2012年04月14日

赤谷スキー場(新潟県新発田市)

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(左)4月とはいえ両側に雪が高い綱木街道から、ゲレンデの遠景。(右)赤谷線(赤谷・東赤谷駅間)の鉄道橋の遺構。

今年は春先になってもいつまでも寒い日が続いたが、東京ではようやく桜が満開になったと伝えられた。そんな4月の週末、平野部の田畑には積雪はさすがに見られないが、新発田市街から赤谷への県道を進めば、雲は低く垂れ込め湿った雪が激しく降り始めた。道の両側に積み上げられた雪は高く、この地ではまだ季節は冬から抜け出していないのだと知らされた。

むかし、新発田から赤谷線というローカル線があった。赤谷鉱山の鉄鉱石運搬が主要な役割であったが旅客列車も走っており、終点の東赤谷は風情のあるスイッチバック駅であった。1984年に廃線となったが、いまもところどころその遺構を見ることができる。廃線跡と廃スキー場巡りの両方が楽しめる(?)といっていいだろうか。

赤谷スキー場のことを、上赤谷で買い物帰りの車から降りた小父さんに聞くと「綱木へ向かう道の左側。建設会社の資材置場になっている」と教えてくれた。それに従って、上赤谷の交差点を右折、通称・綱木街道を三川方面に進む。ほどなく左手一段上に建設会社の事務所と資材置場があり、その裏手に稜線までゲレンデが広がっていたと思われる斜面があった。

ところどころ樹木が繁り、スキー場だったことを示すものは残っていない。往時のようすを想像することはなかなか難しいが、4月上旬のこの時期にも雪がたっぷり残っているのだから、積雪には不自由のないゲレンデだったのだろう。ゲレンデ左手にロープトウがあったようだ。

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(左)資材置場の裏にゲレンデの跡が広がっている。

「スキー天国にいがた(1975年12月10日・新潟日報事業社)」には、「飯豊連峰の美しい山脈を背景に初中級向コースとして親しまれている眺望の良いスキー場である。近くには新発田市の観光地として内の倉ダム、加治川治水ダムがあり、四方山に囲まれた眺めもまた素晴らしく、特に10月下旬頃の紅葉の季節は見逃せない景観である」と紹介されている。ロープトウ1基(100m、6回券100円)の施設があった。アクセスは「鉄道 新潟から羽越経由赤谷線40分赤谷駅下車徒歩25分 車 新潟から1時間30分」とある。このスキー場の最盛期は、いまのように誰もが車を持っている時代ではなかったので、赤谷駅から歩くというのが一般的だったのだと思う。

スキー場営業休止の年月はわからなかったが、20年以上前ではないかと推測している。古くは近くに赤谷温泉もあり、景勝地としての賑わいもあったのではないかと思う。(現地訪問:2012年4月)
この記事へのコメント
幼児から中学2年まで過ごした東赤谷が
なつかしくて検索したらこのブログに出会いました。 今から50年くらい前に赤谷スキー場に何度か行きました。小・中学の野外体育だったり、父や弟と一緒だったり。
あの頃はリフトがなく(ロープにつかまるのはあったのかな~?)自力で山に登るので大変でした。それに、スキー場までの交通がなくもよりの赤谷駅からスキーを担いで歩きました。弟や父はスキーで山越えして東赤谷の
社宅(日鉄鉱業)まで帰ってきたこともありました。一度赤谷を訪れてみたいと思いますが、赤谷線が廃線になり交通網はどうなっているのでしょう。私は車の運転ができないのでバスがあるかどうか気になります。
Posted by 藤堂久美子 at 2012年04月27日 21:08
藤堂さん コメントお寄せいただき、有難うございます。赤谷にお住まいだったとのこと。このブログが思い出の一助になれたら、嬉しい限りです。
東赤谷行のバスが新発田駅から出ているようです。http://www.city.shibata.niigata.jp/view.rbz?nd=302&ik=1&pnp=1577&pnp=96&pnp=302&cd=6803
Posted by 急行野沢 at 2012年04月27日 22:01
昭和43年の二月、猿橋中2年の時、僕を入れ生徒会関係者仲良し5人で、新発田発東赤谷行き一番列車(午前五Or四時台)で赤谷市民スキー場へ向かいました。赤谷駅に着き、暫く行くと急な坂道を上り、赤谷の町なかを真っ直ぐすすみ、丁字路で右にまがると電線をまたぐくらいの雪がありました。エッサエッサとヒッコリー材の2メートル近いスキー板と竹の六角ストック、リュックにピューマの革のスキー靴を担いでの行程です。汗をかきながらスキー場に着くと、僕たちだけでした。さっそくかまぼこ屋根の方のロッジに入り(ロッジは二棟あった)三番列車(二番列車は米倉止まり)の人たちのためにだるまストーブに火を入れる作業開始です。点火できるまで大変でした。そしてゲレンデに出て、ロープトウ終点小屋より上方の頂上まで、スキーでラッセルしながら登ります。そこからゲレンデ整備もかね新雪スキーです。当時の頂上は、ゲレンデにむかって左右二つあったとおもいます。あいだは谷。(ロープトウのちかくに水源があった)整備の時、熊の痕跡があったときは驚きました。頂上からの眺めは、まさに山水画の世界でした。また、赤谷のゲレンデは、途中消えて視えないような急角度のところもありました。直滑降すれば、かまぼこ屋根を越え小川で水上スキーです。(実際、この日以外で友人一人いた)そんな思い出です。廃止になったのは、赤谷線を含め残念です。新発田高校のスキー部はどうなったのか?中山先生(ぎゃんぐ?)も懐かしい。
Posted by 大沼靖博 at 2013年01月11日 16:34
昭和40年代の思い出をお寄せいただき、有難うございます。当時の赤谷線やスキーの様子が目に浮かぶようです。
Posted by 急行野沢 at 2013年01月11日 22:01
中学生の頃に赤谷スキー場で中山先生にスキーを教えていただきました。
県立新発田高校(芝高)の体育教師で、陸上競技とスキー部の顧問を兼任しておられましたね。私たちは「コッペさん」と呼んで慕っていた。顔がコッペパンに似ていたから。
6回券が100円のロープトウ券は、朝一で行って雪かきを手伝うと一日無料で利用させてもらえました。豚の脂身が浮いたスキー汁が25円。新発田から赤谷の鉄道料金も確か同額。
赤谷は無人駅なので切符を買わなくても乗れる。終着新発田駅に着くと、立ち食いそばを食べている間に改札から駅員が消えるので、悪いと知りつつ片道切符代がかけそばに化けました。そうでもしないと空腹で家にたどり着けなかったのです。
Posted by デラシネ at 2022年07月10日 16:28
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