(左)左端にある第2リフトからゲレンデを見上げる。(右)少し上った場所から、左に第1リフト乗場の痕跡、その下に食堂とスキーハウス、右奥に第2リフト乗場が見える。
大垣市街の北西の山中で、伊吹山の裏側といった程度の地理的な感覚しかなかった。全体が山間地である旧春日村。揖斐川町の中心部で国道417号から県道32号に入り、粕川の流れを遡れば谷は狭く急峻になって、道や集落は斜面にへばりついているかのようだ。伊吹山の薬草を使った「薬草風呂」の看板も見られる。さらにその支流の表川に沿って道は上っていく。途中、左に国見岳スキー場への道を分け、美束の集落を過ぎ、やや谷が開けた場所に東向き斜面の春日長者平スキー場はあった。
岐阜・大垣方面からは便利なスキー場だったと思われるが、2008年3月の新聞報道では、春日長者平スキー場の経営会社が岐阜地裁大垣支部へ自己破産を申請し、手続きが開始されたと報じられている。同シーズンには雪不足でほぼ閉鎖されたままだったようだ。
「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば、「貝月山の東山麓、伊吹山の真北にあり、コブ斜面や38度の壁など、中上級向き。月水金土は22時までナイター。託児所9~16時2500円+200円。コブ斜面:一本杉コース。ペア1基、シングル2基。近くに温泉『長者の里』『もりもり村薬草風呂』がある」と紹介されている。あまり雪が多い場所とも思えなかったが、「東海道新幹線は関ヶ原付近の雪の影響で遅延」というニュースが聞かれるくらいだから、それなりの積雪地域であるのだろうと思い返した。
(左)少し上った場所にあった第3リフト。
数箇所の駐車場までは車を乗り入れることがいまもできる。ゲレンデ最下部には、チケット売場・スキー教室・レンタルスキーの入ったスキーハウスと、食堂を兼ねたロッジの建物がやや荒果てながら残っている。レンタルスキーは今も整然と並べられひと待ち顔だし、食堂のメニューは掲示されたままだ。ゲレンデを見やると、いきなり急な正面ゲレンデが目に飛び込んでくる。左手の第2リフトは椅子だけはずされた状態で残されているが、右手の第一リフトは少し前に既に撤去されていたらしく、コンクリートの基礎部分だけが残されている。一段上った所からの第3ペアも椅子以外はそのまま残っている。全体に上中級斜面が多いようで、積雪が十分なら楽しめそうな斜面だ。(現地訪問:2010年5月)
ラベル:春日長者平スキー場
20代後半に、ボードデビューした思い出のスキー場です。
最初は「ちびっこゲレンデ」でひたすら練習していましたが、最後は「いきって」第3ペアリフトでテッペンまで行き(と言うか行ってしまい)降りてくるのに、小1時間程かかりました。
記憶が確かなら、揖斐高原の駐車場が満車で入れなくて、長者平に回ったと思います。
逆にその頃揖斐高原は、それ程勢いがあったと言う事ですね。
もう15年以上も前の話です。
また、夏季にはゲレンデでキャンプをしたこともあります。
祖母の家の隣に長者平スキー場を経営していた一家が住んでいたのが縁で、その一家とは家族ぐるみで交流があり、一緒に滑りに行ったりリフト券を譲ってもらえたりといろいろ思い出がありました。
スキー場閉鎖後、一家は離婚したと聞いてますが、時代の流れは時として寂しいものがありますね。
人口降雪機等という設備の無い長者平は「雪が降った時」にしか滑走可能にならない、限定的な感覚がたまりませんでした。
シーズン中でももっぱらクローズ状態のこのスキー場は、大雪が降ってもゲレンデ整備がされていないとやっぱり営業していない。
なのでインターネットが普及する前は夜明け方にスキー場へ電話して「滑走可能ですか?」と問い合わせたものです。
きっと迷惑だったかも(笑) いつも同じ女性の方が電話対応して下さいましたね。
ゲレンデは特別広くなかったですが、十分楽しめるコースでした。
中急斜面が多く雪面にたくさんの不整が入っており、コソ練にはもってこいでした。
第一リフトは故障が多くて、乗車中によく止まるリフトでしたが、シングルリフトでゆっくり速度の、それはもう味のあるリフトでした。
初めてボードスクールに入ったのもこのゲレンデでした。
ただ残念な事にここではJSBA検定は行なわれていないので他で受験しましたが・・・
今年4月、再度思い出深いこのゲレンデを訪れました。
雪の無いゲレンデは「こんなに広かったんだなぁ」と思わざるを得ません。
レストハウスも取り壊されていましたがセンターハウスは健在でした。
隅から隅まで滑り込んだゲレンデですので目に映る風景はとても感慨深く感じました。