2010年08月12日

鶏頂山スキー場(栃木県日光市)

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(左)広い駐車場と鶏頂山荘。(右)駐車料金を徴収していたと思われる小屋が左手に。中央奥にはゲレンデが広がる。

1991年2月にメイプルヒルに来たついでに、翌1992年2月にはエーデルワイスに来たついでに鶏頂山も一緒に滑ったことがある。メイプルヒルとエーデルワイスに囲まれた小規模なファミリーゲレンデだったが、新設のスキー場にはない、歴史のあるスキー場に特有の落着いた雰囲気をもっていたのが記憶に残っている。メイプルヒル(1989開設)、エーデルワイス(1969開設)より早い1961年の開設。最大斜度18度、最長滑走距離900m。ペア2基、シングル1基、ロープ塔1基。

「日本のスキー場・東日本編 skier '91(山と渓谷社)」には「東京からの日帰りスキーヤーで賑わっている。メイプルヒル・エーデルワイス・スキーリゾートの両スキー場に隣接し、共通のリフト券がある」と記載されている。私も共通リフト券を使って、ゲレンデを渡り歩いたと記憶している。隣接するメイプルヒルと同様、経営母体の破産により2000シーズンを最後に営業休止、閉鎖となった。その後の事業継承会社により、リフト施設の撤去と自然の国有林に原状回復する取組みが進められた。

日塩もみじラインを鬼怒川方面から進み、メイプルヒルへの入口(いまは案内板はない)を過ぎてしばらくすると右に分岐する道があり、鳥居の下を進む。鳥居は鶏頂山奥宮への参道であることを示しているのだろう。ここにだけ「鶏頂山スキー場」の小さな案内板が残っている。

ところどころ舗装が陥没している道をしばらく進むと、鶏頂山スキー場の広い駐車場に出る。傍らには駐車料金を徴収していた小屋も残っている。廃屋となっている鶏頂山荘の向こうには緩やかな斜面が広がっているが、リフト施設はすっかり撤去されている。山荘には貸しスキーなどかそのまま放置されていた。

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(左)ゲレンデを少し登り、鶏頂山荘を見おろす。(右)ゲレンデ最上部。いくつかのコースが前方にくだっていく。

鶏頂山への登山道がつけられている一番左のゲレンデを登っていく。クイーンコースという名前がついていたところ。ゲレンデの両側は樹林帯だが、登山道は雑草が覆うゲレンデの真ん中につけられている。この斜面下部にはロープ塔があったようで、その監視小屋のような金属製の小屋がゲレンデ脇に残されていた。さらにゲレンデの登山道を登っていけばリフトの終点だった場所に至る。ここから、4本ほどのコースが下部に向かって下っていたことが見てとれる。

さらに樹林帯の中を少し進めば枯木沼に出る。木道が設けられた気持ちの良い湿地帯が広がっていた。このあたりが3つのスキー場の接点にあたるところ。上部右手がメイプルヒル、上部左手がエーデルワイスという配置だった。現在も営業を続けているエーデルワイスとの境界には、滑り込めないよう各所に柵が設けられていた。(現地訪問:2010年7月)
posted by 急行野沢 at 21:00| Comment(16) | TrackBack(0) | 栃木県 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お久しぶりです。
鶏頂山、懐かしいですね…。
鶏頂山荘を見下ろす風景、脳裏にスキー場営業時のイメージが瞬時に蘇りました。
ここは足利銀行破綻問題とからみ、メイプルヒルと運命を共にしてしまいましたね。
こじんまりとして、家族連れが多くて賑わっていたイメージだったんですが…。
Posted by まてぃ at 2010年08月31日 14:44
まてぃさん、お久しぶりです。
鶏頂山はこじんまりとして、意外と好きだったんですが。
Posted by 急行野沢 at 2010年09月01日 12:28
ここは私が小・中学生の頃、足銀勤務だった父に連れられて、よく通ったゲレンデです。まだメープルもエーデルもハンタマもなく、日塩道路の随一のビッグゲレンデでした。
枯木沼シングルに乗ると、ハヤブサコースという激烈な急斜面があった気がしますが、今見るとそうでもないのかな?
レンタルスキーは遅い時間に行くと、同一サイズで左右別の板だったり、昔はいい加減だったなぁ。
Posted by のぶネット魚沼 at 2010年11月23日 06:11
鶏頂山スキー場の紹介があり感激です。
思わず投降をご容赦を。
このスキー場には思い出が沢山あります。
今や30歳になる子供達とほば毎週日曜日にには出かけておりました。
センターのリフトで上がり、どのコース使って降りてきてもセンターハウスの前で見つける事の出来る便利で個人まりしたゲレンデが大好きでした。
センターハウスでの昼食も安価で満腹になる珍しい場所でした。
北斜面でしたので積雪も隣接のメイプルよりコンデションは良かった。
又、何処かへスキーへ行きたいと思うが、スノーボーダーの方がゲレンデを占拠されているようなので遠慮がちになります。
乱筆乱文、申し訳御座いませんでした。
Posted by 戸越銀座 at 2011年01月29日 12:46
戸越銀座さん、鶏頂山の思い出をお寄せいただき有難うございます。スキーヤーオンリーのスキー場やスノーボーダーの方が肩身の狭いようなゲレンデも結構あるので、また、スキーに出かけられてはいかがでしょうか。
Posted by 急行野沢 at 2011年01月29日 20:41
千葉から一番行きやすかった場所でした。
鶏頂山にある四つのどれかのスキー場に
毎週のように行っていました。
会社から帰ると、
車にスキー板を取り付け東北自動車道を走り深夜民宿に着き、
朝一から滑っていました。
鶏がスキーをしているスタッフジャンパーが
かっこよかったのを覚えています。
もう25年も昔の話になります。。。

Posted by 湾岸千葉スキーヤー at 2011年02月08日 18:30
そうでした。鶏がスキーをしているマーク。いまとなっては懐かしいマークですね。
Posted by 急行野沢 at 2011年02月08日 20:02
22年前メイプルのオープニングスタッフとして高校時代に冬&春休み東京からバイトしに行ってました。本日つぶれてた事を知り、さまざまな思い出を思い出します。
バイトしてた方コメントください!
Posted by 高校時代 at 2011年11月01日 01:56
25年前の3月に宇都宮西武スポーツで鶏頂山スキー大会を開催し約200名の選手が出場したのを懐かしく思います。
スキー人口減少で仕方がない事ですが思い出のスキー場が次々に閉鎖され残念ですね!
Posted by 西武スポーツ at 2012年01月03日 11:45
スキー大会に200人出場ですか。その頃は栃木のスキー場といえば、まず鶏頂山の名前があがったのでしょうね。
Posted by 急行野沢 at 2012年01月03日 18:38
昔話で鶏頂山スキー場の事を思い出しました。
今から29年前の冬休み、高校生の自分はスキーをしたことがないのにバイトに行かされ、更に担当が貸しスキーハウス(+_+) 沢山のお客さんで、てんてこ舞い 右と右の靴を貸し出したりとm(__)m
夏には、合宿で約1ヶ月お世話になり青春の思い出の場所でした。当時は鶏頂山スキー場のパンフレットに載った思い出もありました。
時代の流れもあるけれど、残っていてほしかった(ToT)


Posted by mtf B&B at 2012年08月22日 20:53
鶏頂山懐かしいです、当時、東京から一番近いスキー場として東北道を飛ばして今市から、当時は愛車に四輪スパイクタイヤをはいて毎週のように行ってました、夜中に出発し明け方には到着し、朝一番から滑り、鶏頂山荘でカップラーメンをすすり、一日スキー三昧だった若い頃を思い出します、まだハンターマウンテンもない時代からお世話になりました。東京からとても行きやすく安く遊べるゲレンデでした。
Posted by よたろう at 2012年08月28日 14:18
西武スポーツ宇都宮スキー大会を主催した西武百貨店OBです。プロスキーヤーの沢口学さんをセッターに迎え一大イベントでした。バブルの崩壊と共にスキー人口が減少し冬のレジャーの活気がなくなりつつあるのが残念です。
私も今は雪に無縁の沖縄に住んでいます。
Posted by 西武スポーツOB at 2012年10月27日 15:08
懐かしい!
40年も前に毎年、年越しで7泊も8泊も民宿に泊まってスキーをしました。黒沢民宿という宿です。当時、ご夫婦と息子さん一人、娘さん二人で切り盛りしていました。
まだ鶏頂山スキー場と見晴スキー場しかなかった頃です。鶏頂特製ラーメンが美味しかった。
スキー場からは日光連山、燧岳、荒海山、七つ岳など抜群の見晴らしでした。
Posted by てつ at 2015年10月17日 18:18
昨日(2020、06、10)西口Pから鶏頂山と釈迦ヶ岳に登山に行きました。ゲレンデ最上部に鶏頂山スキー場の案内板と朽ち果てたキップ売り場があり、また約50年ぶりにあちこちのゲレンデらしい場所を見ましたが、昔の面影はどこにもなく涙が出そうでした。73歳、体力があればまた鶏頂山に登るついでにあちこち探検しようと思ってます。
Posted by nifz35 at 2020年06月11日 09:47
29年前、此処に勤務していました、共同興発(株)が親会社で、本社は、東京都港区赤坂にあり、別荘分譲や、ゴルフ場の会員権の販売等、スキー場も手掛け初め、ご存じのとうり、ファミリー向けのゲレンデなので、鬼怒川、川治温泉のお客様が多く、スキー場の売り上げのナンバー1が、貸スキー、他のスキー場では考えられませんでした、土日祝日は駐車場は車が溢れ、貸スキーは無くなり、ロッジには人が溢れ・・・・・・今あるのは廃墟址だけですね。 今は、北海道に居るので、行く事も叶いませんね、あの頃に、鶏頂山にも登っておけばよかった。



Posted by 冨岡治雄 at 2021年09月13日 13:40
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