
(左)リフト乗場の残骸。
何年か前に湯に入浴剤を混入していたことが発覚し、話題になった白骨温泉。浴室を改装したら、湯が白濁しなくなったからというのが入浴剤を入れた理由とか。そんな騒動があった直後に家族で出かけたが、やはり信州を代表する名湯だと思った。白骨は古くは「白船」と呼ばれていたようで、湧き出した湯は透明だが、湯船に注がれると白濁し、湯船が白くなることからそう呼ばれていたようだ。この白骨温泉に昭和45年頃までスキー場があった。
「長野県スキー史」によれば、白骨温泉スキー場は1955年(昭和30)1月の開設。白骨温泉から10分ほどのところにあり、標高1,550m、針葉樹や白樺林に囲まれたゲレンデは主に北向斜面で雪質も良好アスピリンの粉雪、初中級者には最適と記されている。白骨温泉は冬は雪に閉ざされるために、古くは4月から11月までの温泉場だったようだが、スキー場の開設とともに冬期もスキーの基地として訪れる人が増えていったようだ。「安曇村誌」によれば、1960年(昭和35)にロープ塔、1963年(昭和38)にスキーリフト1基(300m)が建設されたが、リフトは1970年(昭和45)に撤去されたようだ。また、このゲレンデ開設当初には夜間照明があり、ゆるい斜面で初中級者の練習に向いているとの案内も見られる(「全国スキーゲレンデガイド」プルーガイドブックス26・1962年(昭和37))。
(左)ゲレンデ上部と思われる斜面。(右)紅葉の白骨温泉の谷から、雪を纏った乗鞍岳山頂を望む。
白骨温泉でも、混浴の大露天風呂が有名な「泡の湯」は中心からやや離れている。「泡の湯」から少し上って東に入ったところに「小梨の湯 笹屋」という宿がある。そのすぐ下にリフト乗場のコンクリートの痕跡が残されていた。すぐ脇には食堂の廃屋が傾いていて、ここからほぼ南に向かって上っている白樺の疎林の傾斜地に、ゲレンデが開かれていたと思われる。一帯にはクマザサやススキが生い茂っていて、その他にスキー場の痕跡を示すものはなかった。ただ、側らの木に「こどもらんど そり・スキー場」と書かれた板切れが括り付けられていて、リフト撤去後も子どもの雪遊び場のようになっていた様子がうかがえる。
周囲の山並は紅葉の盛りで、白骨の谷はさまざまな色で埋め尽くされていたが、曇り空のもとではいまひとつ色合いはくすんで見えた。湯の温かさが恋しい季節。遠く山頂部に雪を纏った乗鞍が望まれた。山はもう冬を迎え、ゲレンデに雪が積もる日も近くなった。