かれたという。現在の飯山駅北側、『飯山市文化交流館なちゅら』の西側に片山稲荷神社のある小丘陵がある。その場所は、この小丘陵の北西斜面だったということだ。

丘陵の北西側にまわってみると『市立飯山図書館』『手すき和紙体験工房』などの建物が立ち並び、その向こうに斜面が見える。現在のスキー場の規模から考えると、距離はわずかななものに見えたが、スキーをするのには適度な斜度と思えた。

■城山スキー場
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(左)西側斜面の道脇に「長野県スキー発祥の地」の看板がある。(右)本丸跡から西側への斜面。

「明治45年1月23日に市川達譲(妙専寺住職、飯山中学校教諭嘱託、レルヒ少佐のスキー講習会に参加)が『城山に登り、飯山中学校側の斜面を下って学校に出勤した』と手記に書いていますので、飯山で最初のスキー場といえます」とある。大正2年にはスキー競技会が開催されている。

飯山市街地にあり、飯山城跡として公園風に整備されている丘陵である。西側斜面から上る車道脇には「長野県スキー発祥の地」という看板も設置されている。また、「本丸から帯郭へ降りる階段をスロープとして練習しており、城山全体が練習場として使われていたことがうかがい知れます」とある。案内板のある西側斜面をはじめ、飯山城本丸があった最上部から各方向に適度な斜度があり、山全体がゲレンデであったこともうなづける。

■英岩寺スキー場
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(左)南側から見た英岩寺とその裏山。(右)北西側から見た英岩寺の裏山。

「『市川達譲氏は英岩寺山に於いて生徒にスキーを教授しつつあり成績頗る良好といふ』と昭和45年2月3日付信濃毎日新聞に記されている」とある。場所は北飯山駅から北に向かい、国道292号に出る途中、右手にある英岩寺の裏山にあったようだ。まさに里山の斜面のスキー場という感じがした。この付近には寺院が集中している。それらの裏山は黎明期には格好のゲレンデとなったようだ。

■坊主山スキー場
旧飯山国際スキー場付近とされている。面積が広く、当時は県下一の規模を誇っていたという。本ブログの『飯山国際スキー場』も参照願いたい。

■神明ヶ丘スキー場
後の飯山スキー場の場所にあった。現在の市営ジャンプ場を含む位置であり、飯山市街地のすぐ西側にあたる。本ブログの『飯山スキー場』も参照願いたい。

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(左)坊主山の斜面。旧飯山国際スキー場。(右)市営ジャンプ場を見上げる。

iiyamaimg001.jpg飯山市内の黎明期のスキー場地図。

→ こちらもご覧ください 「黎明期の飯山のスキー場(その2)」
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