(左)駐車場にはまだ「スキー場」の文字が残る。跡地は市民公園として整備された。(右)遊具や芝すべりなども備えられた。
全国規模の企業では、山深い高山支社への異動は左遷を意味すると聞いたことがある。しかし今日では飛騨の小京都とも称され、高山祭などを中心とした観光都市として脚光を浴びる面のほうが多いと思う。以前、岐阜県の森林資源について調べていたとき「岐阜県で1番人口が多いのはもちろん岐阜市だが、昔は2番目は林業が盛んな高山だった」という話を聞いたことがある。真偽のほどを確かめていないが、石化エネルギーや化学物質が普及する以前の木材資源の重要性や、各地域ごとに産業や文化が繁栄していたことを示す話だと思う。
高山駅から西に3kmほどの距離にある市民スキー場。それが、原山市民スキー場だった。現地を訪れてみるとリフトなどスキー場施設は綺麗に撤去され、市民公園として生まれ変わっていた。遊具やそり遊びを連想させる芝すべりなども備えられている。おりしも5月の晴天の休日。サクラも満開で、家族連れが思い思いに楽しんでいた。斜面は全体になだらかな印象を受けた。
原山市民スキー場は1920年(大正9)創業で、1963年にリフトが設置された。2008シーズンを最後に営業休止。かつては高山市民のメインスキー場で、いつも大混雑していたという。運営会社によると「暖冬などによる雪不足で利用客が激減し、累積赤字解消の見込みがなくなった」とのことだ。
「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「高山市のシティゲレンデ。市街地から気軽に行ける便利さが地元のスキーヤーに好評。コースも一部を除き、すべて初中級向き。ソリ専用ゲレンデもあり、近隣からの家族連れでにぎわう。初級75%、中級25%。リフト ペア1基、シングル1基」と記載されている。市民生活に密着していたこのようなスキー場がなくなっていくのは、寂しいと思う。(現地訪問:2010年5月)
(左)ゲレンデ中腹から見おろす。市街地に隣接したスキー場だったことがわかる。(右)「オールスキー場完全ガイド2000」を参考に作図。
ラベル:原山市民スキー場
私は高山出身ですが、原山スキー場は幼稚園の頃から慣れ親しんだスキー場でした。山の形が馬の背中に似ている為、「馬の背」と呼ばれていた唯一結構急な斜面から直滑降で滑るのが当時の自慢でした。
また、ロープにつかまって登る「ロープリフト」など、今思えば結構面白いものもありました。
社会人になって1年目は地元の支店に配属されたこともあり、仕事帰りに毎晩ナイター三昧の毎日でした。(職場から10分でゲレンデ到着!)
その頃はまだ市内でも積雪量が多かったのですが、晩年暖冬が続き滑走不可や一部滑走可が多かったみたいですね。
思い出のスキー場が閉鎖になったのは本当に残念です。
温暖化で積雪が減ったことでスキーの魅力も半減し、スキー人口が減っているような気がします。
もう40年近く前になるのですが、家族で高山へ旅行しました。貧乏所帯なのでそんな経験は初めてでして、保育園児の私も記憶が結構残っています。
ナニをしようという目的があった訳ではないのでしたが1日目には白川郷散策、2日目の午後には原山スキー場でスキーをやることにしました。といっても私のサイズがレンタルに無いので私と母はそりでゲレンデを駆け回っていました。父と兄が四苦八苦している中、こっちのほうがよっぽど面白いと思っていました。
しかし。。。母の編んだ毛糸のオーバーオールは雪がびっしり固まってしまい、パトロール小屋のお兄さんに一生懸命取って貰ったのを思い出します。ご迷惑をおかけしました。
大学入ってすぐスキーはじめて「八方以外はスキーじゃない」などと偉そうな事を言い、年間3~40日もスキーに行き、又トシが経って今では娘、息子も喜んでスキーをしている中、原点ともいえる原山スキー場が閉鎖されたのはとても悲しい事です。それ以外の思い出深いロコスキー場にも、なんとか潰れないように頑張って欲しいです。
でもなくなってしまったんですね!?残念です。現在東京勤務ですがぜひ公園になった原山に一度行ってみたいと思います。
園児・小学生のころには入門・練習ゲレンデとしてよく仕事帰りの父にナイターに連れて行ってもらったことを思い出します。
90年代には図中の第2リフトはシングルリフトで、ゲレンデの中腹から乗れたと思われる山の上に急傾斜で上っていく赤いシングルリフトの残骸があったと記憶しています。
山の頂上からは急傾斜のゲレンデがあったらしいですが、如何せん担いで登る体力もなく、幻のゲレンデでした。
今となってはスキー場そのものが幻になってしまい、旧高山市街にある手軽なスキー場がなくなったことは寂しい限りです。
私は小学校2年から4年まで高山で生活していました。南小学校です。
38豪雪でしょうか?市内がすべて雪で埋まり、原山から市内の家までスキーで帰ってきました。
どなたかが書かれているように地獄谷を直滑降で滑った記憶があります。
高山は今は観光客でいっぱいですが、昔は素朴な人柄、とても素敵な街という印象が残っています。大人になったら高山に住むぞ、と決めたことを今でも覚えていますが、現在は東京に住んでいます。とても懐かしい思い出です。
この度「ひだ舟山スノーリゾートアルコピア」が今シーズン限りで廃止されます。
高山市がモンデウスを残すかアルコピアを残すかの選択でモンデウスを残すことに決めました。
いいスキー場だったのに残念です。