2009年08月25日

武尊オリンピアスキー場(群馬県片品村)

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(左)武尊高原ホテル前から見上げた第2ゲレンデ。

所用で群馬方面に行く機会があったので、何年か前(2001年)から営業中止になったと聞いていた武尊オリンピアに寄ってみた。東京在住当時に何回か訪れたが、最後は1991年1月に職場の仲間と武尊高原ホテルに1泊で訪れている。そのときは1日目は武尊オリンピア、夕食後に目の前に見える第1ゲレンデでナイターも滑り、2日目はもっぱら国設武尊(現在のスノーパル・オグナほたか)で滑った。スキーシーズンの関越道は週末になると大渋滞し、「沼田IC出口渋滞××km」が交通情報の決まり文句だった頃の話。ひとつ手前のインター(当時は昭和ICはまだなくて赤城IC)で降りて裏道を駆使するなど、いろいろなことも考えた。バブル末期に川場・玉原・サエラが登場するが、それ以前、片品村7スキー場は関越道方面では東京から近く手頃なスキーエリアだった。

ペアリフト3基とパラで架かるシングルが2セットで、要するにリフト5本程度の規模。地形とリフトの配置が多少複雑で、リフトの乗り継ぎに無駄が多かったけれど、それがゲレンデの奥行きとローカルな雰囲気を感じさせていたと思う。現在も営業を続ける「オグナほたか」とは連続したゲレンデであったが、規模や滑り応えは一歩ひけをとっていたかもしれない。共通券は片品村7スキー場共通券をのぞいては、発売されていなかった。

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(左)道標にはまだ、武尊オリンピアの文字が。(右)造成されたサッカーグラウンドと廃墟となっている武尊高原ホテル。

沼田ICからの国道120号沿いには店も増え、「日帰り温泉」の案内看板がずいぶん目につくようになった。途中の案内標には、オリンピアの文字が残るもの消されたものさまざま。入口のゲートにはスキー場の文字にかわって「温泉郷分譲地」の文字があり、周辺は別荘地としての分譲が進んでいるようだ。武尊高原ホテルは壁が崩れ落ち無残な姿となっていたが、その周辺にはいくつかのサッカーグラウンドが造成されていて、ちょうど夏休みでもあるので、少年サッカーの大会が行われているようだった。その先に第1・第4リフトの乗場があったはずだが、すでに撤去されていて痕跡を見出すことは難しい。その他、リフトの設備は撤去されているようだが、第2ゲレンデを少し登った右手には第2リフトの基礎コンクリート部分が草の中に埋もれていた。奥まった第3リフト周辺の様子はわからない。周辺はさらに整備されていく様子であり、生まれかわる姿に期待したいと思う。(現地訪問:2009年8月)
この記事へのコメント
はじめまして。大学時代に行ったスキー場が武尊で、懐かしくて写真に見入ってしまいました。初心者向けの好きなスキー場でした。ありがとうございました!
Posted by 小村たかね at 2013年01月11日 21:23
こんにちは。川場村のブログを読んでたらコチラのブログに辿り着きました。
写真が綺麗でオシャレなブログですね。羨ましいです。
Posted by 萌音 at 2014年03月16日 21:42
懐かしいゲレンデです。最初に町のスキー旅行で行き、その後は大学を卒業した年に市民大会で滑りました。オグナ武尊は学生時代から卒業後も繰り返し行きましたが、オリンピアは二回だけだったと記憶します。ほとんど滑る場所がなく、バス旅行くらいしか客がいなかったように思います。斜面構成から考えると、オグナ武尊と一体化すれば生き残れたのでしょうが、もったいない気もしますね。もっともオグナ武尊も下から見て左側の斜面を開発しないと、これからは難しいように思います。もし新しく西側斜面を開発するなら、オリンピア部分は駐車場や初心者の斜面として重要になるのですが。
Posted by 散木洞人 at 2023年08月10日 15:06
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