2010年11月02日

猿倉城址公園スキー場(富山県富山市)

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(左)ゲレンデ下部から見上げる幅広の一枚バーン。(右)最近塗装しなおされた様子のリフト乗場。

秋も深まり、そろそろスキー場オープンの情報も聞かれるこの頃。しかし、ついに今年はゲレンデ・オープンの日を迎えないスキー場もある。ゲレンデ一番乗りよりも、そんな廃スキー場に関心を持つようになるのもどうかと思うが。

富山市の中心市街地から国道41号をまっすぐ南下していく。15kmほど走ると旧大沢野町(現在は富山市に合併)となるが、ちょうど飛騨の山間部をぬって流れてきた神通川が、富山平野に流れ出す場所にあたる。旧大沢野町の東側にある小丘陵には猿倉城址公園があり、球技場・パターゴルフ・展望台などの施設が整備されている。この公園の一角にあったのが、猿倉城址公園スキー場。幅広い緩斜面のゲレンデに、シングルリフト1本(300m)の施設があった。

国道41号から案内標識に従って小丘陵にクルマで上っていけば、ゲレンデ下部に出る。といっても公園の一角という雰囲気で、最下部は野球場のようになっているし、隣接してコミュニティセンターやパターゴルフ場があり、上部には展望台などの施設がある。休日とあって、多くの人がさまざまに楽しんでいる。ゲレンデ下部に隣接する畑地で農作業をしている奥さんに聞けば、「今度の冬(2011シーズン)からスキー場は営業しないそうですよ」とのことだった。老朽化したシングルリフトの架け替えのための資金が問題となったのだろうと推測される。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「富山市からクルマで30分以内の日帰りスキー場。ゲレンデ全体が緩斜面だけのまったくのファミリー向き。春日温泉が近い。木・金・土にナイター営業をおこなっている。頂上からは富山平野や神通渓谷を一望でき景観がよい。レンタルあり。子供用ソリ・スキーゲレンデあり」と案内されている。1965年(昭和40)、旧大沢野町直営のスキー場として開業し、最近は富山市が運営していた。休日の昼は完全なファミリーゲレンデ、しかし平日のナイター営業時には仕事帰りにまじめに技術向上に取組むスキーヤーの練習場になっていたようだ。

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(左)ゲレンデ上部からゲレンデと富山平野を見下ろす。(右)公園の案内図。

ゲレンデ下部の右手にあるリフト券売場の建物などリフト乗場の施設は、最近ペンキを塗りなおしたらしく鮮やかな色。その隣の木造の建物は古い食堂のようだが、最近は使われていなかったのだろう。リフトは椅子を撤去されてはいるが、鉄塔やワイヤーなどはそのままの状態で、今度の冬の営業を待っているようにも見受けられる。一面の草地となっているゲレンデ上部からは、富山平野の広い展望をほしいままにすることができた。(現地訪問:2010年9月)
posted by 急行野沢 at 01:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 富山県 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
猿倉山スキー場ですね…。
今年の3月に朝日新聞に記事が出てたので記録していました。

富山訪問時には雪不足で滑れなかったのが痛恨です…。
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客足伸びず経営難 進む老朽化

猿倉山休止 
南砺 5カ所縮小へ
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 富山市直営で、旧大沢野町にある猿倉山スキー場は、今季いっぱいでリフトの運行を休止することを決めた。市の担当者は「そりや雪遊びはできるようにしたい」とするが、本格的にスキーを楽しむのは難しくなる。

 大きな理由の一つがスキー客の激減だ。平成に入って以降、90年度に1万8千人を記録してからは右肩下がりの状態。雪不足もあって6日間しか営業ができなかった昨年度は、千人程度まで落ち込んだという。施設管理や人件費に年間560万円ほどかかるが、リフト券やスキーのレンタル収入は約200万円。オープンから50年近くたって施設の老朽化が進んだこともあり、事実上の休止を決めた。

 南砺市でも、スキー場の整理縮小を視野に入れた議論が始まりそうだ。

 8町村が合併した市には、施設の修理のために営業を休止している「スノーバレー利賀」を含め5カ所のスキー場がある。新年度、スキー場の運営に関する検討委員会を立ち上げ、1年間かけて今後の方向性を決めるという。
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Posted by まてぃ at 2010年11月02日 17:46
猿倉山スキー場を、取り上げていただき、うれしいですね。

私は、その大沢野町(現:富山市)に生まれ、小学、中学のころはよくそこで滑りました。
当時から、古びたレストハウス・・・というよりは、休憩小屋が一つあるだけで、その当時はロープトゥでした。

自宅から表にでると、そのスキー場の斜面が見え、新雪の降った直後などは、そのゲレンデを見て、「あ~、滑りに行きたいな」と思ったものです。

全国中学スキー大会の富山県予選大会や、地元のスキー大会があったのも、遠い昔の話となりそうです。

猿倉スキークラブのネクタイピンが、私の宝物のように、引き出しにあります。
バッジテストの検定員をしたときの形見です。
Posted by 茶木寿夫 at 2011年10月27日 14:47
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