(左)温泉入口にあった案内板から。(右)道路左の一段高いところに第1リフトの乗場があったのだが。
このブログをはじめてごく初期に燕温泉スキー場を取り上げた。営業していた最後の頃は、赤倉をはじめとする周辺の大きなスキー場の影に隠れるような存在だったため、あまり反響があるとは思わなかった。しかしその後、このスキー場に寄せられたコメントの数に少々驚いている。
バブル期よりもはるか前、私と同年代の方々の少年時代・青春時代には、このスキー場のポジションが大きかったことを改めて思い知らされている。以前、訪れたときには残雪期であり、ゲレンデ上部の様子を知ることができなかった。いつかゲレンデ上部を見てみなければと思っていたが、紅葉の10月に訪れてみた。
燕温泉街の下にある駐車場に車をとめて歩きはじめる。タオルをもって露天風呂に向かう人の姿も多い。妙高から下山してきた登山者の姿も見られる。何より驚いたのは、リフトがすっかり撤去されていたこと。駐車場から温泉街に向かう道の左手すぐ上に、第1リフトの乗場があったのだが、すっかり撤去されている。施設があった平地と、林の中に一直線に切り開かれた跡が、過去にそこにリフトがあったことを示しているだけだった。
温泉街をぬけ、左手の露天風呂「黄金の湯」の方へ登っていく。黄金の湯の前あたりが、初級向け薬師ゲレンデがあったところ。さらに舗装された林道を登り、第1リフトの終点、第2リフトの乗場があったところを過ぎ、第2リフト終点付近まで登ってみる。第2リフトの痕跡もまったくわからなくなっている。ところどころに重機が置かれ、土嚢が積まれている。土砂崩れや雪崩を防止する工事が行われている様子だ。
(左)黄金の湯の周辺の薬師ゲレンデ下部。(右)紅葉の木々に囲まれた坊主落としゲレンデ。
第1リフト終点あたりから見上げると、色づいた木々に囲まれた坊主落としゲレンデの様子ははっきりと読み取れたが、その他は深い草木に覆われて、コースの様子ははっきりとはわからなくなっている。あまり整地などせず、自然の地形のままのゲレンデであったことがしのばれた。周囲の山々は赤や黄に染まり、冬が間近に迫っていることを告げているようだった。(現地訪問:2011年10月)
→こちらもご覧ください「燕温泉スキー場(2009年5月2日)」
ラベル:燕温泉
去年 針村屋のご主人に高校時代のスキー部のOB会に上京していただき、お話を伺う事ができました。『今後は秘湯の集落として宿を続けていくから遊びにおいで』と言っていただきました。いつかきっと行きたい温泉の一つです。
懐かしさのあまり、コメントをかきます。
ここ…、自分が高校生の時行きました~。
春の(GW)記録会、
正月のイン杯予選。
朝はハイランド前で体操し、坊主落としでツボ足~。
定宿は笹屋(岩戸屋にあこがれ…)でして、
ダイニチ屋にて買い食い。
いい温泉でした。
閉鎖、残念です…。
相変わらずの 豪雪地帯。
30年ぶりに 温泉に入ってきました。