

(左)現在ハイキングコースになっている道が、ゲレンデ斜面を登っている。 (右)尾根を辿ると坪岳山頂。その向こうに妙高山の展望。
関山駅付近から妙高山の山麓にある関・燕の温泉に向かってまっすぐ上っていく道がある。その道沿いには、国民休暇村スキー場や妙高スノーパークなどといった緩斜面のゲレンデがあるが、そのあたりから少し北に入った坪岳という小丘陵の南斜面に、坪岳スキー場は開かれていた。
「坪岳ハイキングコース」という標識をたよりに車を進ませる。未舗装の道になり、少々不安になりながら進むと、広場のような場所に出る。
目の前には、いかにもスキー場に適した斜面が広がっているが、ここが坪岳スキー場の跡地だった。ただ、リフトの跡など痕跡は何も残っていない。かなり急な斜面だが、ジグザグに林道がつけられて、ハイキングコースはそこを進むようになっている。おそらくはまっすぐ滑り降りれば最大40度という上級コースであり、ジグザグに滑れば初中級ということだろう。目の前の斜面にリフト1本(270m)がかけられていたと思われるが、リフト終点から左に、気持ちの良いカヤトの尾根を辿れば、わずかで坪岳の山頂に至る。山頂からは正面に妙高山、そのほか360度の展望が開ける。かつてのスキー場ガイドにも、「山頂から2kmのコースどりができる」という記載がある。
「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」には「坪岳(標高750m)の南東斜面に位置し、1.5haと小規模ではあるが、なだらかな初級者コース、やや急な中級者コースとあり、スキー技術をマスターするのに適している。標高747~670m。スキー場開設は1961年(昭和46)。坪岳第一リフト266m。1回券70円、6回券350円」と紹介されている。
「スキー天国にいがた(1975年・新潟日報事業社)」によれば「東京学芸大学附属高の特別教育活動の施設として利用されていて、初中級向けに最適」とある。関山駅からバス15分、かつては妙高村主催によるスキー選手権大会やスキー講習会会場にとして利用され人気があったようだ。営業休止は現在まで入手している資料でははっきりしないが、90年代の中盤頃と思われる。私は残念ながら営業中に訪れたことはないが、良く晴れた日に山頂に登れば、頚城山塊をはじめとする周囲の雪山の眺めは、さぞかし素晴らしかっただろうと思われる。


ドカ雪になると雪上車で延々圧雪作業をしないと
ゲレンデに行きつけません。結局、昼食後リフト
運転に漕ぎ着け、無料開放!だったりしました。
国立大学付属校が管理したスキー場
古き良き昭和の遺構のみが残ります