

(左)南側からサンセットゲレンデの方向を見上げたところ。
子どもの頃、父親に連れられてよく行ったのが、この妙高パノラマだった。妙高高原(当時はまだ「田口」という駅名だった)の駅から、赤倉や池ノ平・杉ノ原などに向かう「大人」のスキーヤーたちを眺めながら、反対の方向にわずかに歩いたところ。その頃は車でスキーに行くなどという人はほとんどいなくて、みんな列車やバスを使ってゲレンデに向かった時代。駅からわずかな距離にあるこのゲレンデは、子どもを連れて行くには便利だったのだろう。
第1・第2・第3リフト沿いはナイター営業もあり、一時は「赤倉に行った帰りの列車を待つ間のひと滑り」などという使い方をする人もいたと聞く。駅前(駅裏?)ゲレンデのわりには道をはさんで5本のリフトがあり、そこそこの規模でそれなりのすべり応えがあった。私は小学校低学年の頃だったので、もっぱら第5リフト沿いで滑っていたと思う。その頃、どうだったか記憶が定かでないが、当初は道の南側が「妙高東山スキー場」、道の北側が「妙高大和スキー場」と別のスキー場であったようだ。
「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」には「袴岳(1,135m)の南西斜面に23haの広がりをもつスキー場で、越後富士と称される妙高山を中心とした赤倉・新赤倉・池の平の各スキー場をパノラマで望めるすばらしい景観の地にある。ゲレンデには最大42度のベテラン向きのバーンから、初級者向きの林間とそろい、ホテル直営で設備も完備し、あまり混雑もせず、ポール練習も充分にできると大学などのクラブ合宿に定評がある」と紹介されている。標高600~800m。スキー場開設は1972年(昭和47)となっているが、私は前記のとおり小学校の頃滑ったことがあるからこの開設時期は「妙高パノラマ」という名前になった時期と思われる。
「スキー場ガイド4 信越ビッグゲレンデ(1977年・スキージャーナル社)」によれば、「妙高高原駅の裏側にあたり、対面の赤倉一帯が一望でき、文字通りのパノラマ台。……斜面は最大42度の急斜面をもつ第2リフト、初心者用の第5リフトなどコースは短いが、初・中・上級とまんべんなく楽しめる。メインゲレンデは第3リフト沿いの中斜面で、女性スキーヤーがたむろしている」とある。7~8年ほど前までは営業していたはずだが(おそらく2003シーズンを最後に営業休止)、今はリフトの跡、ジャンプ台の跡が当時を振り返るよすがとなっているだけだった。


(左)第5リフト下あたりから見上げたところ。(右)第6リフトとジャンプ台。
こちらもご覧ください → 2013年09月06日妙高パノラマパーク(その2)
こちらもご覧ください → 2013年09月20日妙高パノラマパーク(その3)
妙高村の村誌によると東山は昭和39年12月の開業らしいですよ。