2010年02月06日

姫木平スキー場(長和町/旧長門町)

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(左)植樹祭の柱がある下部からゲレンデを見上げる(2009年6月)。

ゲレンデが密集する白樺湖周辺は、首都圏からは出かけやすいロケーションだと思う。しかし、もともとそれほど積雪の多い場所ではないから、北信濃に住むものにしてみれば、わざわざ南の方向に出かけるのには躊躇しがちだ。今日も長野市周辺では雪が降り続いたが、途中の丸子や武石あたりまで来ると日差しがのぞいた。

国道152号を北から進めば、大門峠の少し手前で西に分岐するのはエコーバレースキー場へのアクセスルート。その道に沿って地元長和町出身の冬季五輪選手に対する「ガンバレ スノーボードクロス競技 藤森由香選手」という応援の旗が立てられている。このエコーバレーへの途中にある姫木平別荘地にとり囲まれるようにして、姫木平スキー場はあった。

別荘地の計画の中に最初から組み込まれていたのだろうか。スリバチ型のゲレンデ脇に並ぶペンションからは、簡単にゲレンデに滑り込むことができた。エコーバレーへも至近距離なので現在も営業をしているペンションは多いけれど、中にはひっそりと雪に埋もれている建物も見受けられる。その先に少し進めば、エコーバレーはさすがにトップシーズンの週末とあって賑わっている様子だった。

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(左)ゲレンデ下部から見上げる。(右)ゲレンデ上部から見下ろす。

私は1993年2月にエコーバレーで滑った帰りに、「仕上げに数本」という感じでこの姫木平で滑った。最大32度の壁もあるコースで、規模の割には楽しい斜面のゲレンデだったと記憶している。その頃は子ども連れも多く結構賑わっていたと記憶しているが、1998年を最後に営業を中止した。スキー人口が多かった時代には、エコーバレーのようなビッグゲレンデとの棲み分けがなされていたということになるのだろうか。1976年の開設。最大斜度40度。第1リフト325m、第2リフト464m。

私の訪問時にはリフトはシングル2本あり、トップに向かって右手の長い第2リフトをもっぱら使ったと記憶している。手元の古いガイドブック(オールスキー場完全ガイド/立風書房)では左手に1本だけ描かれているので、最後には1本になったのかもしれない。いずれもいまは痕跡を見出せない。ゲレンデ最下部に「平成21年植樹祭 長和町」と書かれた柱が立てられている。別荘地の中のエアポケットのようになってしまった空間。植樹して景観を損なわないようにする取組みが行われている模様だ。
この記事へのコメント
姫木平に別荘(といっても小さな小屋ですが)を持っていました。

スキー場に近いのが売りの別荘地で、中古の物件を買いました。姫木平スキー場は残念ながら一度しか行きませんでした。近くにエコーバレースキー場があるので・・・(別荘から車で5分で姫木平スキー場、10分でエコーバレースキー場に行けました)

姫木平スキー場近くにある物件は、確かペンションが中心でしたが、個人の別荘としては平屋のアパートのような新しいものが幾つかあったと思います(1995年頃の話です)。

わざわざ遠くから来た人が寄っていくには施設もスキー場も少し貧弱な印象でしたが、スキー場近くの別荘にいる人にとってはmyスキー場のような感覚で楽しいだろうなあ~とうらやましく感じたものです。家を出たら目の前がスキー場・・・なんて贅沢なんでしょう!

でも、このスキー場と別荘地は五味観光開発という会社が作ったところなんですが、この会社は2002年に破産してしまいました。今は長和町が管理しております。栄枯盛衰も世の流れ・・・時代の経過を感じます。

北海道に帰る前に、閉鎖したばかりの冬の姫木平スキー場を訪れて、もう少し行っておけけばよかったなあ・・・となんだか寂しい気持ちで一杯だったのを覚えています。
Posted by エルー at 2011年02月02日 00:33
姫木平に別荘ですか。羨ましいですね。でも、ゲレンデに隣接して直接滑り込めるのでなければ、やはり姫木平ではなく、エコーバレーに行ってしまいますよね。
Posted by 急行野沢 at 2011年02月02日 12:28
姫木平スキー場は、スキー場というより、「家の裏にある専用斜面」といった趣があり、それが、”男の隠れ家”のムードを醸し出していました。そのムードが好きでした。

開業当時は、エコーバレースキー場はまだ存在せず、姫木平別荘地のどん詰まりにあるゲレンデでした。

今から30年前は、冬のスキー、夏のテニスがカッコいい代表格のようなものでした。
ゆえにリフト待ち30分が当たり前の時代でしたが、この姫木平スキー場でのリフト待ちは当時でもせいぜい5分でした。

宿泊したペンションから板を履きそのままゲレンデを滑り、リフト乗り場へ直行。
そして、最後はリフトで頂上へ上がり、そこからペンションへ滑り込むということもできました。

それも遠い昔の話となりました。
Posted by 茶木寿夫 at 2011年10月27日 14:59
スキーを始めて初めて滑ったゲレンデがこの「姫木平スキー場」。
折しもバブルのスキーブームの頃、車山・・・入れず・・・。エコーバレー・・・入れず・・。
やもなく滑ったのがこのスキー場・・ってな感じでした。
ゲレンデに向かって右にシングルリフト。左にJバー。
女子高生の合宿??とかち合ったのか?Jバー途中で撃沈する女学生さん大量発生。
「座っちゃダメだ-。座っちゃダメだ-!」と叫ぶリフト係さんの大声が印象的だったなぁ。
初心者の私も、何度となく撃沈!!リフトを止めました・・・。
今では良い思い出です。
Posted by ロン at 2012年01月29日 15:39
ロンさん コメントお寄せいただき有難うございます。そうでした。バブル全盛期の頃は「駐車場に入れるか」というのが第一関門でしたね。
Posted by 急行野沢 at 2012年01月29日 22:01
姫木平スキー場!
ものすごく懐かしいです。1993年頃、東京で働いていて、よく行きました。
その頃は、このスキー場でもスキー教室がありバッチテストも行われていました。
職場の同僚のスキーが好きな仲間でバッチテスト1級を取るのが流行っていて、私はリフト待ちのほとんどないこの姫木平で練習しました。
しかもここのスキー教室が土日でも参加者が1人か2人という状態だったのでほぼマンツーマンで指導を受けていたら、1シーズンの間に2級と1級が取れてしまいました。
空いていて練習するには最適なスキー場でしたが、彼女とスキーに行くときは他のところに行ってましたので、やっぱり終ってしまったのですね。
写真を載せていただきありがとうございます。とってもとっても懐かしいです。
Posted by 大嶋太郎 at 2012年02月24日 12:51
以前(30年近く前!)このスキー場入口のペンションで、冬の間だけ住み込みバイトをしました。
ちょっと思い出して「姫木平スキー場」で検索してみたら、こちらにたどり着きました。やはり閉鎖していましたか、、
当然お世話になったペンションも廃業したと思うのですが、今度バイク一人旅でもし、跡地で思い出に耽る、かw

上のコメント、面白く拝見しました。
「女子高生の合宿」
これ、ボクがインストラクターだったかも…(高知の女子高生でした)
Posted by sake at 2014年08月20日 16:59
姫木平スキー場懐かしいですね。たぶん昭和58か59年の3月頃と思います。エコーバレーが全面営業ではなく暫定営業ではなかったかな?クワッドがある奥のゲレンデは未開業でした。昼間エコーで滑りペンションで夕食後、姫木でナイターを滑走しました。左のJバーしか記憶無いです。ナイターなので雪質が超パウダーで狭いながらも楽しくガンガン滑った鮮明な記憶があります。余談ですがペンションスタッフはオジサン一人で、チキンのトマト煮真空パックがメインディッシュでした。残念ながら温めが不十分で、ガッカリディナーだったのも記憶しております。
Posted by クニ at 2018年04月07日 11:28
偶然このページを見つけ、懐かしさでいっぱいです。私はこのゲレンデの真横にあった、プチホテルハイローゼンという宿を愛好していた老スキーヤーです。私がそのホテルを見つけたのは2,000年の頃、もう姫木平スキー場は廃業した後でした。もっぱらエコーバレーで滑り、ゲレンデ近くの宿に泊まっていたけど、一度ハイローゼンに泊まって大変気に入り、それから何度か泊まりました。でも、突然2,012年にオーナーが手放して宿は閉じられました。次のオーナーさんは開業前に急病で亡くなり、それ以後この建物は閉じられたままです。いつまでも私の心の中にあります。
Posted by みうらたかし at 2020年04月05日 17:13
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