(左)上越新幹線のトンネル入口が左手にあり、その上部にゲレンデが開かれていた。(右)ゲレンデ下部から見上げる。周辺にはいまもロッジなどが多い。
越後湯沢。この町に、スキーに関わる思い出をたくさんお持ちの方も多いと思う。いつの頃からかリゾートマンションが林立する風景が目立つようになったけれど、温泉街としての歴史もあり風情を感じさせる一帯もある。友人のリゾートマンションに転がり込んだり、温泉街裏の安い民宿に泊ったり。どちらかというと後者のほうが思い出に残っている。
上越新幹線が大宮暫定開業をへて、上野まで乗り入れたのが1985年。当時は東京に住んでいたので、そのころから渋滞する関越道を避けて新幹線でスキーに行くことが多くなった。だいたい湯沢高原で滑るかシャトルバスで石打・岩原あたりに足をのばすことが多かったのだけれど、駅から近い城平で滑っておかなかったのをいまは後悔している。
越後湯沢駅西口から南に向かって歩けば、ほんのりと温泉の硫黄臭が漂ってくる。やがて左手には上越新幹線のトンネル入口が見えるが、その上に城平のスキー場の斜面が広がっている。越後湯沢駅から歩いてもほんの5分ほどの立地。湯沢市街に隣接したシティ派ゲレンデといういい方もできようか。
何軒かロッジなどの建物がある背後に草地となった斜面が広がっているが、リフトなどの施設は撤去され、新幹線のトンネルがすぐ脇を走る環境なのでそれと教えられなければかつてスキー場があったとはなかなか気づきにくい。何軒か、現在でも営業を続けている温泉付きの宿泊施設も見受けられる。1956年(昭和28)1月には、リフトの滑車が外れ逆走するという事故も起こったようだ。見上げるコンパクトなゲレンデには「最大斜度20度」という数字以上に斜度を感じる。最長滑走距離450m。
(左)西側の丘陵地からゲレンデ下部を見おろす。(右)「スキー天国にいがた」を参考に作図。
「スキー天国にいがた(1975年12月)」によれば「湯沢の南側にあり、北向き斜面でありながら比較的空いている。湯沢のスキー場では穴場といえる。中腹の緩斜面は初心者向きで定評があり、ナイター設備は万全である」と案内されている。1956年(昭和31)開設でリフト2基(482m、276m)を備えていた。営業休止は1990年代と思われる。
「南魚沼郡誌(1971年3月)」には、戦後の復興時に古くからあった布場スキー場に活気が戻ってきたのにつれて、一本杉・城平などへと施設も拡充されていったと説明されている。それから20数年間ぐらいが、湯沢が最も活気づいた時期なのかもしれない。(現地訪問:2010年4月・12月)
ラベル:城平スキー場
地図で見ると新幹線のトンネルの上へ長いのが1本しか確認できませんでした。
実際に登ってみると右側脇にそれらしき建造物が物置として使われていましたので、不思議に思っていたのですがこれで氷解しました。
宿のすぐそばでもあるので、もうちょっと天気が良くなったら取り付いてみようかと思います。
城平は中学の冬休みに、塩沢の友人と湯沢のスキー場を全部まわった時に滑りました。
あとでその友人から、城平でたけしのテレビ番組のロケをやっていたと聞いたのですが、Youtubeに、その時のものと思われるものがありました。(http://www.youtube.com/watch?v=sU6EB3_akeI)
内容はスキーと関係ないですが・・・当時の雰囲気が出ていて懐かしいです。
これからもいろいろな追憶のゲレンデを紹介してください。