(左)「市民の森」の駐車場から見上げた斜面。(右)道路沿いから斜面を見上げる。
関越道・沼田ICからアクセスする数多いスキー場の中で、玉原(たんばら)だけは「沼田ICを出て右折する唯一のスキー場(他のスキー場は左折)」。スキー場が混雑していた年代には、「だから道も混雑しなくて良い」といわれたことがあったが、はたしてどうだったか。ちなみに玉原スキーパークには1回だけ滑りにいったことがあるが、緩斜面が多いゲレンデだという印象が残っている。
その現在の玉原スキーパークに行く途中に、昔あったのが市営沼田スキー場。沼田ICから玉原高原や迦葉山を示す標識に従って、関越道のガードをくぐり北上し、上発地集落を通り過ぎて車を進ませる。やがて民家も途絶えがちになった頃、右側の斜面に「市民の森」を示す標識がある。これが昔あった「沼田スキー場」の現在の姿。一段、上ったところに駐車場やトイレなどが置かれ、そこからゲレンデの斜面を登るように遊歩道が整備されている。
桜の木が植林されていたが、とうに花は散ったあと。レンデツツジが綺麗だった。途中には展望用のデッキや四阿なども整備されている。ゲレンデ上部から見おろすとなかなかの斜面に見えた。リフトなどスキー場の施設は綺麗に撤去されその痕跡を見出すことはできなかったが、このように整備された姿にはやはり好感が持てる。
(左)「市民の森」の案内図。(右)上部の展望デッキ付近から下部を見おろす。
「50年のあゆみ 沼田市行政史(2004年11月)」には「市民の健康増進や青少年の健全育成を推進する冬季スポーツの場として、また市北部の観光開発を目的として、上発地町地内国有林に市営沼田スキー場を開設し、昭和40年12月28日会場式を行った。当時は水上町の大穴、鹿野沢、湯原のほか、片品村の戸倉とオリンピアスキー場があるのみで、観光の目玉施設として期待も大きく……(後略)。」と記載されている。
300mのシングルリフト1基とともに、ロッジ6店も営業開始。昭和41年12月には120mのロープ塔も整備され、市民スキー大会はじめ県内11市の都市親善スキー大会や小中学校・育成会のスキー教室なども開催され、多くの市民に親しまれたようだ。当初のリフト料金は1回券40円、6回券200円。なお、沼田市商工課の記録によれば、入場者数の推移は(昭和42年)20,000人(50年)47,300人(59年)14,200人となっている。
1985年(昭和60)の関越道・沼田IC開通当時は「沼田ICから30分。東京から一番近いスキー場」のキャッチフレーズもあったという。しかし、前述の玉原スキーパークのオープンを控えた1988年(昭和63)3月13日を最後として、営業を終え閉鎖となった。ここから数キロ奥に位置する玉原スキーパークにその後の発展を譲ったかたちとなっている。開設以来23年間の利用者は37万9770人、リフト収入は6672万4200円と記録されている(「沼田市行政史」による)。(現地訪問:2010年5月)
ラベル:沼田スキー場
沼田出身の会社の同僚から良く沼田スキー場の話を聞いていたので思わず書き込んでしまいました。
沼田スキー場の閉鎖は確かに玉原スキー場に客を譲ったとの噂らしいです。その証拠に沼田市民には玉原で使える沼田市民券なるものがあるようです。
群馬方面のゲレンデに良く出かけていますが、関越道水上ICから2キロ新潟寄りの144キロポスト付近に、「しろくまスキー場」と言うのがあったとか、ゲレンデを二つに割って関越道が走っていますが、斜面下半分はそれとなくゲレンデ跡と解ります。
沼田スキー場って土日祝に無料の講習会 やっていたそうです。