(左)ゲレンデ最上部から見おろす。左手かなたには日本海が見える。(右)ゲレンデ上部には休憩所や用具小屋と思われる建物。
北陸道滑川ICの東側、滑川市の南東郊外一帯は、東に向かって緩やかに標高を上げて、田園がのどかに広がっている。千鳥スキー場のことを調べようと最初に地図を見たときは、こんな緩やかな地形のどこにスキー場があったのかと訝しく思った。しかし、現地に行ってみると、南北方向におそらく早月川がつくった何段かの河岸段丘が標高差をつけていて、その段差を利用したスキー場だとわかった。
滑川ICから東へ進み、中野集落から北東に農道を進むと、斜面の上部に出る。傍らには休憩所や用具小屋と思われる建物もある。建物は整備されているようなので、スキー以外の用途にも使われているのかもしれない。ゲレンデは北に向かって緩やかに下っている。見おろす斜面の左端には、ロープトウのための滑車がついた支柱が点々と残っていた。富山県スポーツ施設一覧には「最長滑走距離150m」と記されている。
脇の道を通ってゲレンデ下までおりてみる。全体が見渡せるゲレンデで、子どもたちの練習やソリ遊びにはぴったりだろう。ゲレンデ下の道に軽トラをとめていた小母さんに聞いてみると「いまでもいろいろな行事には使われているらしい」との返事だった。しかし、実際にはスキー場として使われてはおらず、たまにソリ遊びをする子ども連れがいる程度のようだ。
(左)ロープトウ用の滑車のついた支柱が残っている。(右)最下部からゲレンデを見上げる。緩やかな気持ち良さそうな斜面。
2006年頃までは毎年2月に滑川市の「スキーフェスティバル」として、スキー競技・雪合戦・ソリ競争・雪中宝さがしなどがおこなわれていた。また、2008年からはゲレンデに牛を放牧して「カウベルトの郷づくり事業」がおこなわれた。これは、クマがこの付近に出没するので、野生生物とのすみ分けと景観保全をはかるためのものであった。
晩秋のゲレンデにはススキが生い茂り、もの悲しさを感じるだけだった。田園地帯の向こうには市街地が、そしてその向こうには日本海の広がりを望むことができた。(現地訪問:2011年11月)
こちらもご覧ください → 「千鳥スキー場[その2] 2021年9月11日」
ラベル:千鳥スキー場
確かに、どこにあるのだろうといぶかしかったのですが、行ってみたらかなり立派なスキー場。
ちなみに上部の用具小屋、実は内部にロープトゥのエンジンがあるみたいで、滑車の付け替えとエンジンの整備がされれば動かすことはできそうです。
訪問した時にはソリで遊んでいる家族連れがいました。
広々として見通しがいいし、廃止した後でも地元の人に愛されている感じです。
千鳥スキー場のことがでてましたので、コメント残させていただきます。
20年程度前には何度が使ったことがあるのですが、当時でもそんなにはやっている印象はなかったと思います(笑)
地元小学校のスキー学習ですら、立山山麓スキー場で実施していたくらいですから…。
また、積雪不足からスキーフェスティバルが中止になることもありました。
なお、平成23年11月発行の滑川市議会だより6ページや主要事業の概要25ページによれば、今でも地元町内会が主体の管理運営委員会に管理委託されており、また管理費として年14万5千円が市予算として計上されて廃止されているわけではないようです。
http://www.city.namerikawa.toyama.jp/attach/EDIT/002/002168.pdf
http://www.city.namerikawa.toyama.jp/attach/EDIT/002/002235.pdf
とはいえ、スキー場として定期営業しているわけではなく地元幼稚園保育園などから依頼があったときのみ営業していると聞いておりますので、事実上ロープトゥを使ったスキー場として営業してない時点で廃止されていると同義だと思います。
もう30年以上昔ですが、子供の頃は、勝手に照明つけてナイターでポール立てて遊んでいました。
もちろん、リフトは無です。
平日もリフトは動きませんでした。
週末のみ、演歌が爆音で流れ、ロープリフト営業していました。
リフトには、クラッチと変速機があって人数によって回転数を変えたりしていました。
今でも、年末帰省すると雪があれば、玄関から板を履いて出かけています。
今シーズンも、細革で新雪の中を転がってきました。
中学2年の時(1969年)、滑川市のスキー大会で滑った記憶があります。
今は、富山市在住ですが、懐かしくなって今朝、行ってきました。草刈りもされており、機械を整備すれば稼働できそうな状態に保たれていました。
諸般の事情により無理だとは思いますが、トイレ等を整備・管理できれば、小学生のソリ遊び・スノーボードの初心者レッスンなど、格好の雪遊び場にできると感じました。