(左)武尊高原ホテル前から見上げた第2ゲレンデ。
所用で群馬方面に行く機会があったので、何年か前(2001年)から営業中止になったと聞いていた武尊オリンピアに寄ってみた。東京在住当時に何回か訪れたが、最後は1991年1月に職場の仲間と武尊高原ホテルに1泊で訪れている。そのときは1日目は武尊オリンピア、夕食後に目の前に見える第1ゲレンデでナイターも滑り、2日目はもっぱら国設武尊(現在のスノーパル・オグナほたか)で滑った。スキーシーズンの関越道は週末になると大渋滞し、「沼田IC出口渋滞××km」が交通情報の決まり文句だった頃の話。ひとつ手前のインター(当時は昭和ICはまだなくて赤城IC)で降りて裏道を駆使するなど、いろいろなことも考えた。バブル末期に川場・玉原・サエラが登場するが、それ以前、片品村7スキー場は関越道方面では東京から近く手頃なスキーエリアだった。
ペアリフト3基とパラで架かるシングルが2セットで、要するにリフト5本程度の規模。地形とリフトの配置が多少複雑で、リフトの乗り継ぎに無駄が多かったけれど、それがゲレンデの奥行きとローカルな雰囲気を感じさせていたと思う。現在も営業を続ける「オグナほたか」とは連続したゲレンデであったが、規模や滑り応えは一歩ひけをとっていたかもしれない。共通券は片品村7スキー場共通券をのぞいては、発売されていなかった。
(左)道標にはまだ、武尊オリンピアの文字が。(右)造成されたサッカーグラウンドと廃墟となっている武尊高原ホテル。
沼田ICからの国道120号沿いには店も増え、「日帰り温泉」の案内看板がずいぶん目につくようになった。途中の案内標には、オリンピアの文字が残るもの消されたものさまざま。入口のゲートにはスキー場の文字にかわって「温泉郷分譲地」の文字があり、周辺は別荘地としての分譲が進んでいるようだ。武尊高原ホテルは壁が崩れ落ち無残な姿となっていたが、その周辺にはいくつかのサッカーグラウンドが造成されていて、ちょうど夏休みでもあるので、少年サッカーの大会が行われているようだった。その先に第1・第4リフトの乗場があったはずだが、すでに撤去されていて痕跡を見出すことは難しい。その他、リフトの設備は撤去されているようだが、第2ゲレンデを少し登った右手には第2リフトの基礎コンクリート部分が草の中に埋もれていた。奥まった第3リフト周辺の様子はわからない。周辺はさらに整備されていく様子であり、生まれかわる姿に期待したいと思う。(現地訪問:2009年8月)
写真が綺麗でオシャレなブログですね。羨ましいです。