2009年03月15日

信濃平スキー場(その1)(飯山市)

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第1リフト下からスキーセンター、その上の第7リフト方面を見上げる。

信濃平スキー場は1963年の開業。黒岩山の東山麓に開かれ、飯山線沿線のスキー場の中では老舗といっていいだろう。飯山線の信濃平駅からは丘陵をひとつ越えた西側にあり、少し離れている。かつては戸狩と人気を分けるほどのポジションだったと思う。民宿街があり、東京方面からの団体客もあったはずだ。

ひとりで出かけようとしたが、駐車場がしっかりと案内されておらず、駐車する場所があるかわからなかったので、行くのを躊躇した記憶がある。その後に一度だけ訪れたときの印象では、規模のわりにコースはバリエーションに富んでいたと思う。民宿街から連絡リフト的な第1リフトでスキーセンターまで上り、その上の第6・第7リフト沿いがメインゲレンデ。第7リフト沿いの急斜面(最大斜度38度)を、地元の少年たちがかっとんでいたのが印象に残っている。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」によれば「黒岩山(標高939m)の東斜面20haにSAJ公認大回転バーン、山頂からノンストップ4kmの林間コースをはじめ、上級者向き2、上中級者向き1、中級者向き2、中初級者向き2、初級者向き1の合計8コースをもつ。スイス・グレーヘンスキー場と姉妹提携をしており、現役インストラクターのヨーロッパアルペンスキーの指導と、スイス人コックによる本場スイスの味が明るく陽気なアルプス並みのムードを盛り上げる」と紹介されている。

2001シーズンをもって営業を休止した。早すぎる終焉と思えたが、今にしてみれば比較的賢明な選択だったのかもしれない。いまはレストハウスなどの建物は残っているが、リフトの鉄柱などはきれいに撤去されている。前記のとおり、スイスのグレーヘンスキー場と提携していたので、民宿街にはそのマークが現在も掲出されている。(現地訪問:2009年3月)

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スキーセンター付近から第6リフト方向を見上げる。

こちらもご覧ください→「信濃平スキー場(その2)」
この記事へのコメント
1970年代に正月になると毎年訪れた青春時代の思い出の地です。
スキー学校に入って先生の後を必死になって滑りました。ある年は一緒に行った人が骨折し二人で抱えて大阪までつれて帰ったのを思い出します。
Posted by 植村行雄 at 2016年02月10日 11:02
私は1977年頃の年の暮れから和歌山の教育互助会という団体のツアーで行き、それから5年ほど行ったかな。生涯2度目のスキーでしたが、特徴的なゲレンデと民宿の蕎麦は今も覚えています。あっ、夜にも松明持ってスキーしたよ。青春そのものでした。消えてしまうというニュースには胸を締め付けられたことを思い出します。ゲレンデでも民宿でもワイワイガヤガヤたのしかったなぁ。又、行きたいわ。
Posted by 坂口智樹 at 2016年05月30日 21:39
1965年から3シーズンほど毎年行ってました。最後のシーズンは確か2ヶ月ほどいてスキー学校のお手伝いなんかしていたと思います。貸しスキー屋の叔父さんの大根煮に舌鼓をうち地酒をがぶ飲みし麓の宿までかっ飛んでぶっ倒れたことなど青春でしたね。機会あれば行ってみたいと思います。
Posted by 高橋栄 at 2017年03月10日 13:12
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