2009年12月23日

女ヶ渕スキー場(群馬県嬬恋村)

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(左)ゲレンデ下部から見上げる(写真:2009年12月)。(右)鹿沢スノーエリアに曲がる交差点。右手奥に女ヶ渕スキー場があった(写真:2009年9月)。

新鹿沢温泉から地蔵峠(湯ノ丸)を越えて長野県東御市に向かう道。新鹿沢温泉を過ぎると、まもなく鹿沢ハイランド(鹿沢スノーエリア)に向かう道が右に分岐する。ちょうどその交差点の南西側に広がる場所に女ヶ渕スキー場があった。交差点近くは背の高い草に覆われているが、その前方の小丘陵に向かって斜面が広がる。リフト1基の初中級向けファミリーゲレンデの跡地である。古い地図や観光案内には、女ヶ渕スキー場の文字が残っているものが結構あるのだが、こんな道沿いにゲレンデがあったことは驚きでもある。

私の持っている国土地理院の地形図(上田、1/50,000)にはリフトの記号が、ゲレンデトップに向かって左手に残されている。現地にはいまやリフトの機器などの痕跡は残っていないが、「全国スキー・ゲレンデ案内(1962年11月)」には、リフトの長さは465mと記されているから正面に見える草地よりかなり奥までリフトは延びていたのだろう。新鹿沢温泉からも至近距離であり、家族連れに安心して楽しめるスキー場だったようだ。

「嬬恋村誌 下巻(1977年6月)」によれば、「スキーは地理的条件として本村の冬季スポーツに好適である。(中略)本村で日常的に利用できるのは、新鹿沢の女ヶ渕、五輪、旧鹿沢、万座等数多いが…(後略)」との記載があり、村民スキー大会やバッヂテストも催されるなど地元で親しまれたゲレンデだったようだ。1958年にはスキーリフトも設置された。また、同誌には「(鹿沢高原には)五輪、女ヶ渕の2つのスキー場があり、どちらもスロープがゆるやかで初中級向き。リフトは480mと360mの2基が架設されている」とある。五輪とは現在の鹿沢ハイランド(鹿沢スノーエリア)をさすものと思われる(経営主体は現在も五輪観光(株))。営業終了の時期を明記した資料をまだ見つけていないが、私が初めて鹿沢界隈にスキーに来た1980年代後半にはもう営業をしていなかったと記憶している。

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国道144号に沿ったガソリンスタンド脇には、現在も「女ヶ渕」や「国民休ヶ村」の文字が残っている。
ラベル:女ヶ渕
この記事へのコメント
はじめまして、vision*Jと申します。

こちらの紀行文と、貴重な滑走経験を読むのが好きで、いつも更新を楽しみしています。

個人的には、玉原ができる頃まで迦葉山の近くにあった沼田スキー場が取り上げられるのを期待しています。

それでは、引き続き楽しませて頂きます。

Posted by vision*J at 2009年12月23日 09:23
vision*J さん
コメントお寄せいただき、有難うございます。
群馬方面はなかなか調査が行き届いていないのですが、沼田スキー場もこれから調べてみたいと思っています。vision*Jさんのサイト「失われたロープウェイ」http://www.8beat.com/ropeway/ もとても充実した内容だと感服しました。
Posted by 急行野沢 at 2009年12月23日 16:37
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