(左)写真中央あたりが窪地になっていて、各方向の斜面から滑り込めたと思われる。(右)山之坊集落上部から下部の小学校までロングランができたという。送電線に沿った傾斜がほぼその跡ではないだろうか。
「山之坊」という名前にはどんな歴史があるのだろうか。山中で高僧が修行を重ねた場所でもあるのかと、想像をはたらかせてしまう。春の一日、白馬方面から国道148号を北上する。平岩駅とその対岸にある姫川温泉の前後は、暴れ川として知られる姫川が険しい渓谷を刻む。「大糸線が災害で長期不通」というニュースを耳にするのもこのあたりだ。平岩駅から北西の山中に上っていったところに山之坊集落は所在する。その山之坊にスキー場があったと知ったのは「スキー天国にいがた」の記載による。
「スキー天国にいがた(新潟日報事業社・1975年12月)」には、「大糸線で新潟県では一番はずれのスキー場。乗鞍・小蓮華・雪倉・朝日とつづく北アルプスの連峰が一望できる雄大なスロープ。すりばち型の地形でゆるやかなスロープ、急なスロープと変化に富み、初心者から中級者まで楽しむことができる。スキーヤーが比較的少ないので静かなスキーを楽しみたい人は足をのばしてみるとよい。平岩駅徒歩60分」と紹介されている。
また、「全国スキー場案内(スキー場とツアーコース・廣嶋英雄著・創元社・昭和1960年12月)」には、「大糸線が全通して初めてクローズアップされた処女地でスキー場としてすぐれています。(中略)部落のすぐ近くがスキー場で、大小緩急さまざまのスロープが展開しており、赤禿山(1,158m)へのツアーは小一日で山スキーの豪快味を味わうことができます。山の坊部落民宿(季節旅館)20軒、200名収容」と案内されている。
(左)山之坊集落の向こうには残雪の雨飾山。(右)「スキー天国にいがた」を参考に作図。
春四月とはいえ、山之坊集落の田畑はまだ厚い雪に覆われている。1軒の農家の前で軽トラから降り立った老人に声を掛けてみる。老人がいうには、集落の下から南西に向かって分岐する林道をたどれば、スキー場跡に出られるらしい。地元では「原スキー場」と呼んでいたという。スリバチ状の地形に開かれたスロープにロープトウも備えられていた。また、集落上部から下部にあった小学校までのロングランも出来て、その斜面を使って上越地区の大会も開催されたという。開設・廃止の年月はこれまでの調査ではわからないが、1960~70年代がこのスキー場の最盛期だったと思われる。
まだ深い雪に覆われている林道、しかし雪が解けても鎖が掛けられ一般車は入れないというその林道を歩いて進む。しばらく進めば送電線の下に樹林が切り開かれた場所に出る。その向こう側に窪地があり、杉林が育ってゲレンデだった雰囲気はわかりにくいが、各方向からその窪地に向かってスロープがあった様子を感じることができた。送電線に沿う方向で長いコースも取れたようで、ここで大会も開かれたのだろう。話を聞いた老人は「その頃は山之坊も50戸もあって賑やかだったが、いまはほとんどが空き家になり、住んでいるのは5~6軒。ほんとうに寂しくなった」と語ってくれた。いたるところにフキノトウが顔をのぞかせている山之坊集落の向こうには、残雪をまとった雨飾山が端正な姿で輝いていた。(現地訪問:2011年4月)
ラベル:山之坊