(左)下部からゲレンデがあった地点を見上げる。以前のゲレンデ脇のスペースは除雪車の駐車スペースとなっている。(右)「スキー天国にいがた」を参考に作図。
越後川口。私の住む長野から飯山線終点のその駅まで3時間をかけて直通する列車はいまも日に4本を数え、乗換案内などでその地名を耳にする機会は少なくない。信濃川と魚野川が大きく蛇行しながら合流する地点であるのが「川口」という名の由来だが、近く長岡市に合併する予定だと聞いた。「スキー天国にいがた(1975年12月)」には、「日本最古の伝統を持つといわれるヤナ場『男山漁場』をもち、春のヤマメ・カジカ・ハヤ、夏のアユ・マス・コイ、秋のサケ・ウナギと四季を通して川魚の味覚を求める客があとをたたない」との案内がある。
この川口の街の南東にある小丘陵に開かれていたのが、川口スキー場。1971年(昭和46)の開設。営業をやめた年月については正確な資料を見つけていないが、1990年代後半と思われる。川口町は2004年の中越地震で震度7という最大のゆれを記録し、甚大な被害を受けているが、その前に営業をやめていたと思われる。越後川口駅から徒歩15分。「スキー天国にいがた」には「東京からは上越沿線のスキー場の中では新潟に少しっこんだ感じで、ゲレンデ銀座を避けるには穴場かもしれない。眼下に魚野川の清流を望む新設のスキー場である」と紹介されている。シングルリフト(360m)が1本あり、最大斜度30度、最長滑走距離500mであった。
(左)国道17号からゲレンデ方向を見上げる。(右)中間部からゲレンデ最下部(左側)を見おろす。
国道17号を川口から魚沼(堀之内方面)に向かう。すぐに高架の関越道が国道をまたぐ地点があるが、その直前の「川口町運動公園」という看板に従って左折してすぐのところがゲレンデの最下部にあたる。道の東側にある家では「そのころはスキーのレンタルをしていた」と教えてくれた。丘陵を上って行く道の右側斜面にゲレンデが開かれていたようだ。最大斜度30度とのことだが、それなりの斜面もあったことを感じさせ、リフト沿いにまっすぐ下りる中級コースと左に迂回する初級コースくらいの判別はなんとなくできる。斜面左手の白い建物がレストハウスの役割を果たしていたらしい。
周辺は震災のあと整地されたそうで、リフトの痕跡も見あたらなかったが、手近な場所にありながら魚野川を眼下に望む滑走は快適だっただろうと思われる。ゲレンデ下部には住宅が建て込んでおり、また、丘陵の上部には温泉施設がつくられている。地元の人々により跡地を利用してコスモス畑がつくられていることを、以前ネット上で読んだ記憶がある。(現地訪問:2009年12月、2010年2月)
ラベル:川口スキー場