

(左)リフト乗場からゲレンデを見上げる。(右)リフト乗場にある看板にはかすかに「大平スキーリフト」の文字が。
今は中野市の一部となってしまった旧豊田村。長野市から見ると飯山や斑尾の手前にある感覚なので、近年、斑尾高原豊田スキー場が開設されるまでは、豊田村にスキー場があったとは思わなかった。「豊田村史」「長野県スキー史」によれば、昭和40年代には「涌井スキー場」「大平スキー場」がこの村にあったという。それらのスキー場の位置がわからなかったのだけれど、昔の国土地理院の地図(1/5万:中野)を見ると、北永江の集落の北東に索道の記号が掲載されている。大平スキー場はこの場所にあったようだ。
「豊田村史」によれば「1967年に地元有志により斑尾観光開発株式会社が設立され、翌1968年に大平山に初級者から上級者まで3コース・リフト1基(350m)・食堂・売店等が建設された」とある。長野方面からの交通機関の便もよく、雪質が良いことで脚光をあびたらしい。確かに飯山線替佐駅からバスなどを使えば、長野方面からもそう遠くはない。最寄の北永江の集落に民宿も開設され、近場のスキー場として親しまれたようだが、雪不足やスキー客の減少などで1975年に閉鎖に追い込まれた。
上信越道の豊田飯山ICの近くから、農道のような道を少し車で上ると道の脇にリフトの残骸があらわれた。リフト乗場の看板にはかすかに「大平スキーリフト」の文字も読み取ることができる。斜面を北に向かってリフトは上っていくが、ゲレンデだったと思われる場所には草木が生い茂っており、ヤブを掻き分けてようやく最初(2/7)のリフト鉄柱にたどり着くくらいが精一杯だった。リフト乗場に戻れば、眼下に上信越道の豊田飯山ICや国道117号の道の駅を見ることができる。
現在の積雪では、とてもこのあたりではスキー場は開設できないと思う。ここにスキー場があった時代を回想するしかないだろう。

(左)リフト途中の鉄柱も残っている。
こちらもご覧ください→「大平スキー場(その2)」
父や叔父が颯爽とリフトで頂上に向かうのを幼かった私はいつ戻ってくるのかヤキモキしながら食堂前で待っている姿を今でも覚えています。