(左)中央の杉林のあたりにゲレンデがあった。左右にのびる尾根から手前に落ちる斜面だったという。向こうに見えるのは佐野坂スキー場のゲレンデ。(右)内山集落。現在も「民宿」の看板を掲げた家がみられるが。
戦後の高度成長期に、白馬村では民宿が盛んになった。村の中心部だけでなく周辺集落でも取組みが進められた様子は、「白馬の歩み(4)観光・登山・スキー編」に詳しく記されている。冬期に確実な収入のなかった積雪地の人々にとっては、民宿経営は魅力的な収入源だったに違いない。同誌によれば、白馬村南部の内山地区でも昭和38年から民宿4軒が開業したとある。それにあわせてスキー場を開発し民有地を借りて休憩小屋を建て、50mのロープ塔も架設された。
さらにスキーリフトを設置するため、スキー指導員に地形を調査してもらい、地元の人々が奔走したが実現しなかった。佐野坂スキー場が開発されたため、わずか2年で閉鎖となってしまったようだ。ちなみにこの「白馬の歩み(4)」には当時のゲレンデの写真が掲載されている。青木湖北岸あたりから北東方向を写したようだが、手前の小丘陵の尾根上にゲレンデが開かれ、その向こうの平地に内山集落があり、背後の里山の先に雪をまとっているのは高妻山だろうか。
白馬村の中心部から国道を南下すると、佐野の集落あたりから青木湖岸に向かって上り坂となり、脇には姫川源流の一帯。そのあたりから東に丘陵をひとつ隔てたところに内山地区はある。小さな平地の東側斜面に家々が建っている。一軒の前で冬の薪を準備しているお父さんに声を掛けると、集落と向かい合った平地西側のわずかな距離の斜面にゲレンデが開かれていたことを話してくれた。
「ほんの小さなスキー場で、地元の子どもが滑る程度のものだった」とのこと。指差された斜面は杉林となっていて、ゲレンデの痕跡はまったく見出せない。その向こうには佐野坂スキー場が雪を待っているが、隣接する青木湖スキー場は今シーズン営業しないとのニュースが伝えられている。(現地訪問:2009年12月)