(左)ゲレンデを下部から見上げる。(右)ゲレンデ中腹から下部を見下ろす。
南神城スキー場は、白馬村の南部、南神城駅の北西部山麓の東斜面に設けられていた(参考資料:小山桂子・小林詢「放置されたスキー場における植生変化」)。南神城駅からやや北に進み、大糸線を踏切で横切ってまっすぐ西側の山際まで進む。貞麟寺という大きなお寺の裏側に進む道から、西側の谷状の斜面に樹木のない一帯があり、はっきりゲレンデの形跡が認められる。最上部は30度をこえる急斜面だったようだ。真夏のこの時期には、背の高い草に一面覆われている。
ゲレンデ下にある農家から涼みがてら木陰に出てきた古老に話を聞くと、ゲレンデ・トップに向かって左側にTバーリフトがあったとのこと。かつてはカヤ場も兼ねていて、カヤの刈り取りも行われていたようだ。ほんの数年間だけのスキー場だったとの話だったが、資料によれば1952年頃~1965年頃までの営業だったとある。
「白馬の歩み(4)」によれば、神城村の観光課の勧めで、沢渡集落の西方にスキー場を開発して民宿を始めることになったということだ。「南神城スキー場」という名にして南神城駅に案内板をたて、また当番を決めて列車が到着するたびに出迎えに行って誘客に努めたようだ。松本市役所や松本市内の自動車会社のスキー客を誘致し、賑わいを見せたこともあるらしい。
現在では周囲はのどかな農村で、宿泊施設のようなものも見あたらず、かつてスキーを楽しむために人々が集まったという痕跡は見出せない。話を聞いた老人は、からだがいうことをきかなくなり、農作業も思うにまかせないことを嘆いていた。(現地訪問:2009年8月)
(左)ゲレンデに咲いていたハギとミツバチ