(左)第1リフトの下から熊ころびゲレンデ(後のエメラルドゲレンデ)を見上げる。
「石打」と聞くといまでも気持ちが昂ぶるのを感じる。スキー場の林立するこの一帯でも、石打丸山には以前の勤務先の提携宿泊施設があり東京在住時には何回も訪れていたが、ファースト石打に足を運んだのは1991年2月の一度だけだった。
ファースト石打スキー場は、1964年開設。「南魚沼郡誌 続編 上巻(1971年3月)」によれば、第2次大戦後、開拓地として引揚者が入植したが、悪条件のもとで存続が危ぶまれた。しかし、スキー人口の増加にともない、石打丸山スキー場の第2ゲレンデ的な位置づけでTBSにより開発され、開拓地が変身を遂げた。その後、「小田急石打」となり、1991シーズンに「ファースト石打」と改名した。2006シーズンより営業休止。
最後の頃は客もまばらで、施設・サービスも十分とはいいがたい状況だったとの書き込みがネット上に見られる。「ファースト石打」と改名後すぐの時期に訪れたせいか、私はかなり好印象を受けた。コンパクトなわりに、トリプルリフト沿いの「鬼落しゲレンデ(後のトパーズコース、最大斜度35度)」をはじめ各レベルに応じた滑り応えのある斜面を備え、展望も素晴らしく、なかなか穴場のスキー場だと思われた。大学などのスキーサークル系のグループがいくつも滑っているようだった。当然ながらナイター施設も備えていた。
(左)第2リフト乗場付近からゲレンデを見上げる。左に第3トリプル乗場。(右)右に第2リフト乗場、左奥には第一リフトの降場。向こう側には、石打花岡とMt.グランビュー(スポーツ振興石打)が見える。
国道17号線沿いには、いまも「ファースト石打」の案内看板が残っている。営業休止からまだ3年なので、現地にはリフトやレストランの建物などがほぼそのまま残っている。山麓部には周辺のスキー場への送迎で成り立っていると思われる宿泊施設が、いくつか存続しているようだ。ゲレンデ中間部の上の平まで車で上ってみると、ダブルで架かっていた第2リフトの施設が、打ち捨てられて立ちはだっているのが象徴的だ。
周辺にはレストランやロッジなどの建物が残っているが、ほとんどは廃墟となっているようだ。ぐっと斜度をあげている第3トリプル沿いの斜面は、いま見ても魅力的だ。振り返れば魚野川の谷をはさんで、今シーズンの営業に向けて最終準備段階の石打丸山をはじめとするゲレンデの姿が見えた。(現地訪問:2009年11月)
石打花岡スキー場から見たかつてのゲレンデ全体(2013年1月)。
ラベル:石打
まだ小田急石打だった頃、近隣のスキー場が混雑していた場合に、たまに利用した記憶があります。
SKINOW86あたりでは、当時の小熊デモが滑っていたですね。
ファースト石打時代には、ナイターを利用しました。標高が低いので雪質はイマイチでしたが、ゲレンデ入り口の中斜面は練習に最適でした。空いてましたし。
コメント有難うございます。やはり近隣が混雑していた時のエスケープ・ゲレンデ的な使い方が多かったのでしょうか。コンパクトですが、ゲレンデ構成はなかなか面白いと思っていました。
個人的に好きなスキー場なので復活を望みたいです。
今度の夏富士・御殿場まで出かける予定があるので、できればその周辺の廃業スキー場教えてください。
御殿場市営スキー場には行ってみたいと考えています。ただ場所が今一つ分かりません。
富士・御殿場方面はいまひとつ調査を進めていませんので、よくわかりません。ただ、静岡・山梨県境の篭坂峠にスキー場があったようです。
http://plaza.rakuten.co.jp/arcchronicle/diary/200901240000/
いずれ私もその方面に行って見たいと思っています。
私も大学時代(30年前ですが)この小田急石打には何回も来ましたね。ゲレンデの中にある宿で夜には越の寒梅を呑んだ思い出がありますよ。
小田急でバイトしていたので社員価格の低料金で泊まらせていただいておりました。
正面の石打丸山へ滑りにも行きましたね。
もう既に廃業になったのですか、思い出の地が無くなるのはちょっと寂しいものですね。
自分の年齢的には知らないスキー場ばかりですが、色々なスキー場があったんだな…と感じています。
貴ブログでファースト石打スキー場の存在を知り、12-13シーズンに何度かこのエリアを訪れましたが、perfumeさんがおっしゃっている様に湯沢IC付近に看板は今でも残っています。
また国道17号沿いや付近にまだ看板が残っていました。
ただ湯沢IC付近の看板が一番大きかった様な気がします。
実は、日大スノーホッパーというクラブが生まれるキッカケとなったスキー場であり、私が発起人の一人でもあるからです。
日大3年生の時にこのスキー場のポールレッスンに参加した際、小田急ロッジでの夜の飲み会で、たまたま話をした数人が日大文理学部の学生でした(私は体育学科で、彼らは国文学科)。
当時日大文理には「ステューピット」と「ダーフィー」という二大クラブがすでにあったのですが、その時に「もっと楽しくレースができるクラブを作りたい」ということで話が盛り上がり、「ぜひ作ろう」と約束をして別れました。後日彼らに呼び出され、クラブ結成の話がトントン拍子に進んでいき、名称はとりあえず「スキー友の会」としましたが、「なんかダサイ!」との意見から、当時流行っていたカタカナを入れることとし「日大文理スキー友の会スノーホッパー」に決定しました。
今では学生スキーでは有名なクラブになりましたが、当時はまさかこんな立派なクラブになるとは誰一人として想像していませんでした。
さらに就職先が小田急石打ロッジを山の家として契約しており、格安で宿泊できたため、結婚するまでの数年間は毎年1回は必ずお世話になりました(ロッジに行くのに熊転びのリフトをスキーと荷物を抱えて乗ったのが懐かしい)。
スキー場としては小さな規模ですが、「熊転び」や「鬼落とし」といったコースは練習バーンとしては最高で、石打丸山や他の大会前のトレーニングにもよく利用させていただきました。
私のスキー人生の中で、最も忘れることのできないスキー場です。