2009年04月11日

七巻スキー場(その1)(野沢温泉村)

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(左)かつて渡し舟があったあたりの千曲川の流れ。左に桑名川駅、右が七巻。(右)七巻スキー場の跡地。少しゲレンデを登ったあたりから、リフトの痕跡と崩れかけた建物を見おろす。

七巻という地名は、古くから野沢温泉スキー場(上の平)からのツアーコースの終点として知られている。その七巻集落から少し山の中に、つまりツアーコースからいえば終点の直前に、七巻スキー場があった。

一方、七巻といえば千曲川の渡し舟でも知られていた。現在、国道117号は七巻集落のある千曲川右岸を走っているが、かつては千曲川左岸につけられていた。飯山線の桑名川駅も左岸にあり、そちら側に主要交通路が集中していたが、この付近には橋がなく、七巻集落から桑名川駅などとの間の往来はこの渡し舟に頼っていたようである。舟は通常、右岸に寄せられていて、対岸に舟があるときは一斗缶を叩いて合図をしたという。船賃は50円だったらしい。

はじめて七巻スキー場のことを耳にしたときには「そのスキー場に行くには、渡し舟に乗らなければならない」といわれ、たいそう驚いた記憶がある。残念ながら私は訪れる機会がなかったが、1970年代のスキーツアーの記録によれば、七巻にくだった後、渡し舟に乗り、桑名川駅から飯山線で帰途についたというものがいくつも見られる。せわしない今日ではローカル線と渡し舟に乗ってスキーに向かうなどという旅情が味わえたら、それは一種の贅沢だと思うのだがどうだろうか。その渡し舟も1983年に廃止されている。

さて、七巻スキー場は1967年12月に開業し、1982年に閉鎖となっている。国道117号から七巻の集落内を通り、南の方向に棚田の中を上っていくと右手にコンクリート製の人工物の痕跡が残っている。近づいてみると、リフト乗場のコンクリートの基礎部分と、その隣に崩れかけたトイレ、そして今は物置になっているらしい食堂の建物が隣接している。古いスキー場ガイドを見ると、500mのシングルリフトが1基あることが記されている。ゲレンデには低い木々が茂り始めていたが、北斜面でもあり、4月のこの時期にも中腹には残雪が見られた。シンプルな構成のゲレンデだったようだが、近場の人々が楽しむほかは、野沢から滑ってきた人たちが仕上げのひと滑り、という程度に過ぎなかったのではなかろうか。

北信州のしみじみとした歴史の中に、千曲川の渡し舟とともに、このゲレンデの記憶もとどめられることを願いたい。

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(左)低い木々に覆われ始めているゲレンデ。(右)「冬の信州'81」を参考に作図。

*当初、「七ヶ巻(なながまき)スキー場」として記載しましたが、当時はもっぱら「七巻(ななまき)スキー場」と呼ばれていたようなのでそちらに変更しました。

こちらもご覧ください→「七巻スキー場(その2)」
この記事へのコメント
こんにちは。先日図書館で借りた本の中に飯山線の記述があり、七ヶ巻スキー場の事を知りました。確かにスキー場は閉鎖したと書いてあったのですが、手持ちの15年くらい前の道路地図を開いてみたらスキー場有りの表記がされていました。気になって検索してみてこちらのブログにたどり着きました。やはり閉鎖されてたんですね。渡し舟で行くスキー場なんてすごい所だったんですね。ただ驚くばかりです...
Posted by おう at 2009年06月28日 09:24
コメントお寄せいただき、有難うございます。私も少し古い国土地理院の1/5万の地図にまだリフトの記号があったので、行ってみる気になりました。昔はスキーひとつするのにもいろいろたいへんだったと思います。
Posted by 急行野沢 at 2009年07月01日 21:53
こんにちは。

七ヶ巻スキー場のことですが、「車で楽しむスキー場ガイド」西日本編 1992年版には七ヶ巻スキー場の記載はありました。
Posted by perfume at 2010年06月16日 20:25
数年前から七ケ巻少しずつ調べていたのですが、写真・記事ばっちり。ありがとう。
私は73歳。20代のころ新聞の旅記事で写真付きで掲載されていたのが頭にこびりついていたからです。
20年ほどまえ野沢のスキー場で半日遊んで午後、灯篭ぎ峠(?)からツアーコースがあるという古いガイドブックを信じて単独でツアー。広い尾根筋を快適に滑っていったら樹林帯。標識はなくやみくもに遠くの人家めざして滑って行き、無事生還。冷や汗どっと。ツアーミステークでした。消えたスキー場写真、探して投稿します。
Posted by かわいひふみ pn 球爺 at 2011年01月13日 12:02
七ヶ巻の思い出をお寄せいただき、有難うございます。単独での野沢からのツアーとは驚きです。ほかにも昔のスキー場の写真や情報をお持ちでしたら、お寄せいただけると幸いです。
Posted by 急行野沢 at 2011年01月13日 22:26
「七ヶ巻」スキー場、、、懐かしいですね~ 確か、当時は、「七巻(ななまき)」スキー場と呼んでいたと思います。
学生時代、友人と3人で、東京から夜行に乗って、2回行きました。民宿に泊まって、楽しみましたよ。
「渡し船」ありましたよ! ワイヤーを張っていて、船頭さんが、ワイヤーを引っ張りながら、向こう岸に渡りました。
雪が深くて苦労したのも、懐かしい思い出ですよ、、、!
Posted by japan5374 at 2011年01月31日 10:25
「渡し舟」に乗ってこのスキー場に行かれた体験談をお聞かせいただき、有難うございます。いまどきこんなスキー場があれば、かえって注目をあびそうですね。
確かに「ななまき」と呼ばれることが多かったと思います。現在の地名表記は「なながまき」のようなので、それに従いました。
Posted by 急行野沢 at 2011年01月31日 13:16
七巻懐かしいスキー場です。私も何度も尋ねたことがあり、家山荘と言う民宿に何時もお世話になっていました。どなたか今如何して居られるかご存じないでしょうか?
ぜひまた尋ねたいと思います。
Posted by シゲ at 2011年09月01日 14:45
32年ほど前このスキー場に行きました。大変懐かしいです。友人の親戚の知り合い(^^)が民宿をやっているということで連れだっていきました。確かに雪の降る中を渡し船に乗って(当時なので長いスキーを手渡しで運びいれながら)結構速い流れで、氷の塊がどんどん流れていく川を渡りました。 民宿では大変歓迎されましたが、当時でも客は我々しかいなくて、宿の兄さんが、スキーをするというと、一緒にリフトの運転に出かけてくれるという状況でした。^^
Posted by おおたろう at 2012年02月09日 20:49
おおたろうさん 渡し舟の話、お寄せいただき有難うございます。雪の降る中では結構大変だったのでしょう。
Posted by 急行野沢 at 2012年02月10日 22:10
昔行ったスキー場を調べていたらここに着きました。39年前高校1年生の時友達3人で行きました(上に同じ事書いてあるけど一緒に行った友達かな?)、上野から夜行に乗り長野で乗り換えて桑名川着、凍った船着き場から渡し船で七ケ巻へ(昔は七巻(ナナマキ)スキー場と言ってました)、民宿がわらぶきで2400円で泊まれたんです、泊まった民宿の隣の中学1年生のパトロールをしていた小林君と仲良くなりました、そのとき貰ったランプ今でも持っています、上に書いてあるシゲさんも一緒に行った友達かな?スキー場から道を滑って降りてきたところにあった店のコンニャクうまかったなー、すごく懐かしいです。
Posted by ノム at 2012年02月22日 00:23
懐かしいスキー場です。
5~6才位に数回行きましたが
その後すぐ閉鎖になってしまいました。

上級者コースに入ってしまいボーゲンのみで苦労して下った事、食堂でのおにぎりなど断片的ではありますが思い出しました。

ちなみに、ななまき地区にはまだ渡し舟のワイヤーを張っていたと思われるやぐら?や、待合所が残っています。
Posted by 元村民 at 2012年08月29日 19:54
昭和51年、その年は何十年ぶりかの大雪の年でした。大阪からバスで新潟の津南へ向かい、明け方長野で除雪車からまさかの通行止めを言い渡され オマケにバスからも降ろされ列車に乗りました。一駅進むのに何時間もかかり 桑名川の駅で立ち往生。夕方になり車内放送が流れ、これ以上今日は進め無いので今夜の宿は国鉄が手配致しますとの事。皆で荷物を抱え、もちろんスキー道具も抱え 案内人の後を歩き 辿り着いたところは千曲川の渡し船。ワイヤーに吊るされた一斗缶を叩くと向こう岸から船頭さんがワイヤーを手繰りながら船で迎えに来ました。どこに連れて行かれるのだろうと不安な気持ちで川を渡り今度は膝まで埋まる雪の中を歩き民宿へ。次の日七巻スキー場で昼まで滑り、又川を渡りいざ津南へ!しかし期待を裏切らずやはり大雪…夜になってやっとこさ津南に着きました。帰りも津南の駅で列車を待つこと数時間。予定を何時間も過ぎて松本駅で行きしのバスに合流し雪で渋滞する国道を通りようやく大阪に帰りました。年齢のせいか、この頃昔の事をよく思い出しては調べてます。七巻スキー場のポスターのキャッチフレーズに「こんなに近かったの?ってよく言われます!」と、あったのを鮮明に思い出しました^_^あんなに大変な思いをしたことも今では懐かしく思います(^○^)
Posted by バジル at 2015年05月24日 23:15
確か昭和51年だったか初めて雪の上を滑ったのは野沢温泉、その時は6mをこす積雪で、長坂ゲレンデだったか近くの民宿も郵便局も穴倉に下りて行くようで踏み固められた路地は二階の高さほどだった。そのまだ昔は野沢温泉も船で渡ったようで、野沢小唄などでも歌われていましたか。今シーズンは久しぶりに行きます。新幹線は関東からも関西からも便利にしてくれました。
Posted by kahboow at 2015年07月05日 17:41
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