壊されたままの建物と、今はカラマツ林となっているゲレンデ跡地。
以前、志賀草津道路が有料だった頃には上林に料金所があった。その料金所からわずかに上った場所を左折。角間川、さらには本沢の流れに沿って、渓流沿いの未舗装の林道を進むと、無残に壊されたままの2つの建物の跡に出る。ここに安南平スキー場のホテルやレストランがあったようだ。周辺には当然、他の建物もなく、最盛期にはこの建物にさまざまな施設が備えられていたようだ。壊された建物の一角にスキー板やブーツなども転がっているので、スキー場だったことがわかる。
坊寺山の西側山麓にあたる場所で、ここから東側に向かってシングルリフトが2本架けられていたようだ。その場所は今は若いカラマツの林となっていて、リフトの痕跡もなく、デレンデであった頃をしのぶことはできない。どちらかというとレース派向けのゲレンデだった模様。残念ながら営業当時、訪問することはできなかったが、1980年から1986年までという短い営業期間だったようだ。
「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」には「志賀高原の坊主山(標高1,839m)の西斜面に、タイムレース用器具の設置されたタイムレース練習用ゲレンデ、一夜でアイスバーンをつくりだすパイピングがセットされたアイスバーン専用ゲレンデ、ビデオ装置を設置したコースなどがあり、科学的に技術分析したトレーニングができる。競技派向きスキー場で、スキー合宿に最適。昭和56年にはインターハイ、インカレ、岩岳学生大会出場のスキークラブ合宿に利用された」と紹介されている。第1リフト(491m)、第2リフト(550m)の2基が設置されていた。
アクセス道路が悪路ではあるが、整備すれば志賀高原の玄関口のスキー場として、ファミリーなどの集客が可能だったのではなかろうか。そんな幻想もいだかせる。(現地訪問:2009年4月)
オリンピック前には入り口の看板がありましたがもはやわからなくなりました。
情報ありがとうございました。