
(左)リフトの痕跡が前方のピークまでのびている。
聖高原がさかんに開発されるようになったのは1970年代だっただろうか。当時、中学校の友人たちと聖湖畔で夏のキャンプ生活をした記憶がある。1976年には、篠ノ井線麻績駅を「聖高原駅」と改称したくらいだから、当時の地元の開発への意欲がうかがえる。しかし、最近は再び由緒ある「麻績」に駅名を戻してもいいのではないかという話も漏れ聞いた。
そんな聖高原の一角、聖湖から旧大岡村方面に向かったすずらん湖畔、三和峠付近に少し古いスキー案内書や地図だとリフトの記号が記載されている。ここにあったゲレンデは、聖高原第2スキー場(別名:すずらんゲレンデ)とされ、聖湖に近い第1スキー場(現在も営業中の聖高原スキー場)と区別されていた。残念ながら営業当時に訪れる機会はなかったが、長野方面からも松本方面からもアクセスはかなり悪い場所ではある。はっきりとわからないが、1968年に営業開始。1993シーズンには少なくとも営業を中止していたようだ。ここからすぐ西にあり、来シーズンで営業終了が決まっている聖山パノラマも似たようなアクセス条件にある。
聖湖から三和峠に向かう途中の左側のすずらん湖の湖畔を約半周すると、「奥聖水芭蕉園」の立札がある。地元の努力により水芭蕉の群生地になったものだと聞く。ここから湖畔を離れて左の山中に車を進めると、この水芭蕉園の最上部に出る。ここから少し山腹を登ると、リフト乗場と思われる平地に出るが、リフト乗場の痕跡を示すものは何も残っていない。地図によれば、正面に見える小ピーク(1308m峰)に向かってリフトがかけられていたようで、そのリフトの跡と思われる場所が山頂に向かってまっすぐ切り開かれている。ゲレンデは山頂に向かってリフトの左側にあったようで、最大斜度30度の上級コースはここにあったのだろう。背の高いススキがその場所を覆っている。もう1本平坦地にも初級コースのリフトがあったようだが、その痕跡もよくわからない。
地元では、植林などして豊かな森林に戻す取組みをしているらしい。まさにゲレンデの痕跡は自然の中に消え去ろうとしているが、その一方、湿原では白い水芭蕉の花がちょうど見頃を迎えていた。


スキー場跡地は水芭蕉園に生まれかわっている。
こちらもご覧ください→「聖高原第2スキー場(その2)(2016年3月17日)」
聖高原第二スキー場とあったのでびっくりしました。
私が小学生のころに一度だけここで滑ったことこがあります。今から40年前になります。当時でさえ、ここのリフトは動かしていませんでした。父親が長野県の公務員でしたので、連絡して動かしてもらった記憶があります。独占状態でした。でも、ゲレンデは初心者用と上級者用なのでぜんぜん面白くないスキー場でした。
なのですぐに聖高原スキー場に移動しました。
そんな昔を思い出し、懐かしさを感じたしだいです。
聖山パノラマスキー場(旧聖ヶ岡スキー場)も今シーズン限りで閉鎖とのことです。
知っているスキー場が次々になくなっていきます。こんな時代なので仕方ないのかもしれませんが、寂しい限りです。
でも山にとってはいいことなのかもしれませんね。
今後に期待します。