2009年07月17日

牧寄スキー場(白馬村)

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(左)鬱蒼とした樹林の中にリフトが残されていた。(右)ゲレンデがあったところもこんな樹林帯に。

スキー人口が減少し、オーストラリアなどからの誘客に力を入れているとは聞くものの、「白馬」のウィンタースポーツにおけるネームパリューは依然として大きいと思う。八方・五竜・岩岳といった名門スキー場は、今も多くのスキーヤーを魅了してやまない。もともとそんな大規模なスキー場ばかりだったのかと思っていたが、創成期には今は存在しない小さなスキー場もあったようだ(参考資料:小林詢教授先生退官記念論文集『山・雪・地形』小山桂子・小林詢「放置されたスキー場における植生変化」)。

そんな中のひとつである牧寄スキー場は、大糸線・信濃森上駅の北にある丘陵の西斜面にあった。1962年に、谷状の地形に長さ700mのリフトが設置され、営業当時はカヤ場と兼用されていたという。スキー学校も開校され、検定も実施されていた。しかし、岩岳スキー場の開発が進むのにつれスキー客もそちらに移っていき、1969年にリフト営業は休止、1973年にはスキー学校も閉校となった。白馬村公民館のスキー大会が牧寄スキー場の最後の催しだったという(「白馬の歩み」より)。その年代には、まだスキーをする年齢になっていなかった私は訪れたことはなかった。

国道148号線で白馬村の中心を過ぎ、小谷方面に向かう。岩岳入口の交差点を過ぎて、すぐに左折して山麓まで農道を進むと「軽自動車以外進入禁止」の標識。さほど荒れていない林道を進むと、ときどき大きなカーブを切りながら右手の丘陵を上っていく。坂が緩むと右手の鬱蒼とした森林の中にリフトの残骸が見えた。ヤブをこいでリフトに近づいてみると、1本だけあったシングルリフトが営業時ほぼそのままの姿で残っているのだった。

乗場の前はやや広い草地となっているが、周囲のゲレンデの痕跡は樹林帯の中に飲み込まれてしまっている。リフトに沿ってゲレンデがあったと思われる樹林の中を進もうとしたが、ヤブが深くてこの季節にはとても進めるものではなかった。現在の「白馬」のイメージからはややかけ離れた、小丘陵に位置する小さなゲレンデの姿がしのばれた。

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(左)ゲレンデに向かう林道に「歩くスキー」の掲示。(右)信濃森上駅から見上げた牧寄スキー場があった丘陵。
ラベル:スキー 白馬
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