2009年11月22日

六日町坂戸スキー場(新潟県南魚沼市)

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(左)ゲレンデを見上げる。右手奥の杉林の中に坂戸城址の碑がある。ゲレンデ下に「天地人」の旗が立てられている。(右)坂戸城址にある「上杉景勝、直江兼続生誕之地」の碑。

迂闊だった。六日町坂戸はスキーヤーではなく、観光客が訪れる場所になっていた。
坂戸は合併で誕生した南魚沼市の中心である六日町市街から、魚野川を渡った東岸にある温泉街。古くは魚野川の水運などで栄えた。その背後にある坂戸山の北西山麓にあったのが坂戸城であり、六日町坂戸スキー場だった。

坂戸城は今年の大河ドラマ「天地人」の主人公・直江兼続と主君・上杉景勝の生誕の地だという。少し離れた場所には「直江兼続公伝世館」なるものがつくられ、ゆかりの地を巡るシャトルバスも運行されている。「上杉景勝、直江兼続生誕之地」という碑が立ち、石垣が残る坂戸城址には観光バスで訪れたらしい人々。その北側には最大斜度18度のなだらかな斜面に六日町坂戸スキー場があったが、2002シーズンを最後に営業を休止(廃業)した。リフトなどの施設の跡は残っていないが、草地の広がりがゲレンデの跡であることを示していた。ただそこに関心を向ける人はいない。

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(左)ゲレンデから六日町の市街を見おろす。

「南魚沼郡誌 続編 上巻(1971年3月)」によれば、坂戸スキー場は温泉街に隣接するゲレンデとして開発され、古くから町民のスキー場として親しまれていたが経営不振が続いていた。1967年(昭和42)にそれを引き継ぐ形で坂戸城址スキー場として開設されたようだ。以前からあった一本杉ゲレンデからその下段を切り開いた初心者スロープ。一本杉にロープトウ1基、一本杉スロープまで郡内最初のスライダーリフトを架設し家族向きスキー場としてデビューした。

廃業直前には460mのシングルリフト1本の施設だったらしい。また「スキー天国にいがた(新潟日報事業社・1975年12月)」によれば、坂戸温泉街のすぐそばにあるスキー場で、ゲレンデ全面に牧草が植えてあるので安全かつ快適なスキーを楽しむことができ、北側に面しているので雪質もよいと案内されている。スキー場真下には公認温泉プールがあった。六日町駅からは徒歩でも15分ほどの距離で、地元には根強いファンが多かったようだ。市街地と標高はほとんどかわらず、豪雪地であることがわかる。(現地訪問:2009年11月)
タグ:坂戸城址
この記事へのコメント
幼稚園児のときに家族で遊びに来ていたところを写真に撮られ、それが坂戸スキー場のパンフレットにずーっと載っていたことがあります。
毎年六日町小学校のスキー授業で滑りました。スキー授業中に雪崩があったことも思い出しました(負傷者なし)。
埼玉県の与野市山の家がゲレンデ脇にありました。滑っているのは地元民&与野市の人(?)くらいしかいなかったような('70年後半〜'80年前半くらいの記憶です)。
今は地元を離れて暮らしております。坂戸スキー場には懐かしくて温かい思い出ばかりです。
Posted by ちろ at 2013年03月30日 22:19
このスキー場が世の人々に知れ渡ったのが、平沢文雄がコーチ、師範代として佐藤正人、茂野裕子、浦野るみ子のナショナルデモが出演していた、NHK趣味講座「ベストスキー」のロケ地であったことでした。
私はこの番組を見て坂戸スキー場に滑りに行った思い出があります。
12時から1時間、昼休みとしてリフトが休止したり、雪解けの早い冬は、さっさとゴルフ練習場に変えたりと、独特のスタイルを持ったスキー場でした。
最後になりましたが、ブログオーナーさん、ありがとうございます。
スキーバブル期にとことんスキーにのめりこんだ私にとって心に沁みるエッセイを、感謝しながら読ませていただいております。
Posted by 与野人 at 2013年04月14日 23:07
小生、かつて、与野に住んでおりまして、小学生の時に林間学校で山の家に宿泊し、このゲレンデでスキー教室を楽しみました。今思えば、比較的小さなリフトと直線のなだらかなゲレンデだった記憶があります。懐かしいです。そのゲレンデについて、ここまで具体的に記されている方がいらっしゃったとは驚きでした。南魚沼の高千代酒造を調べている最中に、そういえば、と思って検索したところ、このブログに行き着きました。2002年に廃業してしまったのですね。与野も今やさいたま市になってしまって、何も残っていません。思い出をありがとうございました。
Posted by 与野太郎 at 2014年01月23日 00:55
私も生まれてからずっと与野市民(現さいたま市民)です。17号国道で1本でつながれた与野市と六日町は友好関係にあったらしく、保養施設として造られた山の家は、70年代の開業当時は最新の設備で、小学生だった私が初めて宿泊したときはビックリしたものです。しかも市の施設なので料金は原価というかほとんど無料に近い感じで、市民には大人気でなかなか予約が取れませんでした。市役所に朝から並んで両親が予約を取っていました。
そんな山の家の目の前にあったのが坂戸スキー場でした。私はスキー場も山の家の施設の一部だと思っていました。小学生のころは毎年2泊3日×1回以上は訪れていました(当時は新幹線も関越道も無かったので日帰りなんてできませんでした)。林間学校もここでした。
私にとってはスキー場=坂戸スキー場だったので、他のスキー場を知ったのは大学生になってからです。他を知って初めて比べることができたのですが、ファミリーや子供には最高のスキー場だったなと感じたことを覚えています。
小学生のころはソリの方が大好きで、リフトに乗って上から猛スピードでソリ下りをしていましたが、他のスキー場では乗せてくれない方が普通というのを知りました。スキーを覚えるときも小学生には最適な大きさで、家族皆で過ごすには最高でした。
大学生のころ、同学年にたまたま六日町出身の者がいて、その話をしたところ、「あのボロボロのスキー場ね」と言われたのがショックでした。当時はバブル絶頂期です。
山の家と坂戸スキー場とは約30年離れてしまっていたのですが、私にも子供ができ、やっとスキーもできる年齢になってきたので、嫁に「最適なスキー場があるから行こう!」と言って調べたところ、こちらのHPにたどり着きました。
無くなってしまっていたのですね、坂戸スキー場。山の家は存続していてよかったです。
景気がよくなって、いつか再開してくれるのを願うのみです。
Posted by 花俣 at 2014年02月07日 22:46
六日町には坂戸スキー場の他に六日町スキー場というのがあったと記憶しています。今はどうなっているのでしょうか? この六日町スキー場には中学生のころ親父に連れられて3シーズン程行きました。当時は夜行日帰りで上野発22時頃の急行で翌朝6時頃六日町着1日滑って16時頃の列車で帰ります。座席の確保が大変で結構前から並んでました。懐かしい想い出です。
Posted by 高橋栄 at 2017年03月10日 13:30
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