(左)残されていたリフトのコンクリート部分。その脇からゲレンデ全体を見上げる。(右)ゲレンデ最下部。
飛騨地方の北部を占める大きな自治体として、2004年の大合併で「飛騨市」が誕生した。その飛騨市の中心は、かねて高山などと並びこの地方の中心であった古川町。古くからの伝統行事・伝統芸能は多くの観光客を集めているし、白壁土蔵や出格子の情緒ある町並は魅力的である。残暑も一段落した9月の休日、古川の町並を歩く観光客もかなりの数に見えた。
その古川の市街地近くにあったのが古川スキー場。古川市街地の南部、国道41号バイパスの新蛤橋の西詰から、高野の集落を過ぎて西側の山間部に入っていったところにある。実はこのスキー場についてはほとんど資料らしい資料を見たことがないのだが、ある道路地図に記載が残されていた(作成担当者の削除ミスか?)ので訪れてみる気になったものだ。なお、これまでの調査では営業開始・営業終了の年月はわからない。現地を見た限りでは、営業休止は10年以上前ではないかと推測している。
以前見たWEB上でのこのスキー場の案内には、以下のように記されていた。「古川スキー場は、12月下旬から3月上旬まで開設されます。ゲレンデ数1、コ-ス数2です。交通はJR飛騨古川駅から車で10分で着くことができます」 規模からしても、周辺のスキーヤーのためのゲレンデだったようだ。
(左)ゲレンデ中腹から、下部を見おろす。
緩やかに上って行く舗装された車道を走れば、やがて右手に2段ほど駐車場の跡地が見て取れる。その先で舗装は途切れ、一面に背の高いススキに覆われたスキー場跡地に出た。傍らには重機が置かれ、U字溝の埋設などをしている様子がうかがえる。あまりスキー場の痕跡があるとは期待せずに訪れたのだが、驚いたのはリフトのコンクリート部分が残されていたこと。左上に上る北斜面にこのリフト1本が架けられていたのだろうか。斜面には一部、サクラの植樹がされているが、その他はこの季節、ススキに覆われている。適度な中斜面ではないだろうか。少し上ったところから見おろそうとしたが、背の高いススキに邪魔されて古川の市街地は一部分しか見おろせなかった。秋のやわらかな日差しの中で、ただ乗鞍方面へとつながる山並を見渡すだけだった。(現地訪問:2011年9月)
ラベル:古川スキー場
「古川町48年のあゆみ」という閉町記念誌(2004年)を調べてみました。
すると、古川スキー場のオープンは、昭和31年(1956年)の12月になるようです。
翌々年の昭和33年(1958年)の1月には、第10回岐阜県スキー大会の会場になったとあります。
昭和38年(1963年)に、リフト完成。数枚、その頃の写真も掲載されていますが、かなりの賑わいであったようです。
ただ、その後、年表形式のこの本には、スキー場に関する記事は見られないようでした。
最近の出版物には、関係の記載は無いようですね。
その後に判明した所では、
『'86 古川町勢要覧』によると、1986年、昭和61年段階では、
12月に近隣のスキー場と同じようにスキー場開きをして、
1月に、飛騨古川大回転スキー大会 という催しがあり、
2月は、町民スキー大会 開催と、歳時記にありました。やっぱり、古川町の人たちが主に利用するスキー場であったように見られます。
それ以降の都市計画などに記述は見られないのですが、2004年の「土地利用現況図」でも、高野の、スキー場と思われる場所に、スキー場としての用途を示す記号が入っていました。飽くまで書類上の用途なのかと思われますが。
ひだ古川ユースホステルはゲレンデ終了と共に移築し営業を続けていますので、ユースホステルに問い合わせれば正確な情報が出てくるかと思います。
僕が最後にここへ行ったのは25年ほど前ですが、当時はシーズン券が大人5千円だったと記憶します。
小学校時代は、学校のスキー教室といえば古川スキー場でした。
当時は各自で板を担ぎ、皆で歩いてスキー場まで行った記憶があります。
シーズン券(5000円)も購入し、休日や冬休みにも友達とよく行きました。
リフトが古く乗り心地が悪かったのと、乗っていると上のロープ部分から油が垂れ落ちてきたことがよくありました。
タイヤのチューブをパンパンに膨らませたものを貸し出していて、何人かで乗ってソリの様にしてゲレンデで滑っていましたが、今振り返ると非常に危険な乗り物だったと思います。
シーズンオフには、よくクマの出没情報が出ていました。
私もバブル期にスキーを始め、
スキー場の栄枯盛衰にも興味があります。
何年も前から折を見て貴ブログを拝見しており、
その行動・調査力には毎度舌を巻いております
そして先ほどNHK名古屋TV局の昼ニュースで、
古川スキー場跡地の話題が出ておりましたのでご紹介致します。
「桜の名所目指しヤマザクラ苗植え」を
googleで検索すると一番上にニュース映像と記事のサイトが表示されています
記事中によるとスキー場閉鎖は平成2年(1990年)のようで、
2003年頃から木を植え始めたようです
ところが翌年に大雨で木が流され、
活動が縮小してしまったとの事です
詳細は「高野千本桜夢公園整備委員会」HPでもご覧いただけると思います
以降時節は過ぎつつも、地元の方々によって
再生されつつあると思うとワクワクして来ます
まだ整備段階のようですが、
桜が咲き誇るようになったら行ってみたいと思います^^
長文失礼致しました
ここのスキー場はユースホステルのペアレントがスキー場の管理人を事実上兼ねていたようでホステラー相手に滑りを教えていたんだとか。建物も元よりあったヒュッテを改装して開業したんだそうです。