2009年03月22日

鹿沢スキー場(群馬県嬬恋村)

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(左)湯ノ丸から新鹿沢へ続く車道から、第一ゲレンデへ上る道(左側の雪に埋もれた坂道)。(右)第一リフト乗場があったあたりから第一ゲレンデを見上げる。右側直線に伸びるリフトの跡がわかる。

国民休暇村鹿沢スキー場というのが正しい名前だったと思う。鹿沢といえば今は鹿沢スノーエリア(鹿沢ハイランド)をさすのだろうが、以前はこちらの存在価値も大きかった。20年ほど前には、私の職場(東京)のスキー仲間にとってはホームゲレンデのような存在だった。1996シーズンを最後に休止となり、現在はリフトの跡もきれいに撤去されて、ゲレンデに一部樹木が茂り自然に還ろうとしている。湯ノ丸へのツアーか、もの好きなスノーボーダーたちかが滑った跡もあった。

シングルリフト3本というシンプルな構成だったが、中級(第1・最大26度)・上級(第3・最大34度)・初級(第2・最大21度)とレベルに応じたゲレンデを備え、それらが林間コースで結ばれていて、けっこう機能的だったと思う。湯ノ丸スキー場へも、雪原の道なき道をたどって行くことができた。とくに新雪の後の第3ゲレンデはとても魅力的だった。周辺のスキー場は強風でリフトが止まることが多かったが、ここは前(東側)にある山が風を防いでくれるのでコンディションが良く、人が少ないこともあって、のんびりと、しかし滑り応えのある時間を過ごすことができたと記憶している。

ずいぶん昔には、12時になるとリフトを止めて係員が昼食をとっていた、という話を聞いたことがある。ろくな施設もなく、駐車場は道沿いの路肩のようなスペース。中腹に簡単な食堂があるくらいだった。車道を少し新鹿沢側に下ると紅葉館という鹿沢温泉の元湯がある。この地は雪山賛歌発祥の地でもあり、山の世界では歴史のあるところ。東御市の新張を一番とする百体の石仏が地蔵峠(湯ノ丸)を越えて、この地まで続いており、紅葉館の横に百番千手観音がある。百体の石仏は、このゲレンデにわれわれを誘ってくれるように思えた。

老朽化したシングルリフトを架け替えるような投資をする価値はないと考えられ、営業が休止となったのだろうが、それもやむをえない。周囲にはもっと規模の大きいゲレンデもあるのだから。自然の中に戻っていくのがふさわしいのかもしれない。

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(左)第一ゲレンデ中腹から第一リフト乗場付近を見下ろす。

こちらもご覧ください→「鹿沢スキー場(その2)(2009年9月5日)」
           「鹿沢スキー場(その3)(2022年6月26日)」
この記事へのコメント
偶然、この記事を発見して、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
私も20年ほど前、スキーを始めたばかりの頃、ホームゲレンデのように使っていた懐かしいスキー場です。空いていて、基礎練習が十分できました。
書かれているように、お昼になると、係員が昼食でいなくなるのですが、リフトが動いたままの時がありました。まだ節電とか、あまり意識されてなかったのだと思います。それで、何度か、係員のいないまま、一人でリフトに乗ったり降りたりしていました。(女性ですが、一人でスキーに行くことが多かったのです。)
別の日に行くと、やっぱり何かあっては責任問題になると思われたのでしょうか。お昼にはリフトが止まりました。
このゲレンデが廃止されたのは残念ですが、木々が生えて自然の中に戻るなら、山もほっとしていることでしょうし、それはそれで歓迎です。
Posted by ファーグロ at 2013年03月11日 02:28
ファーグロさん コメントありがとうございます。あの頃は、鹿沢をホームゲレンデにしている方もけっこう多かったのではないかと思います。シングルリフトだけで、ろくな施設も無かったのですが、なぜかまた行きたいという気になるゲレンデでした。
Posted by 急行野沢 at 2013年03月11日 09:27
このスキー場に初めて行ったのは、平成3年、社会人2年目の頃、会社の友人たちと国民休暇村鹿沢に泊まって滑りました。空いていて、木々に囲まれひっそりとしている感じがとても好きでした(ちょっと赤沢に似ている)。ゲレンデ内のレストハウスも山小屋風で良かった。その後、山スキーを始めたばかりの頃、練習として、この国設鹿沢のリフトを利用し、湯ノ丸山、角間峠等をめぐるツアーをしてとても楽しかったことを憶えています。鹿沢の最上部のリフトが使えると、ツアーがとても楽になるので、無くなったことは残念でした。
Posted by スキ好き at 2019年12月02日 11:19
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