(左)ザウス跡地に建つ家具店舗。(左)南船橋駅ホームから見たザウス跡地方面。
東日本大震災によって大きな被害がもたらされた。避難所生活を続けている方々のご苦労は、並大抵のことではないとお察しする。海岸沿いの地盤の弱い土地にあり、電力を使いまくっていたザウスがいまあったら、どんな評価を受けることになっていたのだろうか。
1993年7月に京葉線南船橋駅のすぐ南西側に竣工し営業開始、2002年9月まで営業した。その後、閉鎖になり、解体されている。世界最大の屋内スキー場であって、ゲレンデの高低差は約80m、最長滑走距離490m、幅が約100m。下半分が初級者用(斜度4.8~8.1度)で、トップに向かって右側が中級者用のイエローコース(斜度14.9度)、左側が上級者用レッドコース(斜度20度)となっていた。日本で初めてリフトを設置した屋内スキー場で、クワッド2基、ムービングベルト1基を備えていた。空調設備により室内温度は夏でも氷点下に保たれ、スノーマシンで本物の雪を降らせていた。当時は、夏期にも安定した雪質が保てるため、アルペンスキーの選手の練習に使われることも多かったという。当然ながら平日でも夜9時過ぎまでナイター営業。料金は1日滑走券が開業当時5,900円、後に5,400円となった。1,000台を超える駐車場も併設していた。
跡地は再開発されたと聞いていたが、東京方面に所用があって出かけた日の夕刻、久しぶりに南船橋の駅に降り立ってみた。ららぽーとや近くにあったドライビングシアターなどは、東京に住んでいた頃には家族でよく出かけた場所でもある。駅の南側に出ると、不自然に残された空地の向こうに駅前ロータリーがあり、さらにその向こうには北欧系大手家具店の大店舗が建っている。その店舗と南側に続く高層マンションが、かつてのザウスの跡地を占めているようだ。京葉線南船橋駅が開業した時期からかなりの年月がたっているはずだが、ザウスの解体やその後の再開発のせいだろうか、いまだになんとなく落着かない風景が残っている印象を受けた。(現地訪問:2010年11月)
(右)当時の写真などをもとに描いてみた外観。
こちらもご覧ください → ららぽーとスキードームザウス SSAWS[その2](千葉県船橋市)
ラベル:ザウス
おいらも当時は西船橋で仕事してたので、毎晩仕事帰りに滑っていました(・∀・;
もう少し写真残しておけばよかったと後悔しても後の祭り…。
敷地はIKEAが出来て、道路も跡形も無いですね。
このへんは通常の廃スキー場と人工建造物だったSSAWSとの大きな違いです。
南船橋の南口駅前は10年近くたっても変わらないというのに。
ネットサーフィンしたらこちらにたどり着きました。僕もスキーブームであちこちスキーをしていた30代の者です。
ブーム絶頂期、夏には冬の宿の予約を入れたり朝一のゴンドラに1時間以上は並ぶということを何度が経験していましたが、最近は空いてていいなあなんて思っていましたが、スキー場がこんなに多く閉鎖されていたとは驚きです。
僕の行ったスキー場も何個か含まれていて悲しいです。
先週、伊吹山を登山しましたが、伊吹山スキー場のリフトは完全に撤去されてましたよ。
こんなサイトがあるなんてとても感動しました。是非続けて下さい。
ザウスかー 一度でいいから滑ってみたかったと思っています。
そういえば茨城の龍ヶ崎にあるカムイスノボードパークなくなりましたよ。
あれもスキーやーできるしスキー場にもなるかな・・・・
私は2002年のザウス最終シーズンまで長野県から毎月のように通った物好きです。
大したHPではありませんが、私がコツコツと書き溜めてきた滑走レポートの中に、当時のザウスの様子が少しだけ残っております。
少しでも参考となるようでしたら幸いです。
http://www.geocities.jp/nopponia_noppo412/SSAWS.html
http://www.geocities.jp/nopponia_noppo412/ssaws02.6.9.html
また、まったくの別件ではありますが、岐阜県奥飛騨エリアに、2003年3月までで閉鎖された新穂高ロープウェイスキー場という超マイナーゲレンデがありました。現在も観光用ロープウェイは活躍中ですが、その索道の下がゲレンデとして活用されておりました。もし機会がありましたら調べていただけると嬉しいです。
閉鎖直前↓
http://www.geocities.jp/nopponia_noppo412/shinho03.2.25.html
閉鎖後↓
http://www.geocities.jp/nopponia_noppo412/shinhotaka04.9.17.html
貴ブログは、資料としてもとても貴重な価値のあるものだと思います。
さらなるご発展をお祈りいたします。
何しろ家のある松戸から武蔵野線で一本。急行野沢さんが「ちょっと近所のスキー場へ行ってくるよ」という手軽な感覚で行けた。楽しい楽しいところでした。
最初はたったの2時間で5900円!!一昔前のテレホンカードかJRのオレンジカードのようなチケットでした。時間制限が厳しかったから、時間が近くなると、直滑降で滑り降りてそのままゲートを出て時間制限セーフ。
会社が休みの日はいつもザウスに通ってました。雨の日もそう台風の日も。いつか首都圏直撃台風がくるということでザウスに行ったら、ゲレンデは激混み!苗場以上じゃん。レフト待ちは1時間!隣にいたスキーヤーと「台風が過ぎるまでザウスで。たぶん台風だから客はいないだろうと思ってきたのだけど…」と。考えていることは皆いっしょだったことに思わず笑ってしまいました。
上の方の記事にスキーイング津田沼がありましたが、こちらもせっせと通いました。ザウスの1年前にオープン。新京成の新津田沼駅の改札出てパルコの前の踏切を渡ればすぐ。今はイオンのショッピングセンターになってしまいました。こちらも電車で一本。こんなにスキーが便利になったんだなあと。駅前にスポーツクラブがあるようにスキー場があるんだと。スポーツクラブで汗を流すように、うちはザウスや津田沼で体を動かす。ただザウスができてからは客足が遠のいてしまったようで、がらがらでした。
いつかオーストリアのデモがザウスにやって来たときは、みんなで見学。「やっぱし一流はカッコいいなぁ」
ザウスのHPに登録して割引になるDMが来るのが待ち遠しかった。今、どこのスキー場でもやっている6回ザウスに行くと、1回タダになるというスタンプカードもせっせと集めてました。
スクールにもお世話になりました。その時のイントラさん方は今どうしているのでしょうか。
まだまだいろいろな思い出がありますが、とにかくザウスほど楽しかったところはなかったです。(長文でごめんなさい)
たま々船橋でチェックしていて貴兄おの㌻にぶつかりました、懐かしいですね、私は隣県の茨城県取手市在住でssawsにはよく通いました、真夏の30度超えの日にTシャツにサンダルばきで当地へ・・そして氷点下の世界へ・・このギャップが何とも好きでした、オープンの頃は駐車場まで入るのに何人もの従業員が誘導するサービス振りだったんですよ、私はテレマークでしたので周りから”ひかれた”眼でみられていましたが(笑)でも私の自慢は閉館まじかでしたが当時の世界覇者オーストリアのヘルマンマイヤーとリフトに乗り合わせ【テレマークgood】と握手を求められた事です、今でも感激してます。
今,手元に当時の【SKI DOME SSAWS 場内マップ&場内ガイド】がございます、96”3月営業時間改定のしおりもございます、よろしければ差し上げますのでメールくださいませ。一度滑っておかれたもっと良かったでしょうね。
それからはザウス通いになったのですが、車のルーフにスキーを積んで千葉方面に走っていると、サーフボードを積んで横を走っているサーファーから奇異な目で見られたものでした。
その後、狭山の雪質も改善されたため、当時調布の実家に住んでいた私はザウスとも縁遠くなり、風の便りに閉鎖になったことを知りました。
津田沼もザウスも、今に思えば私のスキー技術の向上にはなくてはならない存在であったと言っても過言ではなく、涙の出る思いで読ませていただきました。