(左)吉川中学校の校門付近から、校庭の向こうにゲレンデが見える。(右)ゲレンデ下部から見上げる。右手にロープトウ乗場。
上越市の一部となった旧吉川町。米山に近く、頸城の平野も東に尽きる直前あたりの穀倉地帯で、地区の東にある尾神岳はパラグライダーのメッカだという。いくつかのサイトで「吉川六角山スキー場」についての記載をみつけ、出かけてみることにした。吉川区総合事務所や診療所などがある地区中心地の一角にある吉川中学校。その校門の前からは、校庭をはさんだ向こう側の山腹にゲレンデが開かれているのが見て取れる。別の道から校内を通らずにゲレンデ直下にアクセスすることもできる。
それにしても六角山とは珍しい名前だが、幹線道路からの入口には立札があり「南北朝期古戦場 六角峰城址登り口」の文字があり、この地が歴史の舞台に立ったことを知ることができた。さらに「文和4年3月 南朝上杉憲将この地に拠り、北朝軍と大いに戦う」と記されている。「観応の擾乱」で足利尊氏と直義の兄弟抗争が起きた時に上杉憲顕は直義側に味方した。その子、上杉憲将は宇佐美一族と顕法寺城で挙兵。しかし風間長頼に攻められ、顕法寺城を捨てて六角峰(六角城)、さらに柿崎城へと逃れたという。
校庭のすぐ脇からはじまるようなゲレンデ。トイレだった思われる建物の入口には板が打ちつけられている。その向こうにはリフト乗場の建物。といっても、リフトではなくツタが絡みついたロープトウの機器が小屋の下にあった。隣接する蜘蛛の巣に覆われたリフト券売場の小屋には「リフト使用料金表」という色あせた貼り紙が残っていた。それによれば、「大人(高校生以上)半日500円一日700円、子供(小・中学生)半日300円一日500円」となっている。見上げるゲレンデは、草に覆われた緩やかな斜面。滑走距離はごく短く、300mくらいだろうか。最上部にも小屋に覆われたロープトウの機器が残っている。雲が多い天候で、ゲレンデ最上部からの展望ははかばかしいものではなかったが、晴れていれば日本海や米山の展望が素晴らしいのだろう。
(左)ゲレンデ最上部から見おろす。(右)ゲレンデ上部にも小屋の中にロープトウの機器がある。
近くの商店で聞いてみると「スキー場はいまはもうやってないんですよ」という言葉が返ってきた。上越市の資料によると平成17年度(=2006シーズン)には、361人の入場者があったが、「2007年には降雪がなかったため開設できなかった」となっている。リフト券売場の小屋の中には、2006年3月のカレンダーが放置されていたので、それが最終の営業時期だったと思われる。カレンダーの3月12日(日)の箇所には「終」の文字が記入され、最終営業日を物語っていた。(現地訪問:2011年10月)
ラベル:吉川六角山スキー場
もう営業してないのは寂しいですね。
ちなみに、吉川は合併前、村ではなく町でしたよ。
年々雪が減り、最後の年も雪不足で営業してる日が少なかったと記憶してます。
自分が小さいときにはスキースクールもやってましたし、町の小学生が授業で来てたり、最初の練習にはちょうどよかったんですがね