(左)「営業休止」の文字が貼られた案内板。(右)広い駐車場と立派なセンターハウス。
今シーズンから営業休止となるスキー場の中で、もっとも大きな話題になったのは、この御岳ロープウェイスキー場ではないだろうか。
松本あたりでは晴天だったが、木曽谷に入ると小雪が舞ってきた。国道19号から旧三岳村へ向かう道沿いにある「御岳ローブウェイ」の看板には「営業休止」の掲示がされている。12月中旬のこの時期、とっくに営業を開始している「おんたけ2240」からの帰り車と時々すれ違う。立地条件としては「おんたけ2240」とあまりかわらなかったと思うのだが。ゲレンデまでは2車線道路が続きアクセスには問題なかったと思うのだが、凍結路の運転は厳しかったのかもしれない。
広い駐車場と立派なセンターハウス、ゴンドラとペアリフト3基を備え、まさにバブル末期に登場したスキー場のスタイル。夏期の営業は続けるので、当然ながらセンターハウスやゴンドラはそのまま。リフトは椅子をはずしたままの状態だ。見上げるゲレンデはうっすら雪を被り例年ならシーズンインに向け準備真っ最中のはずだが、いまはひっそりとしている。正面に見えるはずの御岳山は雪雲に隠れていた。
(左)第1ペアの下からゲレンデを見上げる。
2010年4月の新聞報道によれば「木曽町がスキー客の落ち込みが激しい御岳ロープウェイスキー場の冬場の営業を、来季は見合わせることを明らかにした」とのこと。冬場は閉鎖するものの、御岳山信仰や夏山登山の利用がある4月~11月のグリーンシーズンにはロープウエーを運行するとしている。2012シーズンについては未定とのことだが、「スキー客の需要が伸びる見込みはなく、冬のスキー場営業からは撤退することになりそうだ」とも書かれていた。 4町村が合併して成立した木曽町には「きそふくしま」「開田高原マイア」も所在するが、町内のスキー場の経営統合なども検討されているようだ。
1989年開設というから、まだ20年ほどの歴史しかなかったスキー場。思い出すのは2003年10月に発生した事故。ワイヤをつかみきれず滑走したゴンドラが急停止し、反動で老夫婦が振り落とされて転落死した。この事故も暗い影を落としていたのかもしれない。2003シーズンの資料によれば「昨シーズン入込み数約10万人。スキーヤー30%、スノーボーダー70%」とあるが、その後来場者は減少したのだろう。
残念ながら木曽方面に出かける機会にはなかなか恵まれず、私は滑ったことがなかったけれど、スキー場としてはさまざまな魅力があったようだ。素晴らしい雪質とロングシーズンが売り物だった。御岳を望む景観も素晴らしく、周辺には鹿の瀬温泉や木曽温泉など帰りの立ち寄り湯も豊富。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば、「観光名所、木曽の御岳山に展開するスキー場。全長2400mの6人乗りゴンドラでスキーヤーを8分で頂上に送り届ける。ロープウェイに平行して3基のペアリフトが上下につながり、7コースを揃えるタテ長のゲレンデ配置。シーズンインが早いことやゴールデンウィークまで春スキーが楽しめるなど、期間が長いことがウリ」と紹介されている。(現地訪問:2010年12月)
(左)ゲレンデ最下部。第1ペア下から左にセンターハウス、正面奥はゴンドラ乗場。(右)御岳山登山の案内板は健在。
こちらもご覧ください → 御岳ロープウェイスキー場(その2)
ラベル:御岳ロープウェイ
御岳ロープウェイスキー場の閉鎖は驚きです。
このブログの視点いいですね。BravoSkiの記事読みました。私も妙高パノラマスキー場には思い出があります。妙高高原駅からゲレンデとジャンプ台が見えた小さなスキー場でした。私は何故かあのジャンプ台飛んだことあります(小さいほう)。30年近く前は、あの辺は雪が沢山降りました。一晩で1mぐらいなんて珍しくなかったです。私も多分急行野沢さんと同じ世代かも。
野沢方面も学生時代によく行きました。野沢温泉スキー場がメインでしたが、あの野沢でさえ最近はアクセスの悪さのせいか、客が少なくなっていると聞いてます。戸狩スキー場まだがんばってますね。これからもブログ記事楽しみにしてます。
これからもたくさん廃止になったスキ-場に行ってください
僕のお気に入りゲレンデ白馬八方尾根スキ-場です
これからもよろしくです
昨年の時点でかなり危ない噂は聞いていて、大会の時も例年なら閉会式として表彰とともに主催者挨拶等があったのが表彰だけであっさり終わり噂は本当っぽいなと暗澹たる気持ちで表彰式に臨んだ事を覚えてます。3位と2位の盾はあるので後は1位のトロフィーだけだったんですが…
アクセスは比較的道が南向きで開けたところが多くて3月辺りになると昼に融解→夜に凍結と言う感じで、二駆乗りの個人的な感覚ではこのエリアの中では一番厄介なアクセスに感じてました(きそふくしまは国道脇、チャオは完全北向き、2240やマイアは勾配のある区間は樹林帯の中で圧雪状態を維持できたイメージ)
あとはスキーオンリーとして棲み分けを狙ったきそふくしま、開発時からのある程度ビジョンを持った経営者が継続的に運営しているマイア、まだ大資本(JR東海)の広報を含めたサポートのあるチャオに比べて名鉄から見捨てられてからの御岳ロープウェイは不運だったと思います、おんたけ2240は王滝村のみなので引くに引けない厳しさがありそうですが。
ちなみに今、マイアに行くと御岳ロープウェイのピステンが以前の表記のまま配備されています
90年代には今は亡き友人とよく行ったスキー場なので、久しぶりに奴のことも思い出しています。
一見単純なコースだったけど、飛ばせるコースもあり、いつも夕方のラストはトップからの一気滑りで締めていました。
「休業」なので、いつかまたブームが来て再開されればいいなと思います。
かりかりだったゲレンデが記憶にありますね。
ほとんど、おんたけ、野麦峠ばかりだったのですが。
なぜか、行ったんですよね。
学生時代は、鈴蘭、おんたけがメインで練習しました。
懐かしいスキー場です。
野麦峠は、寒かったですね。
今は、おんたけも野麦峠も経営が厳しいようで、どうなることか。
気に入った思い出のあるスキー場が閉まってしまうのは、残念でなりません。
スキー全盛の時代とは、今は違いますが、さみしいです。
このゲレンデは、鈴蘭が閉鎖されてからよく通うようになりました。
後発の割には、コース幅が十分で近隣の野麦峠、マイアよりも滑り応えがあり閉鎖は残念でなりません。
先にも記述されているとおり、事故の余波が大きかったのかなぁ?
個人的には、このゲレンデ自体の完成度は高いものと感じており、切に復活を期待するものです。
このスキー場には3回行きました。1回目は長女出生前に何も考えずにふらっと1人で、いつ行ったのかも記憶にもないのでpass。2回目は2002年2月、年中の長女と行きました。初日はきそふくしまで滑り(実は午後スタートのため小生1人で滑り、長女は託児所でのんびりタイム)、その後、山里の素朴な1軒家、旧三岳村の「小坂温泉 けやきの湯」に泊まり、翌2日目に滑りました。長女は超初心者で、おっかなビックリでした。3回目は2008年3月(事故の後ですが)、長女は小5でした。初日は開田高原マイアで滑り(今度は勿論2人で)、ロープウエイスキー場への道途中にある鄙びた「鹿の瀬温泉」(このときは合併して三岳村ではなく木曽町)に宿泊して前回同様、翌2日目に滑りました。さすがに6年も経つと長女の滑りが上手くなっており、今回はロープウエイで頂上まで行きました。その長女も今は多感な高校生、今後、50代の中年親父(逆に小生の体力低下を実感する)とスキーに行くかどうかは?です。
魅力ある温泉と、スキー場(頑張れ!マイア、きそふくしま、おんたけ2240)の組み合わせ旅行が今後しにくくなるならば寂しい限りです。
開田高原からよく見えるスキー場でした。
初年度から行きましたが、その時分には、主流でした、高速リフトで無く、普通のペアリフトだったのが、残念だったのを覚えています。
コースが、上から中、上、初級に分かれていて、リフトで、各コースを滑るのに適したスキー場でしたので、中盤の上級コースを避け迂回コースをいやいや滑ったのを思い出します。
ボーダーが、多くなり遠のいてしまったのですが、又滑りに行きたいスキー場でした。
今シーズンやっとこさ友達と滑りに行くという事もあり、色々と検索を掛けていた所、気が付くと、もうやってない御岳ロープウェイの事を調べていました。
晴れた日の頂上からの眺めが本当に素晴らしくて、昔仕事仲間だったフィリピン人がそれを見て、嬉しくてずっと笑ってたり、また広く緩やかで滑りやすい場所が多く、友達の妹さんまで安心して教えられたりと、色んな人と何度もお世話になりましたし、私にとって本当に思い出深い場所でした。
センターハウスとゴンドラ乗り場の写真をみて、当時の情景と重なり、少し泣きそうになってしまいました。