ごりん高原スキー場は、1987年12月に西武系のスキー場として開業。2007年3月をもって所有していたプリンスホテルが廃業を表明した。当時の記録を見ると、同時に全国にある西武系の11箇所のスキー場を廃業することが報じられている。現地のイメージダウンにならないように、植林をして山林を復活させるとしている。
湯田中の温泉街のはずれ、山ノ内町の社会体育館の隣に湯田中ロープウェイ乗場があり、これに乗って五輪山の山頂部にあがると、ゲレンデが広がっていた。ゴンドラ1基とペアリフト1基のシンプルな構成で、滑走距離はかなりあったけれど、初中級斜面が多く、上級者には少し物足りないかもしれないと思われた。
私は1990年の正月休みに一度だけ訪れたが、まだそこそこスキー人口があった時代の正月休みなのに、すいていて、ゴンドラやリフトを待つことはなかったと記憶している。ロープウェイで標高を稼いでいるので、雪質はそれなりに良かったと思う。湯田中や渋の温泉に泊まって、手軽にスキーを楽しみたいという場合には便利だっただろうが、しかし本格的にスキーをしたい人はここまで来たなら、志賀高原へ足をのばしてしまうだろう、と思っていた。
ゲレンデへのロープウェイは、鉄柱なども含めきれいに撤去されていた(写真・左)。かつてのロープウェイ乗場の下には、ゲレンデマップが掲出されたままになっていた(写真・右)。道路地図などを見ると林道を使ってゲレンデまで上れそうだが、そのあたりはまだ深い雪に覆われていた。その道をたどるのは、またの機会にしたい。
こちらもご覧ください→「ごりん高原スキー場(その2)(2011年7月10日)」
懐かしい!!
ここは、堤義明氏の索道マニアっぷりが遺憾なく発揮されたバカバカしいまでの凄みのあるスキー場でしたねー。
あんな立派なロープウェーに乗ってやっとベースという…(^_^ゞ
こりゃあ、儲からないな、趣味の世界だな…なんて言いながら、滑ったのもいい思い出です(笑)
もともと政治的取引で開発されたスキー場でしたから、散り際もあっけなかったですね…。
まぁこのスキー場が出来たおかげで、堤プリンスは悲願の志賀高原進出、焼額山にホテルを建設することが出来たのですから、それはそれで意義はありますね。