(左)スイッチバックの姨捨駅から善光寺平を一望する。
「姨捨(おばすて)」という地名を聞いて思い起こすのは、年老いた母親を山に捨てるという姨捨伝説だろうか。それとも棚田に映る「田毎の月」か。鉄道ファンなら、日本三大車窓のひとつでもある姨捨駅のスイッチバックということになろうか。
信濃では 月と仏と おらが蕎麦 詠み人知らず
いうまでもなく信濃の名物を3つ詠みこんだ句であるが、「仏」は善光寺であり「月」は姨捨の「田毎の月」を指している。姨捨は紀貫之の和歌にも詠まれ、平安の昔から月の名所として京の都にも知られた場所だったようだ。また俳人松尾芭蕉は1688年(元禄1)、木曽路を経てこの地を訪れた。『更科紀行』はその時の紀行文で、猿ヶ馬場峠を越えて姨捨に出た芭蕉は旧暦八月十五夜の仲秋の名月を観賞している。
前置きが長くなったが、そんな姨捨にスキー場があったという記載を見つけたのは「冬の信州(昭和28年版(1953年))」。はじめは「まさか姨捨に」と思ったものだった。同誌には「篠ノ井線姨捨駅より徒歩にて25分で到着できる。最近開発されたスキー場で、海抜600m、変化にとんだスロープが多く、初中級者用として適当。すこぶる展望よく、千曲川と川中島古戦場を含む善光寺平が一望にのぞまれる。特に付近に上山田戸倉温泉があり、スキーと温泉を楽しむことができる」と紹介されている。「更級埴科地方誌」などを調べていくと猿ヶ馬場峠へ向かう途中にあったことがわかってきた。
(左)八幡林池の南畔からゲレンデがあった斜面を見上げる。(2010年2月)(右)斜面上部から見おろす。最下部には八幡林池がある。(2010年2月)
姨捨駅から一段上ったところにある大池の集落で、薪を軽トラに積み込んでいる小父さんに聞いてみると「姨捨スキー場は、この上の八幡林池の右手(北側)斜面にあった」という。昭和15年生まれという小父さんは「中学卒業の頃まではスキー場があって、雪が降った後にはよく滑った」というから、昭和30年(1955)頃まではあったようだ。
大池集落からさらに、大池キャンプ場へと上っていく車道の右手にあるのが八幡林池。この季節は一面の氷で覆われている。池の北側にはむかし開拓で入ったという何軒かの民家があり、その背後から左手にかけて緩やかな斜面が広がっている。上部には国道403号が走っているが、そのあたりまでの斜面がゲレンデだった模様だ。
適度な斜面と見受けられるが、さほど長い滑走距離がとれたとは思えない。リフトやロープトウなどの施設はなかったということだが、ガイドブックに登場しているということはそれなりの集客もあったのだろうか。「今年は雪が多い方だけれど、最近じゃ雪が少なくて、とても昔スキー場があったような面影はないね」と小父さんは話してくれた。