まだ、「野辺山スキー場」という名前だった1992年2月に東京から友人と2人で出かけた。その時の印象は、人工雪のハードバーンの多いスキー場で、レース派や本格志向の滑り屋が集まっている感じだった。やはり、その後2004年に経営主体が変わり、レース派に的を絞った運営にしたようだ。もともと積雪の多い地域ではない。首都圏からの近さがメリットだったが、間近に大泉清里・ザイラーバレー(シャトレーゼ)などといったゲレンデも林立していた。私の感覚では「新しいスキー場」という感じがしていたが、1984年開業というからもう20年以上営業していたことになる。
日本で最も標高の高い小海線野辺山駅から、宇宙電波観測所を過ぎた先にあり、飯盛山の北面に3列のリフトが平行にかかっている。駐車場に一番近い西側がいきなり上級コース(レッドコース)で、そこを通らないと東側の初・中級コースに行きづらいので、初中級者や家族連れにはなかなか足を運びにくいゲレンデだったのではないか。それを逆手にとって、レース派に絞ったのだろうが。
「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」によれば「野辺山高原飯盛山(標高1,650m)の北斜面11haに、2基(当時)のリフトが架設され、4コースとなって展開する。トレーニング専用バーンもあり、常時整備されているのでポール練習もできる。標高が高く冬期はつねにマイナスの気温で、人工降雪には最高の条件にあり、スノーマシン3基・スノーガン24基を各ゲレンデに配置し、降雪によってゲレンデはベストコンディションに整備されている。東京から2時間30分と交通の便もよい」と記載されている。最大斜度30度。
昨年秋に2009シーズン(2008年12月~)の営業を行わないとのニュースが飛び込んできた。南牧村は新たな経営主体を探している模様だが、いろいろなニュースを聞くにつけ、存続の可能性は楽観できないようだ。山梨方面に行く用があって、その帰りに寄ってみた。当然ながら、現地にはリフトやレストランなどの施設もそのまま残され、再びスキーヤーが訪れる日を待っているように見えた。振り返れば、残雪をまとった八ヶ岳が午後の陽に輝いていた。
確かに人工雪らしい固いバーンで、エッジングの練習にはもってこいでしたが、長時間の滑走は体力が必要でしたね。
15時を過ぎるとゲレンデの大半が日陰になって、えらく冷え込んだ覚えがあります。
懐かしいです。
スノーマシンを九州に移動ですか。すごいですね。
やはり少々無理してつくったスキー場ということになるのでしょうか。
野辺山で10数年前にテクニカル取りました。駐車場で車中泊したのですが、かなり冷えて、寒くて夜中トイレに起きました。駐車場の寒暖計がマイナス25℃を表示していました。
次の日の検定が野辺山お得意のカリカリのアイスバーンで、一発目が急斜面小回りでした。硬いコブでしたが、手堅くこなし、その後、得意のはずのロングでスタートからかっ飛ばしすぎて、最初のコブで失敗ジャンプした記憶が鮮明に蘇ってきます。
野辺山のテククラ合格者は、食堂に合格年毎にネームプレートが貼られるのですが、自分の名前があったことが懐かしいです。
固いバーンの練習には最適で、友人と良く通ったものです。
以前東京に住んでいましたが、わけあって10年ほど前に北海道に戻りました。
野辺山スキー場は休止してしまったんですね。ちょっと驚きです。1980年後半頃から1990年前半まで毎冬一度は訪れた馴染み深いスキー場なので、残念です。
野辺山の駐車場は土日祝日は有料でしたが、夜間は無料になるので、よくナイターを利用していました。寒いけれど、夜になると風がなくなるし(日中は結構風が強かった)、ロッジも空いていたので私のお気に入りでした。
野辺山スキー場での草レースにも参加したことがあるのですが、バーンが堅く、転んで痛い目にあったことを覚えています。でも今では楽しい思い出ですね・・・
北海道でもたくさんのスキー場が閉鎖になっていて、さびしい思いです。マイナーなスキー場ですが、上砂川国際スキー場という空知にあるスキー場もなくなってしまいました。ここは学生の頃によく行っていたスキー場で、ひなびた感じがいい味出していたのですが。
野辺山は料金が高くていつもザイラーバレー
に行っていたんですが、野辺山もどこかに
買収されていれば、存続していたかもしれませんね。
スノボー客お断りだったのでは・・・
2000年のスキー場ガイドを見ると、スノーボードは「コース限定(スーパーレッドコース・レッドコースは不可)で全日滑走可能」となっていますので、お断りではなかった時期もあるようですね。