(左)広い駐車場と立派なセンターハウス。その向こうにメインゲレンデ。
1991年2月に一度だけ滑りに来たことがある。1989年(1990シーズン)開設だからオープンして間もない頃。東京からも近いお洒落なスキー場として、まさに売り出したところだった。カナダ国旗に描かれているメイプルの葉をモチーフに、カナディアン・テイストの大きなセンターハウスと広い駐車場を備えていた。リフトもクワッド1基とペア3基という施設。しかし当日の斜面はカチカチのアイスバーンで、スキーではなくスケートをしているようだったのを覚えている。当日のコンディションがたまたま悪かっただけなのかもしれないが。最大斜度28度、最長滑走距離2,000m、99haの広さをもち、おもに中級者向けの斜面だったが、いまひとつインパクトのある斜面には乏しかったと思う。
「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「東京からクルマで150分とアクセスの良さがウリ。全長2kmの粉雪とカナディアン感覚で統一された新しいシティ派ゲレンデという色彩をもつ」と紹介されている。また、「日本のスキー場・東日本編 skier '91(山と渓谷社)」には「スキーリゾート先進国カナダをイメージして造られたスキー場。片斜面をすべて無くした徹底さに感心させられる。また、コブ斜面も少なくカッ飛び派には最高」と記載されている。カナディアン・テイストという日光・鬼怒川・塩原という日本の伝統的観光地と相容れないカラーになっているのも、バブル期にできたスキー場らしいといえるかもしれない。
経営母体の破産により2000シーズンを最後に営業休止、閉鎖となった。その後の事業継承会社により、リフト施設の撤去と自然の国有林に原状回復する取組みが進められた。隣接する「鶏頂山スキー場」と共通リフト券も販売されていたが、その鶏頂山もおなじ経営主体であり、同時期に閉鎖となっている。ただ、さらに隣接する「エーデルワイススキーリゾート」は現在でも営業を続けている。日塩もみじライン沿いにはさらに「ハンターマウンテン塩原」もあり、全盛期のスキーシーズンには、ところどころ凍結するこの道は大渋滞となっていた。
日塩もみじライン沿いの案内看板に「エーデルワイス」「ハンターマウンテン」の文字は見られるが、「メイプルヒル」「鶏頂山」の文字は見事に消されている。鬼怒川方面から日塩もみじラインをしばらく車で上って、それらしきところを右折すれば、「メイプルヒルスキーリゾート」と書かれたアーチの下のゲートは閉ざされている。その先には、廃屋となった大きなセンターハウスと広い駐車場がそのまま残されていた。ゲレンデの跡も認められ、ナイター照明施設もそのまま残っている。ただ、リフト施設はすっかりと撤去されていた。センターハウスと正面のメインゲレンデは、記憶にあるよりも大きな規模に思えた。
(左)アカシアコース上部から下部を見おろす。(右)ゲレンデ最上部には、ゲレンデマップと小屋が残されていた。
一方、鶏頂山スキー場のゲレンデから枯木沼を経て、メイプルヒルの一番左にあったアカシアコースに出て、登山道に従ってゲレンデ最上部まで歩いてみる。コース沿いのポイントにはメイプル・鶏頂山・エーデルワイス3ゲレンデのコース地図が掲げられていて、左手(北側)の木の間越しにはエーデルワイスのリフトが見え隠れする。樹林帯を切り開いたゲレンデには雑草が茂っているものの、日差しが容赦なく照りつけている。最上部にも3つのゲレンデの地図とリフト施設に付随していたと思われる小屋が残っていた。ゲレンデ下部を見おろしても、あいにく雲に隠れていて状況はわからなかった。(現地訪問:2010年7月)
ラベル:メイプルヒル
兄の家族と訪れたのが1990年前後
でしたが、エーデルワイスの駐車場は
満車で30分待ち。15分待ちの
メイプルヒルに車を止めました。
昔の賑わいが本当に嘘の様です。
鶏頂山のシングルリフトは、60年代に
行った昔のスキー場にあった、振動が
ビリビリ伝わってくる懐かしいもの
でした。残念です。
89年に栃木県で生まれた私はスキーの基礎をここで学びました
隣接するハンターマウンテンはボーダーが多くて危険なイメージでしたから子供が練習するにはよかった気がします
閉鎖の事実を知らないで行った時に初めてハンターマウンテンデビューしたのを覚えています
隣接する鶏頂山と共にスキーの楽しさを教えてくれたスキー場でした
色々思い出したら涙が(笑)
いいものを読ませていただいて有難うございました!
あまりの懐かしさに少し涙が、、、
私にとって一番思い出深いスキー場です。
私は1996年から1998年までシーズン中は毎週のように千葉から一人でジムニーに乗ってモーグルの練習に通っていました。
勿論車中泊で土日とも滑っていました。
最初は一人で集中して滑っていたのですが、
色々な人が声を掛けてくれるようになり、
最終的には行けば必ず友達に会えるスキー場になっていました。
しかも最初は天然コブのコースがあっただけのメイプルも1997~8年にはエア台付のモーグルコースが設置されて大喜び。
みんなでモーグルを盛り上げてスキー場が作ってくれた大切なコースを皆で自主的にメンテナンスをした事を今でも思い出します。
メイプルヒル・・・懐かしいですね。
1993~とてもお世話になったスキー場です。
独身の頃、毎週のようにスキーに行っていた頃、ここか、エーデルか、だいくら、たかつえ・・・行っていました。
6時間耐久レースというのが開催されていて、参加したのをおぼえています・・若かったなぁ(笑)
脱サラして専門学校通っている間に倒産していました。
貴重な写真を拝見させていただきました。ありがとうございました。
当時の賑わいを思い出し、エーデルワイスとハンターマウンテンの頑張りに期待したいと思ってます。
独身時代に鶏頂山によく行きました。その後結婚し子供ができた頃オープンしたのがメイプルヒルだったと記憶しています。子供がまだ小さいころメイプルヒルはホームゲレンデの様に通いました。だらだらと長くゆるやかな斜面は小さな子供達を遊ばせるのには絶好の場所だったと思い出します。
二十代後半頃だったか?アルバイトしておりました。
校長が解散の時「どこでも良いから滑っていろ」と言われたのを思い出します。楽しくもほろ苦い思い出がいっぱい詰まった場所です。
今は子供とスキーを楽しんでいます。
皆元気かなぁ・・・
私はスノーボード派なのですが、ココとエーデルで基礎を学んだと言っても過言ではないくらい充実したアルバイト生活でした。
こちらのコメント欄には同じような時期を過ごした方もコメントされていてとても懐かしい気持ちになりました。
今の様子を掲載してくださってありがとうございました。
ハンタマよりも空いていて、コースも緩やかで子供ながらに好きな場所でした。鶏頂山は急斜面で怖かった記憶が。
受験やなんやらで毎年恒例だったスキー場への家族旅行もなくなり、いつの間にか父しかスキーをしなくなり、今や私はもうすべれないだろうし、母も行きたがらないだろうな。
たしかピンクと青の鳥のマスコットがいて、暗闇でひかるキーホルダーをお土産で買った記憶があります。
水を入れるとモコモコ偽物の雪が出てくるお土産も買ったなぁ。
大切な大切な、幼い頃の記憶です。
毎週のように行ってました
ここかエーデルワイス、たまにだいくらやたかつえに足を伸ばす感じでした。
メープルヒルで、6時間耐久レースなるものがあり、
後輩が参加していました