(左)キャニオンゲレンデ下部からゲレンデを見上げる。
金沢市街から国道157号を南下し手取川の上流に入れば、トンネルが連続した末に旧白峰村(現在は白山市に合併)の中心部へと入っていく。以前、白山麓の昔の暮らしぶりについて話を聞く機会があったが、白峰では山の作物にも恵まれ経済的にも豊かであったという話を聞いた。都会的な意味での豊かさとは少し違うものかもしれないが、「山間地は貧しいもの」という認識が、さまざまな時代の中では必ずしも正しくないないことを思い知らされた。
白峰村中心部から手取川を挟んだ東岸の青柳山。その西斜面に開かれていたのが、白峰温泉スキー場。扇状のゲレンデで、下部には入口が二箇所あった。右側のキャニオンゲレンデのクワッド乗場に行ってみる。駐車場があり、レストハウスの脇には椅子をはずしたクワッドの乗場がそのままの状態。除雪車も置かれたまま。ゲレンデの中心部はクワッド1本上ったあたりのようだが、かなり背の高い草が生い茂っているように思えた。左側のヤングバレーのリフト乗場に行ってみると、意外なことにリフト施設が綺麗に整備されている。近くにいた人に話を聞けば、こちら側だけは各種大会や練習競技用に会員制として引き続き使われているとのこと。
「オールスキー場完全ガイド2000」によれば、「白山連峰を背に、標高1,032mの青柳山に展開する雪質のよいスキー場。どちらかというと中上級者以上に向けたコースづくりだが、変化に富んだゲレンデはビギナーからベテランまで充分に満足できる。ガラス張りの明るくおしゃれなセンターハウスやクアハウス等も若者の支持を集めている」と記載されている。リフトは最盛期にはクワッド1基・ペア6基、最大斜度37度=ゲレンデ最上部のジャイアントゲレンデ、最長滑走距離2,500m。周囲には温泉施設も豊富だ。
(左)遠景からゲレンデ上部を見上げる。(右)現在も大会や競技用に会員制として使われているヤングバレー側のゲレンデ。
1971年12月の開設。石川県内唯一の全日本スキー連盟公認・大回転コースがあり、各種のスキー大会が開催されてきた名門スキー場だった。2008シーズンを最後に一般スキー場としては営業休止となっている。ヤングバレーゲレンデの下で話を聞いた小父さんは「一般向けのスキー場としては、もうとても成り立たない」と話していた。辛うじて競技用として公認コースが維持されているのが救いということになろうか。(現地訪問:2010年8月)
ラベル:白峰温泉
わざわざスキージャム勝山をスルーして、びびりながら山越えまでして。
ジャイアントコースの急斜面をびびりながら、滑走するのが好きでした。
帰る際に下る時のキャニオンコースが意外と脅威で、時々こけていました。
ジャム勝の影響と立地の悪さで、当時から早晩無くなるやろなあ、とは思っていました。
やっと子どもがまともに滑れるようになったので、昨日、いそいそと出かけて唖然としました。
慌てて瀬女まで行ったけど、こちらも今季限りかもという話を聞いて、なんだかもうガッカリ。
私たちも、ジャム勝スルーして行ってたクチです。あぁ、新しいところ探さないとなぁ・・・とほほ~。
ジャム勝周辺のスキー場が全部なくなったら、多分スキー止めますね~。
白峰高原スキー場時代はよく行ってました。
ツウワン白峰での食事は決まって“エビピラフ”だったり。
かつて、ダイヤモンド第2リフト乗り場とファミリーリフト降り場の間に第3シングルリフトがありました。
緑色でボロボロのリフトは今にも壊れそうで、「おっかねぇ」と思ったのを今も覚えています。
SIA、SAJのスキースクールもあり、当時のインストラクターさんには大変お世話になりました。
今となっては思い出だけとなってしまいましたが、石川県内では名門のスキー場でした。
白山麓スキー場群は、近々撤去が始まるそうです。
初めに取り掛かるスキー場がこの“白峰温泉スキー場”のようです。
今はまだ、ホワイトライナーの設備が麓から見ることが出来ますが、未来には跡形も無くなりそうです。
このブログで取り上げられる日も近いと思います。
いやぁ~懐かしいです、思い出が沢山詰まったスキー場です、ジャム勝が大混雑してる中ここは空いてましたから、当時付き合ってた彼女とよく来てました、ヤングバレーに入ってすぐの急斜面が楽しかったのを覚えています、スキー場の懐かしさを思い出すと共に、昔の彼女を思い出しました、おばちゃんになってるだろうなぁ…
のべ12時間かけて到着した、ガラガラの田舎のスキー場に満足してその後はヘビーローテーションした。やって来たスキーブームでお客さんが毎年増えて駐車場が大きくなりクワッドがかかり夜を徹してのお祭りまであった。あまりの人混みに辟易して少し離れたキャンプ場脇の小さなゲレンデへ逃げて滑ったりも。
しかし増える人出に反して積雪はぐんぐん少なくなり、ついには行かなくなりました。
ヤングバレーはカチンコチンのアイスバーンの急コブ斜面で肝を冷やしながら降ったものでした。リフト乗り継ぎの中間地点に小さなコーヒーハウスがあったような。白峰村の村営の温泉施設は温かかった。お客さんがあまりに多くて民宿では娘さんの部屋?に泊めて貰ってとても恥ずかしい。恥ずかしいから友人とウィスキーを一本開けて翌朝は寝坊しちゃったり。
そんな記憶も全て雪の中に消えてしまいました。今は寂れた山村になっているのでしょうか。
当時はすでに新しい国道とトンネルでアクセスは改善されていました。昭和初期に開通した峠越えはすさまじい道だったらしく、炭焼き程度が現金収入の山村が豊かな暮らしだったとはとても思えません。