(左)山本小屋から見る。右手奥の美ヶ原高原ホテルから左にくだる斜面がゲレンデだった。(右)美ヶ原高原ホテルの裏から斜面を見下ろす。向こう側の木立の手前あたりにロープトウがあったらしい。
「登りついて不意にひらけた眼前の風景にしばらくは世界の天井が抜けたかと思う。」
有名な尾崎喜八のこの文章は、美ヶ原高原の魅力を見事に表現しているけれど、それを実感するにはやはり、百曲や焼山沢から歩いて登るのでなければと思う。しかし、私も百曲や焼山沢を登ったことは数えるほどで、いつも山本小屋の前の駐車場に車をつけることになってしまう。ビーナスラインと美ヶ原林道が東西から延びているけれど、この山頂台地だけは車道の通過を辛うじて免れている。そんな美ヶ原高原の山頂台地の一角にスキー場があったと知ったのは「長野県スキー史」や「冬の信州1976」の記載によるもの。
「長野県スキー史(1978年)」によれば、「近年、和田村よりの路線が開通して以来、スキーシーズンは公認スキー学校を12月から4月までの長期にわたって山本小屋新館の美ヶ原高原ホテル内に常設し、公認スキー指導員が常時指導に当たっている。一般スキーヤーも山岳スキーの醍醐味が十分に楽しめるとあって、年々その数を増している。従来は山岳スキーツアーに重点をおいて指導してきたが、現在ではスキー技術面に重点を置き、初心者から上級者に至るまでユニークな指導をしている。雪質は標高2,000mの高度のために、乾燥粉雪で常に最高のコンディションで12月から4月末までシーズンが長く山頂一帯の銀世界にシュプールをつけられるよろこびは大きい」と記されている。
(左)夏に牛伏山からのぞむ美ヶ原山頂一帯。右手奥に見える美ヶ原高原ホテルの左手窪地がゲレンデ。(右)美ヶ原高原ホテルの駐車場。その向こう側下の斜面がゲレンデだった。
「冬の信州1976」には「360度に展開するアルプスの展望台として、その眺望はすばらしい。初心者向き女性向きのスキー場である。200mのロープトウあり」と案内されている。同誌には「美ヶ原スキー場」の広告ページも掲載されている。その広告には「白銀のアルプス展望台。雲表の山岳ホテル。北欧風民芸調山岳ホテル『美ヶ原高原ホテル』収容160名」となっている。このページには、現在の美ヶ原高原ホテルから東にくだるスリバチ状の斜面の写真が掲載されていて、ロープトウもそこに設置されていたようだ。それほど広い斜面ではなく「初心者向き、女性向き」という案内があてはまる。スキーの魅力だけでなく、美ヶ原の展望台としての楽しみがそれを上回っていたかもしれない。
スキー場としての開設・廃止の年代ははっきりしない。あくまで推測だが、1980年代後半には営業をしていなかったのではないだろうか。
(左)アンテナが林立する王ヶ塔とその右に北アルプスが連なる展望。
美ヶ原に上る車道はほとんどが冬期通行止めとなるが、旧和田村から上る道が一本だけ、冬期も山本小屋まで通じている。標高をあげていくと路面の積雪も増えていく。たどり着いた山本小屋の駐車場には20台ほどの車があり、スノーシューを使った冬のトレッキングを楽しんでいる人が多いようだった。美ヶ原高原ホテルまでは除雪がされており、その先、美しの塔あたりまで歩いてみたが、強い風で雪面が固められているのか、長靴でも歩くことができた。このあたり全体がスキーエリアといってもよかったのだろうが、ロープトウは美ヶ原高原ホテル脇の斜面にあったのだろう。確信がなかったので美ヶ原高原ホテルで聞いてみると、その通りのようで「向こうの木の手前あたりにロープトウがあったんですよ」。その頃は多くのスキーヤーで賑わったのではないかと思って聞いてみたが、「こんなところまでスキーに来る人は、なかなか多くはいなかったねえ」とのことだった。
まず目を奪われるのは、王ヶ塔の右に広がる北アルプスのほぼ全容にわたる展望。振り返れば蓼科と八ヶ岳、その右側にかすかに富士山も見える。晴天の冬の休日、至福の展望を楽しむことができた。(現地訪問:2010年8月、2011年2月・3月)
ラベル:美ヶ原スキー場
とっても素敵な景色で、一度行ってみたいと思わずにいられません。
…なんか滑った跡があるんでしょうか?
美ヶ原高原ホテル裏の斜面には、スキーかボードの跡がわずかに数本ありましたし、王ヶ塔方面に向かう道にはクロスカントリースキーの跡はたくさんありました。
また、美しの塔近くの平坦な場所でパラグライダーをつけてスノーボード(スポーツの名前を知らないのですが)をやっている人がいました。