

(左)ゲレンデ最上部付近から見下ろす。 (右)ゲレンデ中腹に建つホワイトハウス(第3リフト乗場付近)。
戸狩スキー場は小学1年のとき、竹スキーなどではないまともなスキーを初めてしたところで、私にとっては思い出深い。その戸狩に隣接して、信濃平との間にあったのが、戸狩小境スキー場。その名前は、戸狩などに出かけたときによく耳にしていたが、ついに訪れる機会はなかった。1973年から1983年まで、10年あまりの営業期間だったようだ。
小境の民宿街から少し登ったゲレンデ中央だったと思われる場所に、ホワイトハウスと呼ばれていた建物が無残な姿をさらしながら残っているのが印象的だ。パトロールやスキー学校も入っていた建物らしい。ゲレンデ周囲には家屋が入り組んで、その境界が不明確なところは、古いゲレンデらしい。民宿が主体のスキー場で、「冬の信州(1977版)」には「なんといっても民宿や駐車場からスキーをつけてそのままゲレンデに行ける便利なファミリースキー場」との記載がある。
「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」には「豪雪で知られる飯山市の北方に位置し、昼はのんびりスキーで楽しみ、夜は名産のえのき茸を使った郷土料理と地酒でゆっくりくつろげる静かで人情味豊かな豊田の里に開かれている。(中略)近くに戸狩スキー場があるためか、平日は比較的すいているので、スキー合宿には最高の条件」と記載されている。
信濃平と戸狩を結ぶ県道のすぐ西側からシングルリフトが1本(540m)。それに沿って初級コース。その右手上のホワイトハウス近くから、もう1本シングルリフト(600m)があり、それに沿って上級コース。そして大きく迂回するように中級コースがあったようだ。いまは一面畑地になり、スキー場の痕跡を残すものはあまり残っていない。
「長野県スキー史」によればリフト3基とロープトウがあると記載されているが、「飯山市スキー史」には、「リフト増設について何回か検討されたが計画は進展を見ないまま小規模なスキー場としての運営を余儀なくされた……」とあるから、リフトは結局2基のままだったのだろう。後発スキー場でありながら、戸狩などにくらべると立地条件にも恵まれず、1983年に閉鎖後は、戸狩スキー場へのスキー客送迎により民宿経営を続けたようだ。
夕刻の畑地の斜面に立つと、正面には野沢の毛無山や志賀高原の山々を望むことができた。(現地写真:2009年5月)

(左)第一リフト乗場付近からゲレンデを見上げる。(右)「冬の信州'81」を参考に作図。
記憶は殆ど残っていませんが,私の写真に写っているリフトは概ね上図のような2本だけです.