(左)第2リフト下からゲレンデ全体を見上げる。(右)第1リフトの痕跡と、ゲレンデ下に1軒建物の残ったロッジ。
いまは高山市となった旧国府町から、東の山中に車を進ませる。こんな山間の谷間を進んだ先にスキー場があるのか不安になる頃、呂瀬のわずかな平地に出て少しほっとする。飛騨のこのような山中に生活を求めた理由は何なのか、そんな気持ちにさせられる集落である。その先、駒鼻峠に向かう道の東側にロッセスポーツランドの西向き斜面のゲレンデ跡があった。ゲレンデ下には1軒だけロッジの建物が残っていて、その庭にあるブリキでできた獅子おどしが、静寂の中でときどきカターンと音をたてる。道沿いのサクラが満開だ。
旧丹生川村にあったロッセスポーツランド(ロッセ高原スキー場)。1973年の開設。最盛期の1980年代には年間2~3万人の集客があったというが、最後の頃には1万人を割り込んでいたようだ。2004シーズンを最後に閉鎖となった。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「国見山頂から北アルプスを一望できる景観の美しいスキー場。山頂からのロングコースを3本もそろえていたり、40度の急斜面、下部の緩斜面など7コース。変化に富んだ本格的スキー場としてファンが多い。ゲレンデ下のロッセ山荘と国見山荘がベース。スノーモビル専用コースあり」と記載されている。
ゲレンデを見上げると、最上部は相当な急斜面に見える。このゲレンデ構成ならば、熱烈なファンが多かったという話もうなずける。3本あったというシングルリフトの乗場には、コンクリートの残骸が残っている。上部の斜面は土色のままで、樹木が覆いゲレンデの痕跡を消し去るのにはまだ何年かの時間がかかりそうだ。アクセスの悪さや、今風とはおそらくいえなかったであろう施設などにもかかわらず、このスキー場に通い続けた人々がいたという。このゲレンデを見上げれば、スキーヤーなら何となく共感してしまうのではないだろうか。(現地訪問:2010年5月)
(左)第2リフト乗場。右手奥に第3リフト乗場。
ラベル:ロッセスポーツランド
ずいぶん昔の記憶ですがロッセオススメポイントです。
1.正面の壁は気合と腕とリフト注目度No1
2.ウオータースキー完備
3.駐車場で極寒キャンプOK
4.面白い事は何でも有りで20年程前のボード初期に正面の壁OK
飛騨ハイランドも近々、取上げたいと思っています。
規模は小さかったですが急斜面、新雪、湿雪、アイスバーン、クラスト何でもありで、非常に面白い超穴場スキー場でしたね。閉鎖になって残念です。。。
リフトのおっちゃん、食堂のおばちゃん、皆さん良い人ばかりで
私のスキー人生の良い思い出です。
ロッセは毎週のように名古屋から通っていました、コンパクなスキー場でしたが、
週末でも比較的混雑もなく、カービングの
練習に来ていました、またのんびりした雰囲気も好きで、今思えは凄く癒されました
無くなってしまったのは、残念です、投稿画像を見て、少し悲しい気分にもなりました、時代とともに、ローカルスキー場がなくなるのは仕方ないのでしょうね・
ゲレンデは上部は恐ろしくハードなバーンがあり、下部がゆったりと過ごせる、そして気温が低いので雪質が非常に良かったのを覚えています。
もう今から30年ほど前の記憶です。残念です・・・
去年もハイクして滑りました。とてもハードでした。木々が茂り始めて、積雪が多い時しか滑れません。三年前は最高の状態で滑れました。
そしてまた、昔につながる地元の方々と再会できました。未だに滑れなくても、行ってしまうとても思い出の場所です。ホントに閉鎖寂しいです。お金持ちなら買い取って再開したいです。
70年代後半から90年代半ばまで毎冬スキー通いを続けていました。もっぱら大糸沿線や志賀高原が多かったですが、ついでのはしごスキーで飯山周辺や木曽周辺のローカルゲレンデにもよく通いました。夜行列車でのゲレンデ通いはもちろんですが当時はスキーバス全盛で在住の大阪からは名神~R19で信州入りが定番でした。スキーバス添乗員も3シーズンほどやりましたっけ。残念ながらロッセスキー場は滑走経験はありませんが廃業後に車中泊の貧乏旅ではよく利用させていただきました。道路を隔てた下側のロッジ横にはおいしい湧水が在りました。今年(2022夏)も久しぶりにゲレンデわきで車中泊させていただきました。ロッセの文字を見て思わず書き込んでしまいました。当時知っていたら私もきっとはまったと思います。