(左)奈川温泉・岩花荘。その裏に奈川温泉スキー場があった。ロープトウで正面奥の尾根上まで上り、その上がゲレンデだったらしい。(右)樹木が育ちゲレンデの跡はよくわからない。菱形にかすかに樹木の薄い部分がゲレンデの跡と思われる。
旧奈川村は乗鞍の麓にある山間の地という印象が強く、その谷に分け入るときは何かしらの緊張感をともなう。国道158号を松本から上高地方面に走り、奈川渡ダム手前のトンネル内で左へ分岐。上高地・乗鞍方面に向かうルートとわかれると、とたんに車の数が減る。梓湖と奈川に沿う谷に入り、中心部の黒川渡で西に折れて奈川温泉に向かう。
奈川温泉「富貴の湯」の近くで、地元の老人に奈川温泉スキー場のあった場所を聞くと「岩花荘の裏にあったんだ」とのこと。「下の方は平らだったけれど、上のほうは急斜面。リフトはなかったけれど、ロープトウがあったね」という話だ。しかし、岩花荘の前まで行って裏の斜面を見上げてもそれらしい気配はない。「あの尾根の所までロープがあって、それで登った上がゲレンデだった。今はもう木が茂って、跡はわからないね」といわれた。谷あいの道沿いから一段登ったあたりにゲレンデがあったらしい。
この谷をさらに進み、反転してゲレンデがあった山腹に上がっていく林道をたどってみる。ゲレンデの上部に出られるはずだが、奈川温泉の真上と思われる場所まで行っても、なんとなく樹林が薄いところはあるのだが、はっきりとしたゲレンデの跡はわからなかった。次に、反対側、つまり谷の北西側にある乗鞍スーパー林道を少し登ったあたりから、対岸を見ると菱形に樹林帯の色がかわっている部分がなんとなく見つけられた。地形図を見ると、黒川南岸の岩花荘から標高差50mほど上にやや平坦な場所があり、荒地の地図記号が表示されている。そこがゲレンデの跡のようだ。
(左)ゲレンデ最上部と思われるあたり。(右)奈川温泉「富貴の湯」「野麦荘」
「奈川(奈川村誌歴史編)」を読んでみると、この奈川温泉スキー場の歴史は温泉の開発と切り離しては考えられないようだ。奈川村の温泉は古くから、おかゆを炊くとおいしい冷泉として知られていたが、昭和26年に奈川村観光協会が発足するとスキー場の設置と温泉開発が最優先の課題となった。観光協会と村は高温の源泉を求めて昭和30年代に数回にわたってボーリングをおこない、ついに46.5℃毎分200ℓの湯の噴出に成功した。スキー場は昭和初期から天然のスキー場が木曽路原(現在の野麦峠スキー場付近)と大原にあり各種のスキー大会も催されていたが、奈川温泉近くに昭和33年に温泉客も当て込んだスキー場が開設された。このスキー場は、昭和55年頃まで営業し本格的なスキー産業が根付く契機となったという。
今はもう松本市の一部となって奈川村という行政単位もなくなり、施設の整った野麦峠スキー場すら経営の厳しさを伝えられている。秘湯的な雰囲気をもつ奈川温泉を訪れる人は多いようで、この日も富貴の湯付近に首都圏・中京圏ナンバーの車が何台もとまっていた。(現地訪問:2010年11月)
ラベル:奈川温泉