(左)第四駐車場付近から前方の丘陵に向けてゲレンデが開かれていたと思われる。(右)公園内の地図にはいまもスキー場の文字が残るものも。
どんな都市にも、その土地の人々が心のよりどころとする公園のような場所があると思う。だいたいはその都市の郊外の小丘陵に開かれたような園地。新潟県第二の都市である長岡市でいえば、それは悠久山公園にあたるのだろう。長岡市街から南東へ数キロの距離。この悠久山公園に開かれていた悠久山スキー場は、長岡市民のホームゲレンデだった。その役割は今日では、悠久山からさらに南東に行ったところにある長岡市営スキー場に引き継がれているのではないかと思われる。
「スキー天国にいがた」(1975年12月)には「長岡市悠久山公園内の景勝地にあり、標高80m、面積35,000平米、初級・中級向であり、実力に応じたスキーができる変化に富んだスキー場で、滑走可能期間は、12月下旬から3月上旬まで。国鉄長岡駅(東口)からバス10分、下車して徒歩5~6分でスキー場に着く」と紹介されている。リフト1基241m、ロープトウ100m、ナイター施設もあった。スキー場開設は1959年(昭和34)。営業をやめた年月については正確な資料を見つけていないが、1990年代ではないかと思われる(その後、コメント欄にあるとおり、1999年終了と判明)。

(左)手前にひょうたん池。その向こうにゲレンデだった斜面。
長岡市街から案内板にしたがって悠久山公園を目指す。主要な交差点には必ずといってよいほど悠久山を示す案内が出ている。蒼柴神社の入口脇を過ぎて右折してしばらく進めば、左手に公園の第四駐車場があり、ひょうたん池という池がその横にある。この一帯がゲレンデのエプロン部で、正面に見える小丘陵に向けてゲレンデ開かれていたようだ。ほとんど町の中といっていいような、このような場所にスキー場があったとはうらやましい話だ。リフト・ロープトウやナイター照明も撤去されたようで、スキー場の痕跡は見あたらない。見上げる斜面にも樹木が生い茂り、ゲレンデの様子を回想することは難しくなりつつある。
猛暑の8月の休日。それでも公園に設けられた小動物園には家族連れの姿が見られたし、多くの若者グループが木陰にシートを広げてビールを飲んだりして楽しんでいる様子だった。このような公園の多くはかつての輝きを失いつつある。しかし、スキー場が市民の憩いの場からも撤退しなければならなくなった、と考えると少し悲しくなった。(現地訪問:2010年8月)
ラベル:悠久山スキー場
閉鎖は1999のようです。
新潟県のスキー場ほぼすべてを網羅していた新潟日報(新聞)スキー場積雪情報 でも、95年の時点ですでに悠久山は掲載されていませんでした。
すばらしいブログですね。
70年台に長岡で学生生活を過ごして
おりました。悠久山スキー場は当時
小中高のスキー授業のメッカであり
ました。しかし1973年(昭和48年)の
12月に車で5分程度の距離に同じく
長岡市営のスキー場がオープンするや
主役はそちらに移行していったので
あります。ちなみに…
TBSドラマ「ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ」で
滝沢秀明と深田恭子が遭難したのは、
長岡市営スキー場でした。(笑)
意外と急でしたし、池にダイビングしそうでしたので、スキー授業にはあまり使いませんでした。上部の奥に松手山?といった、小山斜面がのっぺりと広がり、そこが小学校などで主に利用していたと記憶しています。
市内の高校時代、おそらく30分位も学校からスキー板を担いで歩き、午後スキー授業がありました。そんな中、昭和48年長岡市営スキー場が始まりましたが、そこと並行してしばらく授業で利用していました。
子供の頃からこのスキー場に数回だけ父親から連れて来てもらい、その後自分で行くようになりスキーが上達しました。
真ん中に池があって地形的に悪いなと思っていましたがそれでも距離的にこのスキー場が一番近かったのでよく利用しました。距離が短くてあっという間に滑り終わり、飽きると裏山の一本道を滑走してよく楽しみました。
魚沼市でもいくつかのスキー場が経営難でNPO法人が某スキー場を買収して経営するなんて話しも入っています。
今年は何十年ぶりに長岡市営スキー場にでも子供を連れて行ってみたいと思います。
>市内の高校時代、おそらく30分位も学校
>からスキー板を担いで歩き、
>午後スキー授業
ひょっとして同窓生?
>池にダイビングしそうでした
わたしおこっちになりました。
リフトあがってすぐの正面斜面はたしかに
もの凄く急で迂回コースで下った記憶が
あります。テストは高専が見える裏山で
やりました。
ズルしてタクシーで乗り付ける
モサ達もいて後で体育教官室に
呼ばれてたっけ。(^^;)
このスキー場は私の子供時代の一番の遊び場でした。年末のほとんどお客さんがいなかった日に、友達と朝から営業終了まで練習していて、1日で100本以上リフトに乗ったのを覚えています。
あまりこのブログのネタが増えないようにとは思いますが、これからも頑張ってください。
30歳頃まで行ったスキー場を数えると40ヶ所になります。海外は北米旅行の際にマンモスマウンテンで3回ほど滑りました。スキーはしばらく止めてますが定年を迎えてまた復活したいです。
悠久山が閉鎖されたことは寂しく思います。ブログ拝見させて頂きありがとうございました。
悠久山スキー場は池の前よりも裏山の方でよく滑った記憶があります。
あとロープ塔という腰くらいの位置で一本の回転するロープにつかまって緩やかな斜面を上る装置がありましたよね。
市営スキー場は一度だけ行きましたが、その後、長岡を離れてしまいました。
40年ほど前の5年間、平日のナイターほぼ毎日山の裏側の高専の寮からイタを担いで山を越えてポール練習に通っていました。
シーズン6戦のナイタースラローム、大会終了後に表彰式をする喫茶店、あのころの夜の悠久山は近隣の名手たちの集結する腕比べの場でもありました。
私にとってはスキーから離れられない人生にしてくれたメモリアルスポットです。
悠久山がはじめてのスキー場でした。中1の冬(たぶん)。
学校でもスキー授業で連れて行かれました。ただそのとき滑ったのは、裏山の、リフトもロープもない場所でした。滑っては必至に登り(逆八の字!)、また滑っては登り…。登るのは時間がかかっても、滑るのはあっという間。いまから思えば体力トレーニングにもいいし、第一ちっとも寒くありませんでした。
近くに学校らしき建物が見え、長岡工専だと友だちが教えてくれました。そうか、あれが兄貴が落ちた長岡工専か、と。
悠久山、あの日々をありがとう。
ちなみに「歩いてスキー授業に行った」諸先輩はわたくしの父と同年代でしょうか。私の代では岩原合宿でしたよ!