(左)浅間火山博物館への道。右手は火山博物館の建物。奥の駐車場の向こうにゲレンデ。(右)ゲレンデ下には無料休憩所。背後には浅間山が大きい。
中軽井沢のあたりでは日陰にわずかに残る程度だった雪も、国道146号を北に向かい浅間山の東麓を上っていくと道の両側に次第に高くなってきた。快晴の3月の休日。廃スキー場の探索に出かけたはずだったが、残雪に輝く浅間山の姿に見とれるばかりとなった。群馬県側から見た浅間山も、長野県側より少し締まった感じの姿が好きである。そんな浅間山の雄姿を常に背にしながら滑ることができたのが、浅間高原ファミリースキー場だった。
「'91skier日本のスキー場東日本編(山と渓谷社)」には「那須火山帯の最南端に位置する浅間山の中腹・北斜面に開かれたスキー場。1783年の大噴火の時に流れ出た溶岩の凝結地帯・鬼押出しで知られている」と記されている。「鬼押出し浅間園」の敷地内に付属するようなゲレンデだったようだ。ポニーリフト1基が備えられていて、最大斜度17度、最長滑走距離250m。データから見ても、小さな子どもとファミリーで楽しむのに適したスキー場だったのだろう。いままでの調査では開設・営業休止の年月はわかっていないが、現地で雪かきをしていた浅間園の従業員に聞いた話も総合すると、営業休止は10年ほど前ではないかと推測している。
(左)園内にあった地図にはゲレンデの場所は「ピクニック広場」となっていたが、「スキー場」の文字を消した跡がはっきりわかる。(右)ゲレンデ下部にあったポニーリフト乗場の施設跡と小屋。
鬼押出しは馴染みの深い場所で、小学校時代に学校で出かけたり、その後も家族で出かけたり。浅間山はいまだ噴煙を上げ続けているが、自然災害が頻発している昨今では、鬼押出しも自然の脅威を知るための生きた教材になると思う。その鬼押出しには、西武系・嬬恋村の運営する「鬼押出し園」と長野原町による「鬼押出し浅間園(浅間火山博物館などを併設)」の2つの施設がある。ゲレンデ所在地は地図上では嬬恋村と思えるが、「鬼押出し浅間園」の敷地内にあるので長野原町になるようだ。
峰の茶屋から鬼押ハイウェーを走れば、鬼押出し園の直前に左折・浅間火山博物館の案内板。それに従えば自然と火山博物館の駐車場に導かれる。右手に博物館のいくつかの建物があり、その向こうに鬼押出しの溶岩などを見るための遊歩道があるはずだが、3月末までは冬期休館中。各施設はまだ雪に覆われている。駐車場の奥には無料休憩所があり、その向こうに緩やかな斜面が広がっている。ゲレンデ下右手にはポニーリフトの施設跡、そして監視小屋も残されている。背後には白銀に輝く浅間山が大きい。振り返れば、草津・白根の山々。この風景の中に身を置くだけでも、雄大な自然を満喫できる場所だと思う。(現地訪問:2012年3月)
(左)ゲレンデ下から見上げる。(右)ゲレンデ中腹から見おろすと、正面に草津白根山をはじめとする山々の眺望が広がる。
ラベル:浅間高原
バブルの頃までは日本のあちこちにロープトゥ1~2本の小規模ファミリースキー場が有りましたが、子供の減少とゲームの普及による屋外遊びが敬遠され、いまや絶命寸前です。浅間高原もそれなりに賑わい、今は同じように廃墟となった園内の展望台から望めたことでしょう。