(左)ゲレンデ下から見上げる。(右)ロッジを右手に見て。
大町市街から国道148号で木崎湖畔にさしかかると、その湖面の広がりにほっとさせられる。さらに中綱湖方面へと上って、左には鹿島槍スキー場への道が分かれた少し先の右手山腹にあったのが、やなばパラレルスキー場。似た名前だが、現在も営業を続けるヤナバスキー場(以前はヤナバ国際スキー場といった)はまだ、国道148号を少し北へ進んだところで、大糸線のヤナバスキー場前駅の目の前でもある。
「北安曇誌(昭和59年6月)」によれば、「簗場スキー場」の名前で、「昭和25年(1950)、平村と簗場地元民との協力で開発された伝統をもつスキー場である。簗場駅東側に位置し斜面はきつい。昭和40年、猪谷六合雄がパラレルスキー学校を開設したことから、別名パラレルスキー場とも呼ばれ、親しまれている」と紹介されている。「簗場スキー場」となっているが、これがやなばパラレルスキー場のことだろう。
「大町市史」には、簗場駅から徒歩15分で、スノートロイカが2基設置されているとあり、「長野県スキー史」には「スキー学校専用スキー場」となっている。合宿制のスキースクール専用ゲレンデだったようだ。最終営業年については、はっきり記した資料を見つけていないが、1990年代半ばと思われる。
国道148号線から東に細い道を入ろうとすると「私有地につき、一般車進入禁止」と書かれた立札。脇の空地に駐車し、歩いて未舗装の道を上っていく。いくつかのロッジ風の建物を通り過ぎるとゲレンデ風の草地の下に出る。脇にあるのが、やなばパラレルロッジの建物だろうか。
ゲレンデにはロープトウの跡など施設の痕跡は見あたらないが、紅葉の樹林帯に囲まれた一面のススキの原は、はっきりとゲレンデの形跡を示している。思ったよりも規模は小さいようだ。ゲレンデを上部まで登って振り返ると、中綱の集落を挟んで鹿島槍スキー場のゲレンデが広がっている。その先には、鹿島槍ヶ岳の山頂が霞んでいた。

(左)ゲレンデ上部からは鹿島槍スキー場が正面に見える。
こちらもご覧ください→「やなばパラレルスキー場(その2)(2009年12月23日)」
ラベル:やなば
30年近く前、4シーズンほど連続して正月ここに通いました。
もちろん、スキー学校へ3日間ほど合宿入校です。
リゾートとはほど遠い環境で(笑、木造2階建てのおんぼろ宿舎にスクール受講生、インストラクターとも寝泊まりしました。
良くも悪くもスキー漬けを強制されます(笑
簗場駅から迎えの4駆に乗って、坂道を上がっていきました。4輪すべてにチェーンが巻いてあった記憶が鮮明です。
トロイカは良く止まってました。なので、斜面を登ってレッスンすることもしばしば。
上級者クラスは近隣のスキー場へ遠征することも多かったですね。お隣のヤナバへはよく行きました。
最後に行ったのは1985年頃でしょうか。
いいブログですね。次世代へ記録を残すためにも、永遠の存続を期待しています。
1984年頃のヤナバパラレルで撮った動画が出てきました。必要ならば差し上げます。スクリーンショットで静止画でもOKです。
お気軽におっしゃって下さい。
あとゲレンデ図にある基礎回転と連続回転は雪不足で、1シーズンしか滑れなかった記憶があります。
事実上、トロイカ左側のウエーデルンコースのみで、初中級者は中腹でトロイカ下車してレッスンしていました。
やなばパラレルの合宿の話、とても興味深く拝見しました。スキー漬けというのも、うらやましいような、そうでもないような。今の時代であれば、とても耐えられないでしょうね。
以前、ここで居候兼アシスタント兼、駅への送迎をしてました。舗装もしてない轍だらけの雪道で走り方を覚えたような気がします。
ちなみにやなばパラレルスキースクールは爺が岳に引越ししてGスキーアカデミーとしてスクールは継続してます。青木湖に引越しする話もあったみたいですが、結果的には爺が岳で正解だったかと。
そう、強制的にスキー漬。お陰様で、スキー靴も履いた事なかったのが、パラレルでどこにでも行けるようになりました!
インストラクターの方が食事も作って下さったのですよね~
何故行ったかというと、皆さんの中でも体験のある方が多いと思うのですが、バブル時期前後、白馬3山(八方・岩岳・栂池)が余りにも混みすぎる時期があって、じゃ、ヤナバでも行ってみようか、という軽~いノリでした。
失礼ですが、その頃はヤナバも混んでいて、長いほうのリフトは結構待った記憶があります。
先日八方に行ってきましたが、連休中にもなかわらずガラ空き。さらに!北尾根から見える岩岳のゲレンデは5人しか滑っていませんでした。そんな状況では白馬のスキー場といえども淘汰されてしまうんですね。。。残念。
私が叔父に連れられて初めて行ったスキー場でした。当時小学生2年生位でしたが、駐車場とゲレンデの間に大糸線が何の隔てもなく走っていてしかも駅があったことと、直滑降の女性スキーヤーが悲鳴を挙げながらレストハウスに突っ込んだのを目の前で見て衝撃を受けたこと、今でも非常に思い出のあるスキー場でした(笑)
大人になってからはヤナバスキー場を横目に通過して、八方や岩岳等に通ってしまったため訪れたことがなく、昨シーズンからスキーを始めた息子を連れて訪れたいと思案していただけに残念です。
パラレル小唄(校歌もどき)を作ったのは
私です!一時期はパンフレットにも載っていたと聞いておりますが、一切著作権料はいただいておりません(笑)