(左)県道沿いにある「みのわゴルフクラブ」の案内板。(右)ゴルフ場の下部から緩斜面を見上げる。
いまは高山市の一部になってしまった国府町。その名の由来は、律令時代以前の飛騨地域の国府が置かれた可能性があるからだという。ただ、いまだ国府の所在を決定付ける遺跡は確認されていないということだが。その国府町中心部に向かって東からせり出している丘陵地、その山中にスキー場があった。
私の持っている中部地方の道路地図には「歩み山スキー場」として記されている。ただ、その名称が正しいのかはあまり自信がない。いろいろな地図を見て、北側の蓑輪の集落あたりからはいって行くのが良さそうだと見当をつけ、高山方面に向かった秋の日に立ち寄ってみた。
国府町の中心から、旧上宝村に向かう県道76号を東に向かう。ほのぼのとした山間の田園風景が広がる。やがて道沿いに「みのわゴルフクラブ」という案内板があり、それに従って右折し、蓑輪の集落の中を南に向かって上って行く。ほどなく、その「みのわゴルフクラブ」があらわれ舗装はそこで終わる。その先、未舗装の道はゴルフコースの左側に沿って上って行く。
(左)ゴルフ場中腹から見おろす。
ゴルフコースとはいうものの、谷状の緩斜面に設けられたショートコースの11ホール。私はゴルフについてほとんど無知なのだけれど、それでもゴルフ場としてはかなり無理があることはわかる。しかしスキー場としてみれば、初心者向けにもやさしい北向きの緩斜面と見て取れる。一度、箕輪の集落までおりて、採ってきたばかりの山菜を束ねている小父さんに聞いてみると、やはり以前はスキー場だったらしい。ただ、リフトやロープトゥなどの施設もなく、近くの小学生が滑る程度のものだったとのことだ。10年以上も前にスキー場としての役割は終えていると話してくれた。(現地訪問:2011年9月)
ラベル:歩み山
最近掲載されました古川、パルクすごう(数河)、飛騨ハイランド、白木が峰、上宝高原、原山、それにロッセなど、子供のころに滑ったスキー場ばかりです。懐かしいですね。
そしてまさかとは思いましたが、とうとう「歩み山」スキー場まで、取材され、感謝感激です。このスキー場は飛彈の人でも、「知る人ぞ知る」というか、全く地元の旧国府町の人しか知らないでしょうね。
確か開発は50年ほど前の昭和37、8年位に町営としてだと聞いています。今はゴルフ場ですが、当時は、現在のゴルフ場の緩やかな斜面だけではなく、それを取り囲んでいる山の急な斜面や尾根もスキー場でした。ここが歩み山「第2」スキー場で、そのゴルフ場に向かう左側の山が、子供向けの「第1」スキー場だったのです。第1から第2へは板を担いで行ったものでした。
リフトはなく、子供は第2スキー場の山頂まで板を履いて上がっては急斜面を滑り降りることを繰り返していました。オープン当初は、土日には近所の人が交代で営む「ロッジ」のようなものがあり、滑り疲れるとラーメンやお汁粉を食べたのを記憶しています。
小学生の授業や大会、町民スキー大会なども催され、ここで滑っていた近所の人は、当時、中学2年生なのに岐阜県の中学校選手権大会で優勝したほどです。
それはともかく、わが実家は「箕輪」から県道沿いに100mほど北にある場所です。当時の冬は今と違って雪が多く、そのうえ道路も雪で覆われていたので、私はスキー場から帰るときは板を掃いたまま道を滑走し、平坦な場所はスケーティングをして、自宅の玄関まで帰っていました。そんな夢のようなことが出来たし、許された時代だったのですね。
そんな地元の人しかしらない小さなスキー場も、30年ほど前じゃないでしょうか、閉鎖の憂き目にあったのは。。。このブログを読み、心の奥深く眠っていた記憶が懐かしく蘇ってきました。掲載していただき、本当にありがとうございました。
懐かしく、つい長々と書き綴ってしまいました。ますますのご活躍お祈りしております。